「エルザ……」
 警察が帰っていったあと、ファルは頭を抱えているエルザに戸惑いながらも声を掛けた。
 アレクは、書類やら何やらのことがあって、警察にサラと一緒に行っている。
 ――ボブの死亡推定時刻は真夜中の二時前後。凶器は、ボブの部屋に置いてあった大剣。この家の家宝だったらしく、ボブはその剣をいつも大事にしていたそうだが……。
「私……私……!」
 涙声でエルザが口を開く。出てくる言葉は意味不明なことばかり。
 混乱しているのだ。自分が本当にボブを殺してしまったのか――。
 普段だったら、そのようなことは考えもしなかっただろう。きっぱりと否定もできていたはずである。
 しかし、死体を見る、などという非現実的なできごとで動転している状態であれこれ言われると、もしかしたらそうなのかもしれないと思ってしまうのだ。
「大丈夫だよ、エルザは何も悪いことしてない。だって、エルザは昨夜からずっとあたしの看病してくれてたじゃないの」
 そっとエルザの肩に手を置いて言う。
「でも……途中で私、ものすごい眠気に襲われて……それに、叔母さん……私が魔女だ……って――」
「魔女なんている訳ないじゃない。叔母さん、混乱してたからそう言ったんだよ。大丈夫」
 言いながらも、ファルは一抹の不安を感じていた。
 何故、サラはエルザに「魔女だ」と口走ったのだろう。ボブの凄惨なまでの死を目の当りにしたからとは言え、いくら何でも飛躍し過ぎているのではないだろうか。今時魔女なんて……。
「……うん」
 エルザがファルの言葉に小さく頷いた、その時――。

 ――ガチャン!

 ファルたちのすぐ傍のガラスが突然派手な音を立てて割れた。
「!?」
 はっとして割れた窓から外を見ると、村人たちが各々手に石を持って集まっていた。
「魔女は出ていけ! 出ていけ!」
 彼らがそう叫び、再び石を投げつけてくる。
「……!」
 二人は首を縮めてうずくまった。
(何? 何が起きてるの!?)
 状況を把握することができずに二人がうろたえていると
「ファルちゃん、素直にその女性を引き渡してもらえませんか」
 群集の中から、神父が深刻な顔を向けて、窓から見えるファルにそう呼び掛けた。
「……!」
 ファルは突然理解した。この騒動は神父から話を聞いた村人たち……サラも含めて……の仕業に違いない――と。
 遥か昔の魔女伝説――神父からその話を聞いた村人たちには、エルザが魔女に見えているのだろう。
 はじめ、神父から話を聞いたのは数人だったかも知れない。しかし、その魔女伝説の噂が噂を呼んで、村人たちがここに集まった――。
 何故エルザを魔女だと決定づけたのかは分からない。しかし、彼らがそう思わざるを得ない『何か』があったのだろう。
「このままでは、暴動が起きてしまいます。そうなる前に、その女性を――さあ、渡して下さい!」
 神父が一歩足を踏み出して、ファルに声を上げる。
「嫌だ!」
 ファルが立ち上がり、強い口調で叫ぶ。
「エルザは誰にも渡さない! 例え魔女だとしても! ……だけど、あたしはそんなこと信じない! エルザは魔女じゃない! 絶対に!!」
 ――熱い涙が、幾筋も頬を伝ってこぼれ落ちる。
「ファル……」
 床に座り込んでしまったエルザが、涙でぐしゃぐしゃの顔をファルに向けてぽつりと呟く。
 神父はファルがそう言うのを大体予想していたようだが、それでも気落ちしたように小さく溜息をついた。
「仕方ないですね、私の忠告を無視するとは……もう、どうなっても知りませんからね……」
 神父はそれだけ言うと、わめいている村人の間を抜けて、ゆっくりと帰っていった。
 わめき立てる者たちも、一人減り、二人減りしているうちに、いつしか全員いなくなった。
 そして、薄暗い夕闇がこの村に押し寄せてきた――。


「遅いね……お兄ちゃん……」
 ぽつりと呟いたファルが膝を抱えてうずくまっていると
「私の……せいよ……」
 ベッドに突っ伏していたエルザが突然声を上げた。
「アレクに……この村のことを聞いた時、行かなくちゃいけないって気がしたの……。ここに来て……何かをしないといけない……って――」
「え?何か……って?」

