優しき微笑み  霜月楓

「はっけよーい、のこった!」
 慈陽さんの声で、子供達がわっ、と歓声を上げた。土俵の内では二人の子供が取っ組み合いをしている。
「本当にあなたは子供がお好きなんですね」
 私がそう言うと、彼は穏やかに微笑んでみせた。
 ――慈陽さん。太陽のように優しく、慈悲深い人。
 名前を名乗らない彼を、いつしか皆がそう呼ぶようになった。
 慈陽さんが現れたのはつい最近のことだ。そして彼は子供たちをこの丘に集め、相撲をとらせたり面白い話を聞かせたりした。
 はじめのうちこそ皆は訝しんだが、今では誰もが彼のことを好いている。
「ここは、明るくて気持ちのいい人ばかりですね。私は、皆さんがとても好きなんですよ」
 慈陽さんが微笑んでそう言い、土俵に目をやる。どうやら勝負がついたようだ。
 袋から菓子を出すと、慈陽さんは二人にそれを握らせ、暖かい言葉を掛けてから頭を撫でた。そして子供たちを見回す。
「さて、皆さんそろそろ戻って、お母さんのお手伝いをしましょうね」
 慈陽さんがそう言うと、はーい、と子供たちが声を上げ、一斉に散っていった。
「そう言えば、今日はお菊さんの姿を見掛けませんが……何かご存じですか?」
 駆けていく子供達をにこにこして見送っていた慈陽さんが、ふと私を見下ろして聞く。
「今朝、借金の形とか言って進藤に連れて行かれました。皆が抗議に行ったんですが、門前払いで……」
 先日の代替わりで卸問屋の主人に収まった進藤徳兵衛は、金と女に執着している男。
 先代が死んだ途端、勝手のし放題だ。阿片に手を出していると噂されるが、その他にも色々と悪事を働いているに違いない。
「他にも何人か娘が連れていかれました。このままではお菊たちは……」
 私がそう言うと、慈陽さんは表情を翳らせた。
 毎日花を持ってきてくれる優しいお菊のことを、慈陽さんは好いているのだ。
「行くんでしょう? 道案内しますよ」
 石に座り直していた慈陽さんが私の言葉に微笑み、ゆっくり立ち上がる。
「これでお菊さんにご恩返しができたら、いいんですけどね……」


 その日の夜、宴を催していた進藤の屋敷に奉行所の手が入った。ついに阿片のありかを郡奉行が突き止め、押収したのだ。
 郡奉行は「夢に仏が現れて知らせてくれたのだ」と言っているとか。
「そんなバカな」と一笑する者、「信心深いお奉行に御仏が力を貸して下さったんですよ」と言う者――周囲の反応は様々だ。
 しかし、郡奉行が以前にも増して信心深くなったのは言うまでもない。
 進藤は奉行所の者が入ってきた時、嫌がるお菊の手を掴んで逃げようとした。娘たちの中でお菊が一番器量良しだったから、手放したくなかったのだろう。
 だがお菊の体に触れることなく、彼は弾き飛ばされて柱に激突。そのまま気を失った。
 その時お菊の体を淡い光が取り巻いているのを見た、と言う娘は何人もいる。
 私は庭に立って、事の一部始終を眺めていたが、それを確認すると門の方へと向かった。出しなに振り返ると、そこには微笑んでいる慈陽さんの姿が確かにあった。
 ――ありがとうございました――
 声が聞こえた。それだけで、もう充分だ。


 その日を最後に、慈陽さんは皆の前から姿を消した。
 そして今、丘に上ってきた私の前には地蔵が立っている。倒れて池に沈んでいた所を以前お菊が見付け、引き上げてくれたものだ。
「それにしても、郡奉行の夢枕に立って進藤のことを知らせるなんて、えらくまた思い切ったことをしましたねぇ」
 夢、として郡奉行が片付けていたら、今頃どうなっていたことか……。
「あら、また会ったわね」
 ――声がして振り返ると、お菊が花の束を手に私を見、目を丸くしていた。
「あなたもこのお地蔵様が好きなのね。私もそう。とても優しいお顔をしているもの」
 言うと、お菊はいつもと同じように花を供え、手を合わせた。
「ありがとうございます……慈陽様」
 ……そう聞こえた気がした。
 やがてお菊が立ち上がり、私の方を向く。
「お腹空いた? うちにいらっしゃい、何かあげるわよ」
 私はわん、と一声鳴くと尻尾を振り、お菊の足下に擦り寄った。
 握り飯をくれると嬉しいが、どうだろう。
 私は笑顔で歩き出したお菊の後ろについて、夕暮れの中をゆっくりと歩き出した。



 END



《コメント》

 これも「赤法師」と同じく、涼風 涼さん主催の『Creator's Synopsis』の第2回(12年11月度)に投稿した作品です。
「写真を見てそれから物語を作る」というテーマでした。
 原稿用紙5枚程度、という制約があったので、初めてその枚数を書く楓は大変でしたよ(笑)。
「赤法師」とは全く違った世界観を考えてみました。時代劇っぽいですね(笑)


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