Foresight  霜月楓

 私は『不思議な力』を持っている。
 普通そういうものは、自分に便利だとか、何かの役に立つとかなんだろうけれど……私の『力』は最低最悪。
 こんな『力』、なければいいのに。
 なかったら、こんなに苦しまなくていいのに……。

*****

「どうしたの、香澄?」
 ――のどかな昼休みの教室。楽しげなざわめきが、教室のそこかしこで起こっている。
 私は、頭上から聞こえてきた声に慌てて目を拭い、すぐ顔を上げた。
 そこには私を見下ろしている、怪訝そうな……というより、心配そうな表情の顔。
「べっ……別に何も……」
 言葉を濁して、私はひらひらと手を振ったけど……その声の主は訝しげに顔を歪めた。
「香澄……あんた、もしかしてまた……?」
 私はその言葉に、ためらいつつも小さく頷いていた。
 ――私の名前は崎田香澄。
 取り立てて目立つ子じゃないけど、友達にも恵まれて平穏な毎日を過ごしていたの。
 ……そう、『あの時』までは。
 目を閉じれば、いつでも浮かんでくる……二年前の、交通事故の瞬間が。
 信号が青になるのを待ってから歩道を渡っていた私が、信号無視をして飛び出してきた車に気付いた時には……もう、避けられない状況だった。
 はっとする間もなく、私はコンクリートの地面に激しく叩き付けられて意識を失った。
 ――そして意識を取り戻した時、私のまわりにはみんなの顔があった。泣いてるのか笑ってるのか分からないような顔をして。
 私が死ぬと覚悟を決めていただけに、喜びは大変なものだったみたい。
 生きてるんだ……初めに思ったのは、それだった。そして、良かった、とも。
 そう――確かに、生きていて良かった。
『こんな力』さえ、つかなければ……。

「――香澄?」

 不思議そうに私の顔を覗き込む女の子――私の友人、河野里穂。
 彼女に声を掛けられた時、私は机の上に突っ伏していた。お昼ご飯を食べ終わり、ちょっとまどろんでた私は、また『夢』を見ちゃって、慌てて飛び起きた。そして、そこに里穂の声。
「また……『あれ』を見たのね……?」
 私の様子に、里穂が眉をひそめて、ついでに声もひそめてそう聞いてくる。
「……うん」
 目を拭い、こくんと頷く私。
『予知夢』――それが、私の持つ『力』。
 見たものがいいことだったにしろ悪いことだったにしろ、どちみち、あまり嬉しいことじゃない。
 いいことは、実際にそれを体験する時に喜びが半減する。悪いことは……二度も繰り返して体験したくない。
「で、今度は何なの? いいこと――じゃ、なさそうね。悪いこと……?」
 赤い目の私に、戸惑いの色を隠せないまま里穂が再び尋ねてくる。
 ……何度体験したって、慣れるものじゃない。いいことにしろ、悪いことにしろ。
「あの……さ、里穂。私――」
 次の瞬間、私の首に背後から誰かの腕が廻されてぐっ、と締まった。一瞬息が詰まる。
「なーに深刻なカオしてんだよ二人とも! 試験の成績でも悪かったのかぁ? 何なら俺が勉強教えてやってもいいぜ。もちろん有料で!」
「〜〜〜〜だーっっ!」
 慌ててその腕を振り払い、私は立ち上がると目の前でへらへら笑っている男の子に指を突きつけた。
「あんたねーっっ! フツーいきなりかよわい女の子の首絞めるかぁっ!?」
『誰がかよわいって?』
 彼と里穂の声が見事にハモる。
「おー、河野! 気が合うなー!」「そうねー!」
「こら二人とも、そんなことで意気投合しないでよっ! 大体、藤野なんかに勉強教えてもらうなんて絶対やだからねっ!」
 私が指を突き付けると、彼――藤野くんは「おーこわ」とか言って肩を竦めた。
「何だよー、お前が浮かないカオしてたから様子見にきてやったってのにぃ!」
 おどけた口調で言い、藤野くんは私の顔を覗き込んだ。
「でも、元気出たみたいだな」
「……!」
 ぐっ、と言葉に詰まる。
 爽やかさといたずらっぽさを合わせ持ったその笑顔を直視できずに、私は彼から視線を逸らした。
「崎田……?」
 不思議そうに首を傾げる藤野くん。
「藤野ー! なーにやってんだよっ! 行くぞー!」
「お、おう!」
 仲間に呼ばれた藤野くんは慌てて返事をし、もう一度心配げに私の顔を振り返ってからバタバタと教室を飛び出していった。
「あんたホントに素直じゃないねー」
 藤野くんの後ろ姿を見送りながら里穂が呆れたように私に向かって言う。
「……」
 顔よし頭よし性格よしでクラスの人気者、藤野くん。
 構ってもらって嬉しいはずなのに、彼の前では素直になれずに生意気なことばかり言ってしまう。いつもいつも。
「で? さっき言いかけてた夢の話はどうなったの? ……香澄?」
 いつまでも、藤野くんが去っていった扉から目を逸らさない私に怪訝そうに里穂が声のトーンを落とす。
「私が……見たの……って……お葬式に……出る夢……なの。藤野くんの……」
「ええっ!?」
 里穂が素頓狂な声を上げて目を見開く。
「本当に? 見間違いじゃないの!?」
「見間違いだったら……いいけど……でも――」
 それ以上言えず、私は大きく首を振ると顔を覆った。
「なっ……何でなの!? 香澄っ! 冗談でしょ!? 冗談だって言ってよ!!」
 私の襟首を掴んで揺さぶり、里穂は声を荒げた。
「ほんと……だよ。これが……ただの夢だったら……いいんだけど……」
 取り乱してる里穂の前で、そう呟くように言った私の目から……知らず、涙がこぼれた。
 ――藤野くん。
 入学した時からずっと見てたのに。ずっと……大好きだったのに。
 なのに――。
 夢の中で、私は激しく泣いていた。一生分の涙を全部流すように……。
 これが『予知夢』じゃなくてただの『夢』だったら。
 そう願わずには、いられなかった――。