 ――復讐。

 ふと、その言葉が浮かび……慌ててファルが首を振る。
(そんなはず、ないじゃない。魔女なんてそんなの迷信だよ)
「……」
「エルザ……?」
 ファルがエルザに問い掛けたが、彼女は何も思い出せない、というように小さく首を振って目を伏せた。
 ――その時、玄関の鍵を開ける音が階下からかすかに聞こえてきた。
「帰ってきた!」
 弾んだ声を上げてファルが立ち上がる。
「エルザ、ここで待っててね!」
 言うなり、ファルは部屋を飛び出した。
「お帰りなさ――」
 階段を駆け降りたファルが言葉を途切らせる。
「……叔母さん? お兄ちゃんは……?」
 帰ってきたのはサラ一人だった。言い様のない不安感がファルの全身を駆け抜ける。
「え? あ……色々あって……途中で別れたからねぇ……」
「?」
 サラはファルの顔をちらっと見ただけで、そそくさと自分の部屋に入っていった。普段なら、ファルの顔を見るなり嫌味の一つや二つは言うはずなのに。
「お兄……ちゃん?」
 ファルはぽつりと呟き――踵を返すと自分の部屋に駆け戻った。
「ファル? どこに行くの?」
 カーディガンをはおって出ていこうとしたファルに、エルザが訝しげに尋ねる。
「あたし、お兄ちゃんを捜してくる! 叔母さんだけしか帰ってきてないの! 何だかすっごく嫌な予感がするから! ……エルザはここで待っててね!」
「待って! 私も行くわ!」
 エルザは慌ててファルを引き止めると、上着を着て彼女についてきた。
 ここで押し問答をしている時間はない。言い知れぬ不安感と胸騒ぎとを感じながら、ファルはエルザと共に、もうすっかり暗くなった村の中へ駆けていった。


 二人がアレクを見付けたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
 アレクは、この村で一番大きな木の幹にもたれ掛かるようにして倒れていた。
「! お兄ちゃん!?」
「アレク!」
 二人がアレクに駆け寄り、その肩を掴むと――。
「……!?」
 グラッとアレクの体が大きく傾き、鈍い音を立てて地に倒れ込む。
「お……兄……ちゃん……?」
 冷たい感触が、アレクに触れた手から感じられた。
『……!』
 二人がほぼ同時に息を飲む。
 手についた、その冷たいものは――血。真紅の血が、かすかな月明かりに照らされて二人の前に浮かび上がる。
「だ……誰が……こんな……こんなこと――」
 茫然としたまま呟くファルの頭に、帰ってきた時のサラの顔が蘇った。
(叔母さん……お兄ちゃんがこうなってること……知ってたの……?)
 膝の力が抜け、地面に座り込んだファル。涙があふれて止まらない。
「こんな……こんなのってないよ……! 何でお兄ちゃんが……!」

 『妹守れなくて兄貴やってられっかよ。……ごめんな、こんな家にお前一人を残して俺だけ出ていっちまって』

 あの時のつらそうなアレクの表情がファルの脳裏に蘇る。

 『そんなに言うなら出てってやるよ、こいつを連れて! こんなところに大事な妹置いてられっか!』
 『小生意気で手に負えないうるさいガキだけど、俺にとっちゃ大事な妹だからな』

