今日のさそり座の運勢は?  霜月楓

《今日一番アンラッキーなのはさそり座です》
 聞こえてくる女性の声に眠りを妨げられ、二宮千香は薄目を開けた。
《今日のさそり座のラッキーカラーは黒。ラッキーナンバーは7。ラッキーアイテムは鍵。相性がいいのはうお座の人です》
 目覚まし代わりに使っているテレビだ。占いをやっている、ということは、7時20分過ぎだろう。
 会社は9時から。バス通勤なので家を出るのは8時20分。あと5分は眠れる。
(それにしても、さそり座がまた最下位!? 占いしてる人、さそり座に恨みでもあるんじゃないの!?)
 ボヤきながらふとんにくるまり直した千香の耳に、再度女性の声が聞こえた。

《3月5日、月曜日。時刻は9時になりました。次のコーナーは『今日のにゃんこ』です》

(…………は?)
 聞き間違いかと思い、恐る恐る布団から首を出して時計を見上げる千香。
 否、聞き間違いではなかった。時計の針は間違いようもなく、9時を示している。
 そう言えば、あの占いは9時前にも再放送をしていた気が……。
「うっそぉぉぉっっ!」
 奇声を発して跳ね起きる。そして千香は慌てて枕元の電話に手を伸ばした。
 会社では『まじめ』で通っている千香である。9時を過ぎても出社しなかったら、上司や先輩に心配されるだろう。
 会社の番号を押すと、2コール鳴ったところで上司が出た。
「あ、おはようございます、二宮です。今病院なんですけど……ええ、ちょっと具合が悪くなって。連絡遅れてすみません。診察が済み次第、すぐ出社しますから」
 今にも死にそう、という口調で言うと、電話の向こうから心配げな声が返ってきた。
《大丈夫? まだ具合悪いようだったら、今日は休んでも――》
「大丈夫です。こんな忙しい時に休めませんし、病院を出たら急いで行きますから。ほんとにすみません」
《無理しないでいいからね》
「はい。……お疲れさまです」
 ――ガチャン。
「よっしゃっっ!」
 電話を切るなり、今までのしおらしさはどこへやら、ガッツポーズをとる千香。
 アカデミー賞ものの名演技、と自画自賛。実は彼女、まじめなのではなく、外面がいいだけなのだ。
 それでも、ゆっくりとはしていられない。タクシーだと20分で着くから、懐が痛くなるが今日はそれで行こう。
 そう考え、手早く支度すると、千香は慌ただしくマンションの部屋を飛び出した。


 しかし、ついてない時は本当についてないものである。
 向かったタクシー乗り場は空。流しのタクシーですら、どれも客を乗せている有様。
(こういう時に限ってどうしてよぉっ!?)
 会社方面に歩いていた足を止めて顔をしかめる千香。
(具合がまた悪くなった、とか言って休んじゃおうかなぁ。あ、でも……)
 良からぬ方に進んでいた思考を中断させてカバンの中を覗き込んだ、その時。
「あれ、二宮さん?」
 背後から聞こえてきた、覚えのある声。
(こっ、この声は七瀬さん!)
 目を輝かせて振り返ると、営業部の男性が車の窓から顔を出してこちらを見ていた。
「どうしたの二宮さん? 会社は?」
「あ、えっと、その、病院に行ってたんです。で、今から出勤しようと……」
「ふーん?」
 言いながら、七瀬が千香の後方に目をやる。そしてそこで固まったのを訝しく思い、振り返るとそこには小さな病院が。