 私がその訃報を聞いたのは、それから四日が経った日のHRだった。
 教卓の前に立った担任が、一つだけぽつんと空いた席を眺め、悲痛な面持ちで口を開く。
「藤野くんが亡くなりました」
 シン……と教室の中が静まり返る。
 私は震える体を抱いて、強く唇を噛んでいた。
(予知夢だったんだ……!)
「昨日帰宅途中、車に跳ねられ――」
 沈んだ声の担任の話は私の耳を通過するだけで、頭の中まで入ってはこなかった。


「……香澄」
 その日の放課後、友達何人かが私の所に寄ってきた。その中には里穂もいる。
「藤野くんのお葬式、香澄も行くでしょ?」
 私はその言葉に、当然小さく頷いていた。
 ――みんな藤野くんが好きだった。里穂も、私も。なのに……。
「瀬戸さんも行くでしょ?」
 私の友人の一人が、窓際の席で本を読んでいた女の子――瀬戸祐子に声を掛けた。
 付き合いが悪くてクラスの中でも浮いた存在。でも、本人は別に気にしていないみたい。
 むしろ、人との接触を避けてるようなところがある。だから私は今までまともに彼女と喋ったことがない。
 瀬戸さんは、私の友達から声を掛けられるとちらっとこっちを見ただけで、すぐ本に視線を戻した。
「……行かないわ」
 ただ一言、彼女の口からこぼれた言葉。
「行かないって……どうして!? あんたクラスメイトでしょ!?」
 里穂が声を荒げて瀬戸さんに詰め寄る。
 でも瀬戸さんは本を閉じるとかばんを持ち、私たちの間を抜けて扉の方に向かった。
「なっ……何なのよあの女!」
 里穂たちが顔を寄せて文句を言っている中、私は何となく瀬戸さんの方に目をやっていた。
 瀬戸さんが、扉から出る直前に私たちの方を振り返る。
 ――その時、瀬戸さんの鋭くて少し冷たい瞳と私の瞳が合った。
 多分、それは偶然だったと思う。
 でも――。
「もうさよなら言ったから」
 彼女の口がそういう形に開かれたように、私には感じられた。
「……?」
 どういうこと?
 瀬戸さんがどういう意味で言ったのか分からないまま、私は黙って、彼女が出ていった扉を眺めていた……。