(お兄ちゃん……!)
 大好きだった兄。何だかんだ言いつつも可愛がってくれた兄。その兄を、一体誰が!?
「アレク! アレク!!」
 アレクにすがりついているエルザの慟哭を聞きながら、ファルは別の音を耳にしていた。
 複数の――足音。
 はっとして顔を上げると、手に包丁や鎌を握っている村人たちと目が合った。
「! みんな……」
「ファル……エルフェを渡してもらおうか。でなければ、ファルもアレクのようになってしまうぞ……」
「! 今……何て……言った……!?」
 村人たちの間から出てきた村長の声を聞きとがめ、ファルが思わず聞き返す。しかし、村長はエルザに鋭い視線を向けると握っていた杖を彼女に向けた。
「あのときの恨みを抱えてまた現れおったか、魔女め! あのときわしが二人とも間違いなく殺したはずなのに……何故また現れた! お前さえ現れなければ、村は平穏だったのに!!」
「二人……?」
 呟いたファルの脳裏に、アレクの言葉が蘇る。『その子の恋人だか旦那だかいう男が、その子への見せしめのために殺されたらしいんだ』と。
「村長さん……が……」
 五十年前にエルフェを殺した、というのだろうか。
「お前さえ現れなければ、アレクも殺されんかったのだ。お前さえいなければ……!」
「私の……せいで……?」
 ゆっくりとアレクに視線を向けたエルザの唇が戦慄く。身体が小刻みに震え、その瞳からは大粒の涙がこぼれた。
「しかし、あれもバカな男じゃ。殺気立っている者たちの前で堂々と『エルザが例え魔女でも、俺はあいつを守ってみせる』などとほざきおって……。あれでは、殺してくれと言っているようなものじゃ」
「アレ……ク……」
 エルザの涙に濡れている顔が青ざめる――ファルは拳を握り締めて立ち上がった。
「お兄ちゃんの言う通りだよ! エルザが昔魔女だったとしても、そんなの全然関係ないじゃない! エルザはエルザだよ! みんなにエルザを傷つける権利なんかない!!」
 ファルがそう叫んだその時、群集の殺気は頂点に達した。
「魔女め、ファルにまで憑きやがった!」
「俺たちにまで被害が出る前に殺っちまえ!」
 恐怖で追い詰められた村人たちの顔は固く強張り、そして殺気に満ちていた。
「! ――エルザ、逃げよう!」
 咄嗟にファルは危険を感じて、狼狽しているエルザの手を取ると駆け出した。
「待てエルフェ!」
 村人たちも、刃物を振りかざして追い掛けてくる。
 二人は村を飛び出すと、灯りも持たずに暗い山の中を走り回った。途中で何度も木の根につまずいて転んだり、やぶに突っ込んだ結果、二人の服はひどく汚れて所々裂けてしまった。
 死にそうなくらい走って息が切れているが、休んでいては村人の餌食になるだけである。
 今まで自分を可愛がってくれた者たちが、自分たちを殺そうと迫ってくる――ファルはあふれる涙を必死に拭って前方を見据えた。振り返るのが怖い。振り返れば、殺気に満ちた村人たちの顔が見えてしまうから……。
「ファル、何だか私……昔、この山道を走ったことがあるような気がする……!」
 泣きそうな……否、泣いているエルザが息を切らし、前方を走るファルに言ってくる。
「え!?」
 ぎょっとして、思わず振り返ってしまうファル。数日前に初めて村を訪れたエルザが、この山道を通ったことなどある筈がないのだから。
「もう少ししたら……ほら穴があって……」
「ほら穴!? いつもここ通ってるけど、そんなのがあるなんて知らないよ!?」
 とは言いながらも、口の中が渇いていく程不安が募っていることにファルは気付いていた。
(やっぱり……エルザは――)
 しかし、エルザが魔女だったとしても、何ら問題はないように思えた。問題は、どうやって村人たちをまくかということ――。
「今は何も考えなくていいから! とにかくみんなから逃げなくっちゃ!」
「……うん」
 足を半ば引きずるようにして二人は走った――が、突然エルザが悲鳴を上げた。
「エルザ!?」
 はっとして振り返ると、エルザの細い腕を村の大男たちが三人掛かりで掴んでいた。
「エルザ! ……エルザを放してよ!」
 エルザから引き離そうとファルが大男たちに飛びつく。しかし強く殴られ、弾き飛ばされた彼女が倒れたのは崖の縁だった。
「!」
 はっとするのと同時に崖が崩れ、真っ逆さまに崖から転落するファル。
「ファル――!」
 エルザの泣き叫ぶ声が遠くから聞こえ……ファルの意識は途切れた。




「……う……っ……」
 どれくらい気を失っていたのだろう。意識を取り戻したファルはゆっくりと目を開いた。
 どうやら、まだ生きているようである。しかし、この暗い崖下から這い上がらなければ、生きていたとしても意味がない。
「エルザ……待ってて……今、助けに――きゃっ!」
 崖を登ろうとしたファルの足場の土が崩れて、再び崖下に転落する。
「つっ……!」
 激しく痛む頭を押さえると、手が鮮血で染まった。アレクのことを思い出し、きつく拳を握り締める。
 このままでは、アレク同様、エルザも村人たちに殺されてしまう。
「こんな……こと……で……エルザ……!」
 頭上には、雲間から見える月が青白い光でファルを冷たく照らしていた――。




