記憶  霜月楓

「じゃあ、次。375番」
 帳面を見ながら声を上げると、はい、と声がして女の子が現れた。まだこの体に慣れてないみたいで、ふらふらと飛んでくる。
 途端、僕は息が止まりそうになった――まさかこんなところで会うことになるなんて。
「君は……車にはねられたんだったよね?」
 努めて冷静を装いそう問い掛けると彼女はこくん、と頷いた。
「ねぇ、あたし死んじゃったの? 幽霊になっちゃってる訳?」
 淡く光る自分の体を見下ろしてから、不安げな表情で僕の顔を見上げてくる。
「いや、ちゃんと生きてるよ。君たちは霊魂じゃない。記憶喪失になった『本体』から忘れられてしまった『記憶』だよ。本体の方は、死んだりしてないから安心していい」
「でももう元に戻れない訳? ずっとこんな幽霊みたいな体のままいなきゃいけないの? 大体ここってどこ? お兄さん誰?」
 僕の言葉を聞かず質問責めしたあと、彼女は渋面になった。
「こんな所にずっといるなんてやだよ! あーもぉ最悪っ! カウントダウン見られなかったしもう21世紀になっちゃってるし!」
「僕に文句言われてもね。僕はただの世話役に過ぎないんだから。君の本体が、君――記憶を取り戻したいと思って、なおかつ、上の人が君の退出許可を出さないと」
 忘れられた記憶たちは、この空間へやって来る。そして本体が思い出してくれるまで留まっているのだ。
 僕の仕事は記憶たちをここに集め、見張りや世話をすること。そうしないと、よりどころを失った彼らはふらふらと飛んで行ってしまい、もう二度と本体に戻れなくなってしまう。
「退出許可って、いつ出してもらえるの?」
「さあ……上の人は気まぐれだから。1日で許可を出すことがあれば、10年経ってから出すこともあるし」
 僕は言いながら、改めてその子の資料が載っている帳面に視線を向けた。
 テーマパークのカウントダウンに出掛ける途中の、交通事故。運よく死にはしなかったものの、記憶喪失になったようだ。
「えっと、君の名前は……」
 事務上、一応尋ねると、彼女は肩をすくめてみせた。
「美奈子。広田美奈子だよ。17歳」
 やっぱり。
 思わずペンを持つ手が震えそうになった。それを何とか堪え、口を開く。
「本体が思い出してくれるまで、ここでゆっくりしてていいよ。――はい次。376番」
 僕は帳面をめくると、次に控えていた男の子に視線を動かした。
「……」
 彼女が無言で僕の前から飛び去っていく。そして僕は、それをぼんやり見送っていた。
 ――君は僕のこと、覚えてないだろうね。無理もないけれど。


「お兄さんはいつからここでお仕事してるの?」
 翌日、仕事の合間を見計らったらしい美奈子が僕の前にひょっこり現れた。
「んー? そうだなぁ、大化の改新があった時からかな」
 ペンを置いてそう言うと、えー、それ絶対ウソだー、と美奈子がけらけら笑った。
「だってお兄さん、25か6くらいでしょ? 若作りしすぎー」
「死んだら年とらないんだよ。便利だろ?」
 途端、驚いたらしく美奈子が目を丸くする。
「え!? ……どうして死んじゃったの?」
「交通事故でね。で、その時からずっとこの仕事に就いてるんだ」
 言うと、あたしと同じなんだね、と美奈子は呟き少し俯いた。
「あたしはね、お母さんと暮らしてるの」
「だったら……君のこと、心配してるね」
「うん。死ななかったとしても、ずっとあたしが記憶喪失のままだったら、お母さん悲しむと思うんだ。だから――」
 そして上目遣いに僕を見る。
「だから、早くあたしを帰してくれる?」
 結局は、そこにたどり着くらしい。僕は思わず苦笑した。
「言ってるだろ、それは僕にはどうしようもないんだって。でも――」
 僕はポン、と美奈子の頭に手を乗せた。
「お母さんが待ってるんだったら、何としても帰らなきゃね」
「あー! 子供扱いー! ひっどぉい!」
 頭の上の手が気に入らないらしい。
「ああ、ごめんごめん」
 抗議に苦笑していると、ベルの音が聞こえてきた。新たな記憶たちが来た合図だ。
「直哉、仕事だぞー!」
 僕の同僚が遠くから声を掛けてくる。
「なおや、って言うの、お兄さん?」
「そうだよ。いい名前だろ? ……ほら、僕はもう仕事に戻らないといけないから」
「……」
 急かすように手を振ると、美奈子がこくんと頷き、おとなしく僕から離れる。何か言いたげにこちらを見ていたけど、僕はそのまま同僚の方へ飛んでいった。
「おいおい直哉、いつの間にあんな可愛い子と仲良くなったんだよ〜?」
 僕が傍に寄るなり、同僚がにやにやしながら小突いてくる。
「記憶たちは下界に戻ったらここのことを忘れるんだからな。恋は御法度だぞぉ?」
「うーん。だったら彼女をずっとここにつなぎ止めとこうかな。職権乱用して」
 笑って言うと、呆れたような表情で同僚がポンポン僕の肩を叩いた。
「ほら、バカ言ってないで仕事しろ、仕事」
「あーもう冗談通じないんだから。石頭!」
「何だとぉ?」
 でも――ずっと彼女と一緒にいられたら、どんなにいいだろう。
 同僚には冗談で言ったけど、本当は、心のどこかでそれを願ってたんだ。


