「忘れないでね」
「いつまでも覚えていてね」……
幾度となく繰り返された言葉。
馬鹿だね。そんなこと出来るはず、ないのに。
言った本人が真っ先に忘れてしまうに決まってる。
そして、私もその一人だ―――。
冷凍食品のクリームコロッケを箸でつまみ上げる。
「私ね、今度転校することになったのよ」
冷めて、べちゃべちゃになったそれは、ちょっと力を入れるだけで二つに切れてしまう。
ぼってりと弁当箱の隅に落ちた二切れのコロッケは所在なさげに息をひそめ始めた。
「またなんだ。大変だね」
私がコロッケから目を移すと、彼女は目を丸くしてこちらを見ていた。箸を持つ手はお留守になっている。
「いつ?どこに行くの?」
「春休みに入ってからだから…ええっといつだっけ?埼玉らしいんだけど。私も昨日聞いたばっかだからよく分かんない」
「そうなの」
彼女の声のトーンが落ちる。私は笑ってコロッケを口に入れた。
「忘れないでね」
「いつまでも覚えていてね」……
幾度となく繰り返された言葉。
私も、繰り返して来た。
絶対、覚えていてくれると思ってたから。絶対、私は忘れないと思い込んでたから。
でもそれは幻想だったんだね。
桜の花びらがまとまらない前髪にまとわりつく。
「ちょっと待って…はい、取れた」
目を上げると、彼女の白い指が薄紅の花びらをつまんでいるのが見えた。やがてそれは彼女の指を離れ、風の中をゆるやかに回転しながら地面に向かって落ちて行く。
「瀬尾さんって綺麗な指してるんだね」
それが初めて彼女に話し掛けたときのセリフだった。たった二年ほど前のことなのにもう遠い昔のことみたいだ。彼女は覚えているだろうか?
「あ、泣いてる」
私ははっとして、目を押さえた。にじんだ視界の向こうに佇む彼女はじっと私を見つめている。その瞳に思いっきり涙をためて。
「自分もじゃない」
彼女の瞳に盛り上がった涙は見る見るうちにあふれ出し、頬を伝ってあごへと筋を描いて行く。
「さみしくなるね…」
何も知らない花びら達はただひたすらに私達の頭上に体を投げ出し続けている。綺麗だな、と馬鹿みたいにありふれたことを私は思っていた。
「忘れないでね」
「いつまでも覚えていてね」……
幾度となく繰り返された言葉。
何で私はそんなこと、言ってたんだろう。
忘れることも、忘れられることも、怖くない。
私が怖いのは、思い出すことだった。
ふとした時に、忘れていた人を思い出す、その感覚。
どうしようもなく遠のいている自分の心に対する、激しい嫌悪。
ホームシックにかかったような恋しさと、涙が出そうな、せつなさ。
そう、きっともう会うことなんてない。
様々な感情が入り混じった複雑なその感覚は、ただ私を狂おしい気分にさせるだけだった。
こんなことを怖がっている私は、きっと弱い人間なんだろう。
END
《コメント》
草薙あきらのルーツを探せ!その3。
…(沈黙)。
その1(白い幻影)、その2(不可視迷宮)、と同時期、いやもしかするともっと以前に書いたと思われる作品です。
やばいくらい転校にこだわってます、この頃のあたし。
何かあったんでしょうか(笑)。
ふと思い返してみればあたしの書く話って転校が関係してる話が多いような。
今でも転校する夢はよく見ます(転勤族だったので)。
なんでそんなに転校に縛られてんだろう、あたし…。
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