Lunatic Love  霜月楓

「待ってよ! また奈緒のところに行くの?」
 ジャンパーのポケットに手を突っ込んで歩いていこうとした浩樹に追いつくと、私は彼の腕を掴んで声高に叫んでいた。
「……」
 浩樹は答えようとせずに、口を閉ざしたまま私から視線を逸らしてる。
 だけど、黙ってたって分かるわよ。あなたの心が、今はもうすっかり奈緒のところにあるってことくらい……。


 奈緒は中学の時からの私の友達だった。
 優しくておとなしい子で、何をするにも消極的。いつでも「真梨、真梨」って私にくっついて来た。
 好きな人がいても告白なんてとても出来ない子だったけど、あの大きな瞳でにっこり微笑むだけで、大抵の男は彼女を好きになるわよ。
 そして、その『大抵の男』の中に浩樹がいた。
 二か月前に私が浩樹を紹介した時、奈緒はお得意のポーズで彼に微笑んだわ。
 もちろん、彼女にその気はなかったんだろうけど、浩樹の方はその日以来、ちっとも私に構ってくれなくなった。
 こんなことになるって分かってたら、奈緒を浩樹に紹介なんかしなかったのに!


「待ってよ浩樹! 奈緒のところに行かないで!」
 私の手を振り払った浩樹にもう一度叫んだけど、浩樹は私を振り返ろうとせずに歩いていってしまった。
「悔しい!」――その思いだけが、私の中に残った。


 その日の夜は満月だった。
 私は溜息混じりに頬杖をついたまま、煌々と輝く月の光を窓辺から見上げていた……たった一人で。
 以前なら、浩樹が私の傍にいてくれたのに。
 なのに……!
「浩樹……」
 無意識のうちに唇を噛み締めた私は拳を握り締めていた。
 それは浩樹が来ない『淋しさ』からじゃなく、浩樹が来ない『悔しさ』からのことだった。
 浩樹がもう私のところへ戻ってこなくなったら……ううん、そんなことは考えたくもない!


 その夜、私は夢を見た。とても恐ろしく、無気味な……。
 今日と同じ満月がその夢の中でも私と、私の目の前を歩く浩樹と彼女とを照らしていた。
 私が黙って後ろからついていくのを二人とも気付いていないらしく、浩樹がしきりに彼女に何か話していた。
 彼女の顔は見えないけど、きっとまたあの微笑を満面に浮かべてるに違いない!
 そう思うと、また今日のあの悔しさが蘇ってきた。
 奈緒さえいなかったら――不意に、そんな考えが私の頭をよぎった。
 奈緒さえいなかったら、浩樹とも前みたいにうまく行ってたはずなのに!
 奈緒さえいなければ……!
 そして私は、浩樹と別れた奈緒にゆっくり近付いていくと、夢だからそんなものを持っていたんだろうけど、手にしていたナイフを思い切り奈緒の背中に突き刺した。
 人を刺す、何とも言えないおぞましさが私の全身を撫で回すように走る。
 奈緒の血が飛び散って、私の頬を気味の悪い、生暖かな感覚と共に伝い流れ落ちていく。
 この時、『人間』としての理性なんてものはもう既に、私の内になかったのだと思う。
 だって、私に刺された奈緒が体を一瞬硬直させて、手にしていたバッグを地面に落としたことまで、冷酷な光を帯びた私の目にはしっかりと映っていたんだから……。
 痛みと苦しみとの中で必死に振り返ろうとする奈緒の背中に、私は何度も何度もナイフを突き刺した。
 ……その時にはもう奈緒の顔も、朱に染まる自分の手も私には見えなくなっていた。
 浩樹を奪った奈緒が私にはどうしても許せなかった。
 中学の時から一番の友達だと思っていたのに、私の彼を奪って平然としてるなんて!
 ――うつ伏せに倒れた奈緒の背中を一瞥してから、私はこの事件の唯一の目撃者である満月を見上げた。
 満月の夜は人を不思議な気持ちにさせるって、前に聞いたような気がするけど、本当にその通りだわ。
 大好きだったはずの友達をこんなふうに殺したっていうのに、今の私に後悔なんて気持ちは全くない。
 逆に、浩樹が自分のものになったという満ち足りた幸福感でいっぱいだった。

 ――私は、青白い月光を浴びながら自分が笑みを浮かべるところで夢から醒めた。

「夢……か……」
 半身を起こして呟いた私は額を手で軽く拭った。
「……!?」
 生暖かな感覚がして、慌てて手を見る。でもそれは血ではなく、悪夢を見た私がかいた汗だった。
 小さく安堵の息を洩らし、再び汗を拭ってカーテンを少し開くと、そこには夢で見たばかりの、青白い満月が輝いていた。


 ――それから一か月近く経ち、あの夢のことを忘れてきた頃に私はバイトに行く途中で偶然奈緒と出会った。
「久し振りね、奈緒の顔見るのも。……浩樹とはうまくやってるの?」
 皮肉を込めて言うと奈緒は申し訳なさそうな顔をしていたけど、やがて俯いてしまった。
 自分の立場が悪くなった時の、いつもの癖よ。本当に悪いと思ってるのか疑わしいわ!
「あんたのせいで何もかもめちゃくちゃよ! あんたが私たちの仲を引き裂いたから! 何とか言ったらどうなの!?」
「……ごめんなさい……」
 今にも消え入りそうな、か細い奈緒の声。
「ごめん、だけで済ませる気!? ほんっとに調子いいわね!」
「……」
 余計に俯いた奈緒。
「奈緒はいつも自分じゃ何も出来なくて、人にやらせてたわよね。今度もどうせ、自分じゃ探せないから私に彼氏作らせといて、それを奪ってやろうって思ってたんでしょ!」
「そんな……」
 泣き出しそうな顔で必死に否定しようとする奈緒。
 でも、私はそんな彼女を一笑した。
「奈緒、あんた今まで何かやっても私が許してたからって、今度も許されると思ってんの? 冗談じゃないわ! あんたは絶対に許さないんだから!」
「真梨……」
 奈緒はあの大きな瞳に涙をいっぱい浮かべて私を見ていたけど、私の心は決して動こうとしなかった。