『三村産婦人科』

「ちちち、違います! ただの風邪なんですっ! 熱っぽくて時々吐き気がして……」
「……」
 墓穴を掘っていく千香。
「……ごめんなさい、ただの寝坊なんです。タクシーがなかなかつかまらなくて……」
 しゅんとして白状すると、七瀬は苦笑してから自分の車を指さした。
「乗ってく? 俺も今からなんだけど」
「あ、はい! 助かります!」
 ぱあっと顔を輝かせ、七瀬の車にいそいそと乗り込む千香。
「俺も寝坊したんだよ。支店長に『病院に行く』って電話して……二宮さんと同じだね」
 車を発進させながら七瀬が笑う。
「起きたら9時。あせったよ。昨夜は遅くまで騒いでたから、自業自得なんだけど」
「昨日、七瀬さんのお誕生日でしたもんね」
 言い、七瀬がきょとんとしていると信号が赤になった。これ幸いとカバンから小さな箱を取り出す千香。
「それであの……これ、ボールペンなんですけど、良かったら使って下さい。いつもお世話になってるから、と思って!」
「え? あ、ああ、ありがとう。でも、よく俺の誕生日を知ってたね?」
(七瀬さんの誕生日を知らないはずないじゃない! 3月4日生まれ、うお座のB型! 二宮千香、情報収集に抜かりなしっ!)
 千香はにやけた顔を隠すようにカバンの中へ視線を落とした。
「……あれ?」
 そこで千香の動きが止まる。
「どうかした?」
 七瀬が訝しげに聞くと、千香は慌ててカバンを探ってから、青ざめた顔を彼に向けた。
「あ、あの、鍵……忘れてきちゃいました……」
「え? でも玄関の鍵、掛けてきたんだろ? だったら忘れるなんてこと――」
「いえ、鍵を部屋に忘れてきたんです。で、玄関の鍵も掛けてない……」
「ええっ!?」
 ぎょっとする七瀬と、頭を抱えて呻く千香。
(うわぁ、泥棒に通帳とか盗まれてたらどうしよう! あたしの全財産入ってるのに!)
「に、二宮さん、大丈夫?」
 七瀬が恐る恐る千香に声を掛けるが、パニック状態の彼女には聞こえていない。
(あああ、どうしようどうしよう〜!)
 しばらくの間、千香の頭の中には最悪の状況が駆けめぐっていた。そして、引きつった表情で七瀬を振り返る。
「七瀬さんっ! ごめんなさい、あたしここで降ります。家に戻りますから!」
「……」
 信号が青に変わる。七瀬はやれやれ、というように苦笑すると車を脇に停めた。
「送るよ。家、どこ?」
「へっ!?」
 降りようとしていた千香が間抜けな声を出して七瀬を見、それから腕時計へと視線を動かす。9時半だ。
「いいんですか? お仕事の方は――」
「だって、二宮さんが帰るまでに泥棒に入られてたら嫌じゃないか。俺が送ってたら間に合ったのに、とかなったら。今日は午前中、得意先回りがないから1時間遅れても2時間遅れても一緒だしね」
 一緒ではないと思う。そう言いかけた千香を、七瀬の言葉が遮った。
「それに、今日くらいは一緒に怒られてもいいんじゃないかな?」
 くすくすとおかしそうに笑う七瀬。
「うお座とさそり座、今日の相性いいんだよ。知ってた?」
「ええ、9時前の占いで……って、あれ? あたしがさそり座だって、どうして知ってるんですか?」
(もしかして! 七瀬さんもあたしのこと見ててくれてたとか!?)
「だって、この前送別会の時に酔った二宮さん、『私さそり座なんですよ〜七瀬さんは〜?』って絡んできただろ?」
(このあたしとしたことが、今まで全然気付かなかったなんて! 一生の不覚っ!)
「それで覚えてたんだけど……って、聞いてる? 二宮さん?」
 聞いていない。
(うわぁ、どうしよう! 七瀬さんと両想いだったなんて!)
「もしも〜し?」
 七瀬の声も、千香の耳には届かない。
 彼は小さく首を傾げ、それから車をUターンさせた。そして再び口を開く。
「二宮さんって、思ってたよりずっと……楽しい人なんだね」
 それはこういう場合、決してほめ言葉ではない。が、やはり千香の耳には届いていない。
「あ、そうそう。俺の彼女もさそり座でね。だから覚えてるんだ、今日の相性。あの占い、結構当たるらしいよ」
 自分の世界に入り込んでいた千香が、その言葉でようやく現実に引き戻される。
「へっ? 彼女、いるんですか?」
「うん。あれ、知らなかった?」
「…………」
 二宮千香、情報収集に抜かりあり。一番肝心なことを収集し忘れている。
 やはりさそり座の今日の運勢は、あまり良くないようだ。
 千香の目の前が、真っ暗になった。



 END



《コメント》

 これは涼風涼さん主催の『Creator's Synopsis』の第5回(13年2月度)に投稿した作品です。
 テーマは「鍵」。原稿用紙10枚程度、という条件でした。
 何とゆーか……コメディですね、これじゃ(笑)
 楓の実体験が75%含まれてるとか含まれてないとかいう噂がちらほらと。(笑)


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