 でも願いむなしく一月後、彼女には退出許可が下された。ついに本体へ戻る日が来たんだ。
「ねぇ、直哉さんは生まれ変わること、出来ないの?」
 僕が開いている下界への門を不思議そうに覗き込んでいた美奈子が唐突に聞いてくる。
「出来るよ。でも生まれ変わったら楽しい思い出も、好きだった人たちも何もかも忘れてしまうだろ? それが嫌でね」
「あたしは……忘れられるよりも、ずっと忘れられずにいられる方がつらいな」
 真剣な声。どきっとして振り返ると、彼女が唇を結んでこちらを見ていた。でも、すぐに表情を一転させてにこにこ笑う。
「いつかあたしの子供に生まれ変わってくるってのはどぉ? 直哉さんなら大歓迎!」
「うーん、そうだなぁ……考えとくよ」
「よろしくね。……それじゃ、もう行くよ。今まで色々ありがと。割と楽しかったよ」
 笑顔でぴょこんと頭を下げ、軽く手を振ってから美奈子が門の前に立つ。そこから見える下界では、包帯を巻かれた彼女の本体がベッドの上で眠っていた。
「じゃあね。気を付けて」
 言うと、美奈子はうん、と頷いて門の中へ足を踏み入れた。でもそこで足を止め、不意に振り返って僕に微笑み掛ける。
「お母さんもあたしも、元気だよ。だから安心してね」
「……!」
 言い終わると照れたように笑い、広田美奈子は門の外へ消えていった。
「美奈子……?」
 茫然としていると、再び彼女の声が聞こえてきた。おかあさん、と。
 はっとして下界に視線を向ける。記憶が戻った美奈子が母親を見てもう一度声を上げた。
「……お母さん」
「!? 美奈子……私のことが分かるの!?」
 慌てて駆け寄り、娘を抱き締める母親。
「良かった……良かった……本当に――」
 言葉は、途中から嗚咽に変わった。涙が幾筋も頬を伝う。そして、ずっと握り締めていた懐中時計に落ちてはじけた。
「どうしたのお母さん? 何かあったの? ……って、何であたし包帯巻かれてる訳!?」
 状況が飲み込めず素頓狂な声を上げたあと、美奈子は母親の服を掴んで明るい声を上げた。
「あたし今夢見てたんだ、お父さんの夢! 顔も覚えてないのに。変だよね?」
 へへ、と笑う美奈子と微笑む母親の顔を見たのを最後に、僕はゆっくりと門を閉めた。
 忘れられるのがこわくて名乗れなかったのに、美奈子はちゃんと気付いてたんだ……。
「お父さん、か……」
 呟いていると、背後から声が聞こえた。

「広田さん」

 別の同僚だった。分厚い書類を持っている。
「お仕事再開ですよ……って、どうかしたんですか? そんな嬉しそうな顔しちゃって」
「懐かしい声を聞けたんだ。17年ぶりにね。ずっと会いたかった子にも会えたし……」
 美奈子の母親が握り締めていたのは、僕が死んだ時に身に付けていた懐中時計。
 見守ることも出来ず永い年月が経ったけど……でも忘れられては、いなかったんだな。
 幸せな思い出を忘れたくなかったから、僕はいつまでもここでこうしていたけど……。

『お母さんもあたしも、元気だよ。だから安心してね』

 ……そろそろ、いいかもな。
 僕は微笑んで、おそらくもう二度と見られないだろう妻と娘の顔を思い出していた。



 END



《コメント》

 これは涼風涼さん主催の『Creator's Synopsis』の第4回(13年1月度)に投稿した作品です。
 テーマは「20世紀に忘れてきたもの」。原稿用紙10枚程度、という条件でした。
「彼」の正体、もう最初からバレバレってカンジですね(^_^;)
 如何でしたでしょうか?


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