 それからしばらく経って、私は奈緒が交通事故に遭ったことを知った。
 幸い、奈緒の命に別状はないらしいけど……でも私は、奈緒のことが気になりながらも、どうしても病院に行くことが出来なかった。
 そして、奈緒が入院してから何日か経ったある日の夕方、私は浩樹に再会した。
 浩樹はどうやら奈緒の見舞いの帰りらしかった。
「真梨、お前奈緒の見舞いに行かなくていいのか? あいつもお前に会いたがってたぞ」
 ……会ってはじめに言う言葉がそれなの?
 久し振りに会ったっていうのに、奈緒のことばっかり……私の気持ちなんか全然分かってくれない!
「どうして見舞いに行かないといけないの!? 奈緒なんてもう友達じゃない! 行く必要だってないでしょ!」
「真梨……」
 驚いた顔で私を見る浩樹。私がこんなこと言うなんて思ってもみなかったって考えてるのかしら。
「あんたのせいでしょ! あんたが奈緒なんか好きになるから! 奈緒のどこがいいって言うのよ! あの子は一人じゃ何にもできないじゃない! いつも私が奈緒の代わりに色々してやって……!」
「お前のそういうところが嫌だったんだよ! わがままで、いつも自分が中心になっていないと気が済まない、そんなお前が! 奈緒は確かにお前みたいに行動的じゃないけど、あいつと一緒にいたら落ち着くんだ。だから……」
「聞きたくない! もういいわよ!」
 私が奈緒と友達になりたいって思ったのは、彼女と一緒にいたら落ち着くからだった。
 なのに……!
「奈緒とお幸せに! 奈緒を連れて、海でも山でも地獄でも、行きたいところに勝手に行きなさいよ!」
 もう浩樹が私のところに戻って来ることはないって、とっくに分かってたはずなのに。
 なのに、事実を認めたくなかった私は奈緒にひどいことを言って、ここでも浩樹に……。
「……分かったよ、じゃあな」
 少しムッとした顔で浩樹はそう言うと、分かれ道で私に背を向けて、振り返りもせずそのまま歩いていった。
(浩樹……)
 過ぎ去っていく浩樹の後ろ姿を見送る私の頬を、涙が伝っていた。
 私は、浩樹の愛があればもう他には何も要らなかった。なのに、その愛を失ってしまった。
 もう、私に残されたものは何もない……。
 私は浩樹の姿が見えなくなるまでその場にじっと佇んでいたけど、やがてゆっくりとした歩調で歩き出した。
 その時……だった。
「……!」
 突然、私は背中に鋭い痛みを感じた。
 冷たいものが背中を伝って流れ落ちていく。
 血が一滴一滴路上に落ちていく中、私は今自分に起きていることが把握出来なかった。
 この背中の激痛は……一体?
 体の痛みが抜けていくのが自分でも分かる。
(どういう……こと?)
 私は力を振り絞って後ろを振り返った。相手はその間に何度も何度も私を鋭利な刃物で刺していく。
 薄れゆく意識の中、私は、私を殺そうとしている相手の顔をしっかりと見た。
「……!」
 ――信じられなかった。
 そこには、一人の男への愛のために心を冷たく凍らせ、すさまじい形相をしている私自身の姿があった。
(あの時の夢……!)
 私の記憶の中で、あの悪夢が蘇る。
 はっとして頭上を見上げると、そこには青白く光り輝く満月が私ともう一人の私とを見下ろしていた。
 こんなことって……。
「浩……樹……」
 私の口からこぼれた最後の言葉はそれだった。
 そして、力尽きてうつ伏せに倒れた私は、もう一人の私の言葉を聞いた。

「浩樹は誰にも渡さない……!」

 そう……私は浩樹を誰にも渡したくなかった。
 私には浩樹が全てだったから。だからこんなことに……。
 暗い静寂の中、冷たい夜風が私を包み、冷たく暗い死へといざなっていく。
 意識が遠のいていく私を、青白く浮かび上がる月はただ静かに照らしているだけ……。
 もう何も見えない……去っていくもう一人の私の姿も。
 もう何も聞こえない……自分の胸の鼓動さえも。
 これが狂った愛の末路なのね……。

**********

「真梨! 真梨! しっかりして!」
 ベッドに横たわった真梨を、彼女の母親が必死に呼び掛けながら揺さぶり続ける。
 真梨は、自分を殺してしまった夢を見た日から、ずっと眠り続けている。
 ――もう、真梨が目覚めることは決してない。
 何故なら、彼女は自分自身、つまり『自分の心』を破壊してしまったのだから。
 真梨は眠り続けるのである。
 永遠に………。



 END



《コメント》

 いや〜、こんなん載せていいんでしょうか。はっきり言って暗いですねー。
 文章も拙い拙い(笑)。
 実はこれ、数年前に書いた作品なんですよ。
 文章の拙さはそのためです……って、今と大して変わりありませんね。(;_;)
 月って、普段心の奥底に潜んでいる人間の本性みたいなものを吐露させてしまう力があるように思います。
 だから、「神聖」というよりはむしろ「邪悪」ってカンジですね、楓が持っている月のイメージは。
 あなたは月にどんなイメージを持ってますか?


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