少女の血塗れの死体が瓦礫に埋まっている。
もう既に元の容姿を想像出来ないほどに破壊されたそれを、男達が無表情に見下ろす。
「またか…」無造作に死体の髪を掴んで持ち上げる。ぼたぼたと地面に落ちる夥しい量の血。
「無駄なことを」
「これはもう発作だな」
「やれやれ、後始末するこっちの身にもなって欲しいぜ」
指を広げる。鈍い音と共に少女の頭が再び瓦礫の中に埋まる。
「まあ、でももうすぐだ。もうすぐ彼女の罪も終わる」
*
「私、殺されるかも知れないわ」
「どうして?」
少年は首を傾げて見せた。学校の屋上。あまりにもありふれた風景。
「邪魔だからよ」
「邪魔な人間なんていないよ。少なくとも俺には必要だよ。月子は」
月子、悲しげに笑って「でもあの人達は邪魔だと思ってるわ」
少年(ハル、と言った)月子を抱きしめる。
銃声。
*
暗闇の中に、ぽうっと明かりが灯る。その中心に少女はいた。
「君の罪は万死に値する。理解ってるんだろうね」
声の主の姿はなかった。そこに在るのは少女と申し訳程度の明かり。そしてそれを覆い尽くさんばかりの闇だけ。
「見てごらん、外の世界を」暗闇の中にそこだけ闇が切り取られたかのように、風景が浮かび上がる。見渡す限りの瓦礫、廃墟の世界…。
「全て君の所為なんだよ?」
少女、ふいに顔を上げ何かを叫ぼうとする。震える唇。目を見開き、手を握り締め、けれどついに言葉にはならず。
「ハルを守りたまえ」
「来るべき時まで、ハルを馬鹿共の手から守れば、君の罪を許してあげよう」
「ハルはまだ戦えない」
「でも君が守っていれば時間はかかるが必ず復活するだろう」
「それまでハルを守るんだ」
「またハルと会いたいだろう?」
声、一瞬沈黙する。クスリと笑って、
「君にはハルしかいないものね」
*
跳躍。
真下で呆けたように口を開けている男の顔面に、蹴りが綺麗に入る。
声にならない声を発しながら倒れて行くそれを踏み台に、次のターゲットに。
体を反転させて、狼狽たえる男の胴体に斜め切りを決める。
返り血が白いセーラー服を真っ赤に染めたが、気にも留めない。
二人が倒れるのを見届けて少女は持っていた刀を大きく振った。
地面に血が飛び散る。
くるりと踵を返し、歩いて行くその姿は尋常な精神の持ち主のようには見えなかった。
血塗れの顔、セーラー服、刀。どれもがひどくアンバランスで現実味を帯びていない。
けれど少女には紛れもない現実。
やがて大きなドアの前まで来ると少女の無表情だった顔が少し和らいだ。
ドアは音もなく開き…中には青い液体で満たされた大きな円柱状の水槽。
かん、と少女は刀を取り落とし(否、故意にか?)水槽に歩み寄る。
青い液体の中にうっすらと少年の姿が見える。
「まだ…?」
いとおしそうに、水槽の表面を撫でながら少女、呟く。
「あなたを待ってるの…ねえ、聞こえる?」
「あなたとまた好きな本のこと話したり、学校の帰りにアイス食べたりさ、授業さぼってゲームセンター行ったり」
閉じていた少年の目が、ゆっくりと開く。
「花火も見たいなあ、箸巻き食べながら。そうだ、数学教えてくれるんだったでしょ? あたしは代わりに古典教えるから」
「もうすぐ、テスト…テスト…」
『 ツ キ コ 』少年の言葉は泡になって消え。
「……テストなんて、もうないわ。ふふ…わかってるわよ」
「くくく、そうよもう何にもなくなったわ。もう何も元に戻りはしないのよ、ひひひひ、はははははははは」
笑い続ける彼女の瞳から涙が溢れていく。
「でも、あたしは、まだ夢見てる、ふふ、あなたとまた、そんなこと出来る日が来るって…は、ははは…」
*
「ハル!!!!」
月子は叫んだ。ハルの胸から真っ赤な鮮血が吹き出している。
膝から崩折れるハルを抱きとめ、月子はその肩越しに見た。
ハルを撃った、その男の姿を。
男は月子の視線から逃がれることもせず、むしろ咎めるような瞳でじっと睨み返して来る。
月子ははっとして、ハルを見、そして再び男に視線を戻した。
一瞬の動作であるにもかかわらず、男の姿は目前に迫っている。息を飲んだその瞬間、月子は首を掴まれ宙に持ち上げられた。声が出ない。
「小娘…」
男のくぐもった声。そこに押し殺した怒りと殺意が溢れ出していることに、月子は嫌でも気づかなくてはならなかった。
*
今日はまずかった、と少女は思った。
何とか敵は蹴散らしたものの右腕に激しい損傷が残ってしまった。
あまりに相手が多すぎた…だらだらと流れる血を苦痛そうに見やって、少女はいつもの部屋に戻ってきた。
手当てしなければ戦えそうもない。けれど手当てする術が見当たらないのだった。
仕方がない。少女は思う。これがあたしの罪なのだから。
しかし激痛は容赦なく襲ってくる。右腕、取れかけているのではないだろうか。
肩で激しく息をしながら、少女は水槽のそばに倒れこんだ。
水槽の中の少年、心配そうに少女を見る。
「痛い…痛いよー。痛い痛い痛い」
ぼろぼろと涙をこぼす。叫んでも返ってくるのは静寂だけ。
「ハルー、早く、出てきてよ…あたし死ぬよ、このままじゃ死んじゃうよ」
『 ツ キ コ 、 ツ キ コ 』
「あたし、今日でいくつになったと思う? 30だよ」
云う彼女の姿は年端も行かない少女にしか見えない。
「ねえ、いつまで続くの」
震える左手で刀を握り直す。
