掌編――春夏秋冬  霜月楓


《もしもし?》
 懐かしい声。一瞬言葉を失ってしまう。
「……春香?」
かすれる声で言葉を紡ぐ。途端、相手は声を弾ませた。
《美雪!? うわー、久し振り! 元気してた?》
 ああ、全然変わってない。……ううん、やっぱり変わったかな。
 春香の側から聞こえる可愛らしい声に、時間の流れを実感させられる。
 だーとかぷーとかいうよく分からない言葉も、春香はちゃんと理解できるみたいだ。
《ああ、香澄、ちょっと待っててね》
 子供をあやす、母親の声。とても幸せそう。
「いつもはがきとかメールとかばかりだから、声が聞きたくてね」
 手の中にあるハガキを見ながら、私は微笑んだ。香澄ちゃんの写真つきの年賀状。
《ね、美雪。いつか遊びにおいで? こっちは今、桜が咲いててきれいだよ》
「そっか、もう春だもんね。こっちはまだ雪が降ってるよ」
 窓の外を見ながら言うと、電話の向こうの春香が小さく笑った。
《……電話っていいよね》
 はがきよりメールより、ずっと近くに相手を感じられる。どんなに遠く離れていても。
 受話器越しに、春が感じられた。




《だから、えっと……37x+2y?》
 電話の向こうからこっちを窺うような声が聞こえてくる。
「何でそうなる訳? 答えは42xでしよ」
 扇風機がかき回す生ぬるい風が頬に当たる。ああ、クーラーが欲しい。
 お父さんにお願いしようかな。受験生の特権、多少のわがままは許される。
《だって数学って苦手だし……それにしてもお前ってすごいよな。こないだも学年トップだったろ? 俺も幼なじみとして鼻が高いよ》
 あんたはあたしの肩身を狭くしてるけどね。
「あんたさー、今日で夏休みが終わるってのに宿題が全然できてないって、どういうこと? それでも受験生!?」
 一気にそれだけ言うと、電話の向こうから気だるげな声が返ってきた。
《だってこうも暑いとやる気失せるだろー。今日って熱帯夜らしいしさー》
「さっさと終わらせてくれない? あたしだって自分の勉強があるから、あんたにいつまでも付き合ってられないんだよ」
《じゃあさ、明日の朝ノート見せてくれる? そしたら今日は俺もこのまま寝――》
 ピッ。
 最後まで聞かず、あたしは電話を切った。
 自分だけでやれっての。
 泣いて頼まれたって、明日は絶対ノートを見せてあげないんだから。




《――現在電話に出られませぇん。ご用の方はピーッとゆー発信音のあとに――》
 ピッ。
 ふざけた留守電の声を最後まで聞くことなく、あたしは電話を切った。
 まわりにはたくさんの夜店、元気に走ってる子供たち。今日は秋祭りだ。
 斯く言うあたしも、今日は新しい浴衣を着てる。お母さんが仕立ててくれたものだけど、結構お気に入り。
 なかなかかわいいぞ、あたし。
 にやけてると、突然携帯が鳴り出した。パッヘルベルのカノン。
《ごめん、久美。今ちょっと手が離せなくて……今どこだ? さっきの場所に行ったのにお前いないしさ》
「あ、洋二? えっとね、今はきんぎょすくいの店の前にいるよ。それと、さっき言い忘れちゃったんだけど、リンゴあめも買ってきてくれる?」
《何ぃっ!? ……あ。》
 間抜けな言葉の後半部分がやけに近くから聞こえたので振り返ると、そこには人波にもまれてる洋二の姿があった。
「俺はお前のパシリかぁっ!? 大体、食いたきゃ自分で買いにいけよっ!」
 右手にたこ焼き2パック、左手にお好み焼き2パック、右腕にとうもろこし2本が入った袋、左腕には缶ジュース2本が入った袋。
「何言ってんの。そのために洋二は携帯持ってんでしょ?」
 ひらひら手を振ると、洋二は半眼になった。
「……いつか別れてやる。」
 ぼそっと洋二の声が聞こえた気がした。でも当然、あたしは聞こえないフリ。
 耳にたこができるくらい、聞き慣れてるしね。




「正月休み?」
 私は聞き返しつつ、こたつの中から首を出した。
《たまには戻ってきなさいよ。お父さんも、あんたが帰ってくるの待ってるみたいだし》
「んー、私もそうしたいんだけどさあ……」
《また帰れないの?》
 とても残念そうな、母の声。
 老けたな、と最近よく思う。私が家を出た頃にはもう少し声に張りがあったのに。
「お母さんは、正月どこかに行くの?」
《行くもんかね。お父さんと二人で寝正月だよ》
「ふーん……ああ、そうそう。生姜湯、届いたよ。ありがとう」
 カップに入れた生姜湯。底の方に沈殿しているのをスプーンでかき混ぜながら言う。
《それ飲んで、風邪ひかないようにしなさいよ。そうでなくてもあんたは体弱いんだから》
「うん、分かった。ごめんね、帰れそうになくて。……じゃあね」
 ……チン。
 電話を切った私は、こたつの上に載せた航空券を手にとった。
 行けない、って言っておいて突然顔を出したら、二人ともびっくりするだろうな。
 生姜湯の入ったカップを両手で包み込んで微笑むと、掌に温もりが伝わってきた。




《コメント》

6666HITの有沢ケイさんリクエスト「電話をテーマにした掌編」。
有沢さんにはすでに渡していたんですが、何故かここでのアップをすっかり忘れていた作品(笑)
いや〜、それにしても掌編って書くの楽しいですね♪


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