「瀬戸さん!」
 私は次の日、登校途中で瀬戸さんを見付けて駆け寄った。彼女は私を見ると、何故か驚いたように目を見開いていた。
「ほんとにお葬式に出ないの? 何で?」
 私が聞くと、瀬戸さんは目を細めてじっと私の顔を見つめた。
 何でも見通すような、強い目の光。わずかな間だったけど、私には何時間にも感じられた。
 やがて、瀬戸さんは戸惑う私に向かって小さく微笑んだ――それは、冷笑に近い。
「崎田さん。あなた、不思議な力を持ってるそうね」
「え? あ、うん……」
 結局、瀬戸さんは私の質問に答えてくれず、逆に私に質問してきた。
「そんな力、よく人に知られて平気ね」
 微笑んでるけど、その目は冷たい。
 嘲笑を含んだその視線に堪えかねて、私は彼女から目を逸らした。
「平気なんかじゃ……ないよ。他の人と違う『力』を持ってるって……それだけでも、白眼視されるんだもん。たとえ、いいことを予知したとしても」
 ぽつりと言うと、瀬戸さんは冷ややかに微笑んだ。
「私なら、自分の『力』のことを言ったりしないわ。……他の人にはね」
 静かな口調でそう言うと、目を逸らしたままの私を一瞥してから空に目をやる。
「他の人?」
「そう。他の人」
 瀬戸さんはそう言うと、私に視線を戻した。
「藤野くんにもあの日の放課後、お別れを言ったわ。きっと彼、その意味が分からなかったでしょうけど」
「!? どういうこと?」
 頭の中に、昨日瀬戸さんが別れ際に言った『もうさよなら言ったから』という言葉が蘇る。
「じゃ……瀬戸さん、あなたも予知夢を……!?」
 多少は声が上ずってたかもしれない。
 瀬戸さんはうろたえる私に意味ありげな笑みを浮かべた。
「予知夢じゃないわ。視えるのよ。頭の上に、黒い靄が」
「……?」
 私はわけが分からず、少し俯いた瀬戸さんを凝視した。
「そして、私がその靄を見た人は確実にそれから三日後、時間もぴったりに――死ぬ」
 淡々とした口調で瀬戸さんは言い、茫然とした私から視線を逸らした。
「もちろん、平気じゃないわ。あなたは、いいことだって夢で見ることができるからいいかもしれないけど、私の場合、人間を取り巻く死の影……逃れたくても逃れられない運命だけしか視られない」
 私は黙って俯いた。
「それとね。私、ずっとあなたに言いたかったことがあるの。――夢は、所詮夢。その通りにならないことだって、ある……ってこと」
 私は彼女の言葉に、唇を噛んで拳を握り締めた。
 確かに、私が見た夢、全部が全部実現したわけじゃない。
 だから、悪い夢ならそれが起きないように祈って……いい夢なら、その通りになるように祈ってた。
 藤野くんの場合は……祈りも届かなかったけど……。
「夢……結局実現しちゃったし……私……」
 藤野くんが死んで……私がそのお葬式に参列する夢……。
 瀬戸さんは黙って、俯いている私を見つめていたけど……やがて静かに口を開いた。
「実現してないわ」
「え……?」
 瀬戸さんの意味深な言葉に私は耳を疑い、顔を上げて彼女の顔を見上げた。
「だって藤野くんは……!」
「崎田さん。あなたの夢は、実現してない……いいえ、実現しないわ」
「……!?」
 訳が分からなくなり、私はあくまで冷静な瀬戸さんを見た。
「どういう……こと?」
「私はね、小さい頃から人が死ぬ瞬間が分かってた。そして、それから逃れることができないことも知ってた。これはその人の寿命――そう思って割り切るのに、時間は掛かったけど……今ではもう慣れたわ」
 瀬戸さんは口許に笑みを浮かべていた……但し、自嘲の笑みを。
「ひどい人間だって思う? ……思うでしょうね。でも、私は――冷酷にならなければ、いつか自分が潰れてしまうって分かってるのよ」
 そして瀬戸さんは自分の両手を見下ろした。口を開く。
「私の母が、そうだったの。私の母も『力』を持っていた。そして結局……自分の力に負けて、母は自殺した。自分の親友の死を知って……でも、それをどうすることもできなかったから。だから私は……人と親しくするのが怖い。いつか……母のように、親しい人の死を見ることになるかもしれないから。もしそうなったら私、きっと母のようになってしまうと思う」
 淡々としたまま私に語る瀬戸さん。
 彼女が友達を作らないこと、不思議に思ってたけど……でも今なら彼女の気持ちが分かる。
 好きな人の死を予知したばかりの私には……。
「……」
 私が黙したままでいると、瀬戸さんは時計を見下ろしてから小さく嘆息した。
「もう始業のベルが鳴っちゃう。それじゃあ……」
 瀬戸さんは私に顔を向け……そして、言った。

