今日は何の日?  霜月楓

「遅いっ!」
 祐司の顔を見るなり、開口一番、恵里が言ったのはそれだった。
「ごっ、ごめんごめん。仕事が忙しくて……」
 息を切らせた祐司が頭を掻き、申し訳なさそうに恵里の顔色を窺う。
 2人の前に建っているのは、恵里がお気に入りのレストラン。そしてまわりを行き交うのは幸せそうに手をつないだ恋人たち。
「今日は7時って約束じゃなかった?」
 まわりの雰囲気お構いなしに、険悪な声を出して祐司を見上げる恵里。
「もう8時だよ! 祐司が仕事忙しいのはちゃんと知ってる! でも、遅れるなら遅れるで、携帯に連絡してくれたっていいじゃない! こっちから掛けたって、電源切っちゃってるし! 心配したんだから!」
 あまりの剣幕に、『電池が切れたんだ』と言うに言えず祐司はひたすら謝った。
「ごめん、ほんっとにごめん! おわびに次の休みに恵里の好きなところに連れていくから。あ、それともこないだできた映画館に行くっていうのは――」
「もういい!」
 苛立った気持ちを隠しきれず、口を尖らせて祐司を睨む。
「今日が何の日か、知ってるでしょ!? 今日じゃなきゃ意味ないんだから! あたしがせっかく――」
 口を尖らせたまま、恵里が自分の持っている袋に視線を落とす。
 しかし、一方の祐司はきょとんとした表情になった。
「え? 今日? 水曜日……だよな。恵里の誕生日は7月だし、俺のは5月――」
 眉根を寄せ、腕を組んで考え込む祐司。何も思いつかないらしい。
 しかし、それではますます彼女の機嫌を損ねることになると思い、慌てて口を開いた。
「あ、そうそう、俺達がつき合い始めて1年だ! ……そうだろ?」
「違う」
 恵里は怒っていいやら呆れていいやら分からなくなり、深々とため息をついた。
「それは来月だよ。27日。それも忘れてたんだね、祐司」
 半眼になった恵里が祐司に背を向ける。
「悪いけど、あたしもうご飯食べる気分じゃなくなったから帰る。じゃあね」
「え!? あ、ちょっと待ってくれよ恵里!」
 叫んだけれど、恵里は一度も振り返ることなく、雑踏の中に消えていった。


「大体何な訳!? こんな大切な日を忘れるなんて!」
 恵里は部屋に戻るなり、床に転がっているクッションを思わず蹴り上げていた。
 祐司が多忙で、その上救いようもないほどもの覚えが悪いことはよく知っている。
「だからって、今日が何の日かくらい覚えててくれたっていいのに!」
 どうして気付かないんだろう。普通、覚えているものだろうに。
「あたし、バカみたいじゃない」
『つき合って』と言ったのは自分の方。そして、一度も彼から自分への気持ちを聞いたことがない。
 自分ばかりが一方的に祐司のことを好きで、彼の方は何となくつき合っている、というだけなのだろうか。
「バカ」
 タンスの上に飾っている写真立ての中の祐司を恨めしげに睨み、ぽつりとつぶやく。
 荷物を無造作にベッドの上に放り投げ、そのまま自分も倒れ込んでから顔を上げる。ちょうどそこには鏡があった。
 鏡に映った自分の半泣き顔は本当に醜く、恵里は顔をしかめてその鏡を伏せた。
「……バカ」


 それから、どれくらいの時間が経っただろう。
 ピンポン、と遠慮気味にベルが鳴る音で恵里は目を覚ました。
 どうやら、あのまま眠ってしまったらしい。時計を見ると、もうすぐ午前0時だ。
「誰よこんな時間に……」
 眉をひそめてつぶやいた途端、扉の向こうからベルと同様、遠慮がちな声が聞こえてきた。
「俺だ、恵里」
 扉へ向かって歩き出していた恵里がその言葉で足を止める。祐司だ。
「……何しに来たのよ」
 扉を開けるなり言う。そのまま追い返しかねない雰囲気に、祐司が頭を下げた。
「ごめん、恵里」
 そして頭を上げ、神妙な顔で恵里を見て言葉を続ける。
「どうしても今日中に恵里と会いたかったんだ。だから――」
「何よ、あたしとはもう別れたい、とか言いにきたの? 仕事が忙しいんだから、わがまま言うな、とか?」
 ああ、あたしって何て嫌な女なんだろう。嫌みしか言えないなんて。
「違うよ! 俺、仕事やってる時だってお前のこと気になって全然手がつかなかったんだ。だって――」
 お前のこと、好きだから。
 突然そう言われ、照れくさくなって祐司から目を背ける恵里。
「な、何クサいこと言ってんのよ!」
 赤くなっていると、祐司がうれしそうな表情で言葉を続けた。
「俺、今日が何の日か思い出したんだ。今日、14日だよね」
「……」
「さっき持ってきてくれてたんだろ? ごめんな、気がつかなくて。それで……もし良かったら、もらえないかな? おわびに、俺も食いモン持ってきたんだ」
 言って、祐司が左手に持っていたビニール袋を掲げてみせる。
 この匂いは。
「……何でたこ焼きなのよ」
 怒るのもバカバカしくなり、呆れた顔を祐司に向ける恵里。
「うちにたこ焼き機があるんだ」
 にっ、と笑う祐司。
「恵里がせっかく手作りしてくれたんだから、俺も手作りしなきゃと思って」
 何で手作りしたって分かるんだろう。そう思いながら、恵里はビニール袋の中の怪しげな物体を見下ろした。
「ちゃんと食べられるんでしょうね、それ」
 半眼で恵里が聞くと、祐司は大丈夫、とにっこり笑った。
「ちゃんと味見してるから。なかなかうまいんだぜ。俺、才能あるかもしれない」
 どこがだ。
 そう言いかけた恵里の唇が塞がれる。
 ――バレンタインの夜のキスは、たこ焼きの味がした。



 END



《コメント》

楓・初の恋愛もの!
……あまり「恋愛!」ってカンジでもなかったですがね。
読み返すとかなり恥ずかしいんで、もうこのままアップ!
ミナサマ、如何でしょう?(*^^*)


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