「いつあなたは出て来てくれるのよ!!」
首筋を一思いに切り裂く。
少年の視界は真っ赤に染まった。
*
今日も彼女は少年の前で死に続けるのだった。
そして、事切れた頃数人の男がどやどややって来て少女の死体を
「またかよ」「馬鹿だな」「発作発作」「俺、血駄目なんだよ」
などと口々に云いたい事を云いながら運び出して行くのだった。
数時間後、少女はまた、何事もなかったかのような健康な姿で少年の前に戻ってくる。
「あたし、どうしたんだろね」
あきらかに薬か何かでどうにかされたことが見て取れる状態で。
刀を持って出て行って、血塗れでくたくたになって戻って来て、少年が出て来ないことを知るとその場で自分を殺す───時には外に飛び出して行って200メートルの塔から身を投げたこともあった。
その繰り返し。
少年は悲しげな瞳でそれを見守るだけ。
*
「おめでとう」
少女がその言葉を理解するのには若干時間がかかった。
「君の罪が許される日が来た」
どろどろと顔の右半分を赤黒い液体が流れている…少女は痛みさえ忘れ、顔を上げ。
「ハルと、会えるのね? 本当に?」
「本当だよ。よく今日までハルを守ってくれた」
ガシャン、と水槽が割れる。溢れ出る青い液体。その中心に少年がいる。
触れることを、何度も何度も夢に見た、その人。愛しくて愛しくてたまらないその人。
唯一自分の存在を許してくれた、その人が。
「月子…」
青い雫をしたたらせながら、ハル、月子を抱きしめる。
「ハル───」
「よく、頑張ったね。月子…」
がくん、と彼の腕の中で少女の首が揺れた。
「月子、月子、月子?」
光を宿さない月子の瞳に、ハル絶望を覚え…「どうして…?」
「タイムリミット、だよ」
淡々と声が告げる。
「そう、彼女は罪を犯した。君はこの世界に必要な存在だったのに、彼女の身代わりであっさり重傷を負ってしまった。君がこの世界を救ってくれるはずだったのに…彼女の罪はあまりにも重いだろう?」
「だから彼女に罰を与えたんだよ。最愛の人を反政府の人間から守る…瀕死の君の傷が癒えるまでね。期限なんてないさ。結局17年かかったけどね。彼女には地獄を見てもらったよ。戦って戦って、激痛にのたうちまわりながら、君との再会を夢見る…なかなか素敵なお膳立てだっただろう? 悪いけど彼女の活躍は一部始終全国に放送させてもらった。反政府の奴等への牽制と同胞の結束力の強化には役立ったよ? あ、そうそう彼女の体は早々にアンドロイド化してたからね、老いなかったし、自殺しても元に戻せたのはそのためなんだけれど」
ハルの瞳が、ゆっくりと暗い翳りを帯びてきたこと、声の主は気付いているのか。
「でも一番悪いのは君だよねぇ、ハル。こんなに重大な使命を帯びておきながら女にうつつをぬかしていた、おまえ。この娘がこうなったのもおまえの所為なんだよ。涙なんか流しても遅いんだよ。もう世界は崩壊してしまった。これはおまえへの罰だ」
背後から数人の男たちが現れ、ハルを取り囲む。
「最後に彼女を抱きしめられたんだ。感謝されてもいいくらいだな。もうおまえは用無しだ。役立たずには消えてもらいたいんだよ。おまえ以外にもカリスマはいるんでね」
ハルは顔をあげた。自分と同じ顔の男がいる…自分よりも多分、数倍冷酷そうなその顔。
*
「うわ、何だこりゃ〜」
「はっはーだ。はいさようなら」
「ちょっ、ちょっと待って、待てってば!あ、あー間違えたー!」
「あははは勝ったー! 何だハルってば口ばっかり。はい約束通りアイスおごっ…あー! 何してんのよっ!」
「誰が一回勝負って云った?」
「ふっ、墓穴掘ることになるのにねぇ」
「云っとくけどおまえ中辛だぞ」
「は? 何で!? …まあいいけどね。なんなら激辛にしようか?」
「ム、ムカつく…!」
*
ふふっ、とハルは笑った。
何でだか何の脈絡もない昔のことが脳裏に浮かんだので。
「あんただったらそんなリアクションしないんだろうな」
「…何だって?」
聞き返す自分のそっくりさんの顔面に力任せに拳を叩きつける。
よしよし、17年のブランクが空いても体はなまっちゃいない。
まわりの男どもが動き出す前に、ハルは全員を昏倒させていた。
「ハル、貴様…」
声、明らかに動揺している。
「俺を訓練したのあんたらだろ? あんまり見くびるなよ?」
云って月子を抱き上げる。
「その娘はもう駄目だ。さっきでもうバッテリーもダウンしたし、メモリーも消去されてる。今までのようには行かない」
「そうかい。でも今度は」
俺の番だろ。
ハルは、口元に軽い笑いを浮かべて走り出す。
警報が鳴り響く中を。
ずっとそばにいるよ、もう一度俺を見てくれるその日まで。
きっと云うよ、今度おまえが目覚めた時に。
「happy birthday」
(了)
《コメント》
あたしの中の「誕生日」の定義。
めでたい日というよりは「特別な日」。
クリスマスやバレンタインデーなんかとはくらべものにならない、その人だけの「記念日」。
だからこそその日が不幸だと、
「世界にあたしほど不幸な人間はいないんじゃないか」
などと思ってしまう「危険な日」。
いつでも「幸せな」が頭につけばよいけれど。
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