「さようなら、崎田さん」

 瀬戸さんは最後に、戸惑う私の瞳を見てから踵を返して駆け出していった。
「瀬戸……さん?」
 何か小さな不安が私の胸をよぎる。
 どうして瀬戸さんは、誰にも言わなかった秘密を教えてくれたの?
 どうして?
 どうして……。
 私は、瀬戸さんの後ろ姿を見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。
 次の瞬間――。

 キキ――ッッ!

 私のすぐ真後ろで、車が急ブレーキを踏む大きな音が聞こえた。
「……!」
『さようなら、崎田さん』
 最後に言われた瀬戸さんの言葉を……私は最期の瞬間に、思い出していた――。

*****

 私は『不思議な力』を持っている。
 普通そういうものは、自分に便利だとか、何かの役に立つとかなんだろうけれど……私の『力』は最低最悪。
 こんな『力』、なければいいのに。
 なかったら、こんなに苦しまなくていいのに……。
 ――何度も思ったそのことを歩きながら考え、そして私はゆっくりと目を閉じた。
 その人が交通事故で死ぬと分かってて、気をつけるように言っても……結局その人は、交通事故では死ななくても何らかの形で死んでしまう。
 これは、もう変えることが出来ない運命。
 助けてあげたい……何度そう思ったことか。でも、私がどんなに手を尽くしても、最終的にその人は死んでしまう。
 何もしてあげられないもどかしさに、何度泣いただろう。そして、こんな『力』さえなければと、何度思ったことか。
 なかったら……こんなに苦しまなくていいから。
 今も、私の後ろで大きな衝突音がした。
 私は彼女……崎田さんの死を、三日前の丁度この時間に予知していた。
 ――未来はどうやっても変えることが出来ない。
 割り切れたと彼女には言ったけど、本当はまだ、全然割り切れてない。
 人間の命なんて、はかないもの……。
 それは分かっているけれど、人の死を目の当りにすると、何とも言えず淋しくなる。
 いつか私も宣告されるかもしれない。
 私を覆う『死の影』の存在を――。



 END



《コメント》

『予知夢』って楓は見たことないんですが(というより超能力自体、カケラもない)、実際そういう力を持っている人って、やっぱり苦しんだりしてるんでしょうね。……ということを考えていたら、この話が出来ました。主人公が死んじゃう話なんて珍しいです、楓としては。
 8/9のHACの日企画に於いて頂いた高橋さんリクエストの「超能力学園」「主人公は小学4年生」を考えた時、最初に浮かんだのがこの話だったんです。
 一応、冒頭で語ってた『私』は崎田香澄ではなく瀬戸祐子で、最後に繋がる訳です……って、分かった人は一体何人いることやら(笑)。
 修行がなってませんねー。ううむ、もっと精進せねば。


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