「――エル……ザ?」
 ようやく村まで戻ってきたファルは、すぐに目の前の事態を把握することができなかった。
 村の中央広場の中心に、篝火に照らされ、柱に縛りつけられたエルザが顔を伏せている。そして、そのまわりを村人たちが取り囲み、それぞれが火をつけた薪を握っていた。
 しかも、エルザの足下には枯れ枝や薪などが積み上げられている――ファルはぞっとした。
 村人たちは、エルザを火炙りにするつもりなのでは……。
「エルザ!」
 ファルは、爪が剥がれて血まみれになった手で村人たちを突き飛ばすとエルザに駆け寄り、悲痛な声を上げた。
「……あ……ファル……良かった……無事……だったのね……」
 何度目かの叫びで我に返ったエルザはようやく顔を上げ、切れ切れの声でそう言うとファルに力なく微笑んだ。
「エルザ! もう喋らないで!」
 ファルは涙ぐんだ目で叫ぶと、エルザを縛っていた縄を解き、そっと彼女を抱き締めた。
「エルザ……こんなの嫌だよ! 死なないで……!」
「ファル……そんな顔しないで……」
 エルザの瞳から大粒の涙がこぼれた。
「ファル――」
 ふっと一瞬エルザの体から力が抜ける。
「! エルザ!!」
 ファルが叫ぶと、それで意識を取り戻したエルザがゆっくりと目を開き……しばらくは焦点が合っていないようにぼうっとしていたが、やがてファルの顔を見ると目を細め、そして――本当に嬉しそうに言った。
「ごめん……助けることが……できなくて……。でも……また逢えて……良かっ……た……」
「エルザ……?」
 声を上げたファルに、エルザは最後に優しく微笑むと、静かに目を閉じた。
「エル……ザ? エルザ! エルザ!!」
 命の灯火が消えていくエルザを抱き締めたファルの慟哭が響き渡る。
「こんな――ひどい!!」
 ファルは絶望と孤独を感じて激しく叫んだ。
 生気の失せたエルザの体を強く抱き締め、ファルは唇をきつく噛んで拳を握り締めた。血の筋が唇からあごを伝い、乾いた地面に落ちて吸い込まれていく。
「お兄ちゃん……エルザ……もうあたし――」
 ……ファルはその場に崩れ落ちた。
 頭の中が真っ白になったのを感じ、ファルが、抱き締めたエルザに顔を埋める。
 慟哭が、仄暗い広場に小さくこだましていた……。


 しばらくして村長が、エルザの遺体を胸に抱き締めてうずくまっているファルに声を掛けてきた。
「ファル……いつまでそこでそうしておる」
「……」
 ファルは俯いたまま、何も言おうとしない。
「しかし、これも村のため。分かってくれますね、ファルちゃん?」
 神父が悲しげな声でファルに諭すように言う。
「……せいで――」
 不意に、ファルが呟いた。
「? ……何じゃ?」
 ファルの声に憎悪と悲しみを感じ、村長は思わず聞き返していた。
「あなたたちのせいで――」
「! ……ファル!?」
 彼女の声からは、いつもの響きが感じられなかった。ファルはゆっくりと、優しく、エルザの黒髪を撫でた。
「クリストファー……やっと巡り逢えたのに……」
 愛しげに、エルザの顔を見つめるファル。
 そして、彼女は静かにエルザを地面に寝かせると、ゆっくり村人たちの方を振り返った。
 ……その瞳には、鋭い憎悪の炎をたぎらせている。
「あなたたちは……私の大切な人を二度も奪った。絶対に許さない……!」
 彼女の異常なまでに研ぎ澄まされた冷たさに、村人たちは思わず数歩後退った。
「バカな人たちだこと。私の記憶を蘇らせるなんてね……」
 そう言うと、彼女は格好のいい唇をにっと曲げて笑った。
「あなたたちもあのバカなボブとかいう男と同じ目に遭わせてあげるわ。大丈夫……痛みと苦しみは一瞬じゃ済まさないから。たっぷり恐怖を味わうといいわ」
 彼女は妖艶なまでの笑みを彼らに向け、そして氷のような声でそう告げた。
「! ファル、お前もしや……!?」
 村長が後退りながら上ずった悲鳴を上げ、はっきりと恐怖の色を顔に表す。
「今頃分かったの? そうよ。私が、あなたたちの恐れていた『暗黒の魔女』、エルフェよ」
 ファル――いや、エルフェは楽しげにそう言うと一歩村人たちに踏み出し、そして微笑して言った。

「死の恐怖、存分に楽しませてあげる……」



 END



《コメント》

 何とか無事に完結しました、「暗黒の魔女」。
 キャラの中で一番好きなのはアレクだったりします。あまり出て来なかったですけどね。
 って、後半では一言も喋りませんでしたね、彼。回想は別として。
 次に好きなのはファル。彼女、なかなか動かしやすいキャラでした☆
 出来るだけ、『結局エルフェは誰だったのか』を最後まで分からないように書いたつもりなんですけど……バレバレでした?
 歴史を絡めた作品、また書いてみたいです。いつになるかは……分かりませんけど(笑)。


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