ティナとゼロちゃんの仁義なき戦い  霜月楓

「えー。それでは、レポートの提出は三日後。題名は自由。枚数は十枚以上。千枚書いた人には、ごほうびとしてジャムパンを一つ差しあげます。……あ、出さないなら出さないでも構いませんよ。単に、皆さんが卒業できなくなるというだけですから」
 ――教授のその薄情な言葉は、教室内にいる全員を、一瞬にして奈落の底に突き落とした。
 ティナもその一人である。
 今までの学生生活の中で、何度もこのふざけた教授を谷底へ突き落としてやろうだとか、家に爆弾を送ってやろうだとかいった、実行すれば有罪間違いなしの過激なことを思ってきた。
 そんな彼女がこれまでどうにか無罪でいられたのは、彼女が教授に弱味を握られていたからでも、ましてや、彼に惚れていたなどというふざけたことからでもない。
 教授はどんなことをしても死なない、という言葉が長い年月、生徒達の間で伝説のように語り継がれているからである。
 その不死身の男――ゼロ氏は『国語演習学』という講議を受け持つ教授で、歳はおそらく五十代前半、白髪の頭は禿げる様子もなく、いつもふさふさとしている。
 ここは中学から大学までがエスカレ−タ−式で組織された学校であり、広大な敷地内に中学・高校・大学が揃っている。
 それ故なのか何なのか、普段は大学にいる教授たちが中学で講議をすることもあるという、かなり変わったところだった。普通の学校では、たとえエスカレーター式の学校だとしても、そういうことはまずあるまい。
 その学校に籍を置いているゼロ教授は眼鏡を掛けていて、黙って立っていれば知的な雰囲気が漂っている人。
 しかし一度口を開けば、どんな文献の解釈をしていても、それはいつしか生徒たちをいぢめて遊ぶ格好の材料となる運命にある有り様なのだ。
 かくして、この教授の鬼のような言葉は、ティナの頭にグサグサと容赦なく突き刺さったのだった。
 ――対するはティナ。彼女は年齢十五。茶色い髪を肩まで伸ばしている、元気だけが取り柄の女の子。
 何しろ、学校に行って彼女がすることは『食う・寝る・遊ぶ』――この三つに尽きる。
 彼女曰く、学校とは『家で寝足りなかった分、思い切り寝るために存在する場所』であり『友達と騒げる最高の場所』なのだ。
 その彼女も、ついに卒業するという時期になった訳だけれど、生徒をからかって遊ぶことを楽しむこの教授が、彼女たちを楽に卒業させてくれるはずはなかった。
 つい一分前までは、学校の帰りに行きつけの店に寄ってソフトクリームを食べよう、と夢見心地になっていたというのに、その夢も一気に遠のいてしまった。
「お……鬼だ――っっ!」
 ティナが叫ぶと、教授はにんまり笑い、「おや、卒業間際になってやっと分かったんですか? 私は『鬼のゼロちゃん』と言われてるんですよ」……と、『教授』と名の付く人達があまりの威厳のなさに抗議しそうなくらい、ふざけたことを口にした。
「なーにがゼロちゃんだ。精神年齢がゼロなんじゃないの?」
 思わずそう言いそうになって、慌てて口を押さえるティナ。
 いけない。こいつとまともに付き合ってたら、あたしまでおかしくなっちゃう!
「――それでは皆さん、頑張って下さいね」
 満面に楽しげな笑みを浮かべてゼロ教授が教室を出ていく。
 ティナたち生徒はこの瞬間、殺せないまでも彼に大怪我を負わせて学校に来られないようにしよう、と本気で考えていた。


「で、ティナはどうする、レポート?」
 帰り道、小石を蹴飛ばしながらティナの友達・ルルが聞いてきた。
「やるっきゃないでしょ。もう今日から徹夜だね。あーやだやだ」
 必死にレポートの内容を考えながらティナが返事をすると、ルルはそんな彼女をおもしろそうに眺めた。
「さすがのティナもゼロ教授には敵わないんだね」
「だって、あいつは殺しても死なない奴なんだもん」
「でも、それって単なる噂じゃない。実行した人なんていないでしょ」
 ルルのその言葉にティナは即座に答えた。「いるよ」
「えっ!? ……誰!?」
「あたし」
 目が点になるルル。しかしその一方で、実証済みだったのか、と感心してしまう。
「この前階段から突き落としたら、かすり傷一つ負わずにまたスタスタと歩いてったんだ、あいつ」
「へっ!? ……どれくらいの高さ!?」
「三十センチ」
「……をい」
 ルルはティナの横顔を見ながら、講議をする教授が教授なら、講議を受ける生徒も生徒だと、溜息混じりに考えていた。


 それから恐怖の日まで、ゼロ教授はどこかの学会に出席していて学校には不在だった。
 そういうことを聞くと、あの人もそう言えば教授なんだよな、と生徒たちでも思い出すことができるのだが、普段の様子から見れば、いたいけな(?)生徒たちをいたぶって遊ぶのが趣味だという、何とも理解しがたい奴である。
 そして、今は『言語学』の授業中。
 この授業を受け持っているのはテンといって、ゼロ教授の友人だという、こちらもふざけたオヤジだった。
 一本しかない髪を大事大事に扱い、頭髪崇拝者かと言いたくなるほど髪に執着している。
 で、その授業というのが……。

「昼寝です」

「……は!?」
 ティナたちは思い切り面喰らって、思わずテン氏に聞き返していた。
「昼寝です。今日は徹夜明けで大変眠いんです。ですから授業はしないで寝ます。皆さんもどうぞご自由に」
「……」
 何というオヤジだ。教授が変だと、友人までもが変になるものなのだろうか?  だとすれば、教授から講議を受けているあたしたちは……。
 ――やめよう。頭が痛くなるだけだ。
 ふと見ると、いつの間にかテンはぐーぐーいびきをかいて眠っている。しかし、彼に続いて寝ようなどと考えている輩は一人もいなかった。
 ――明日なのである!
 ゼロ教授がジャムパン片手にニヤニヤしてティナたち哀れな小羊を見、狼の如く舌舐めずりをして食べ――否、留年させようと待ち構えている日は。
 中学だからといって、すんなり進学させてくれるほどゼロ氏は生徒に優しくないのだ。
 故に、たとえ睡魔に襲われようともティナたちに『睡眠』の二文字はないのである。
 午後のうららかな陽の中で、テンから発せられる睡魔の甘い囁きにも彼女たちは耐え抜き、ひたすら頭と手をフル活動させてレポ−ト用紙に立ち向かったのだった。


「ティナー! ケーキいらないのぉー?」
 階下から姉の呑気な声が聞こえてくる。
「う……明日食べるから取っといてよー!」
 頭にハチマキをしたティナが、手を休めることもせずにせっせとレポートを書きながら姉の言葉に応対する。
「今食べないとなくなっちゃうよー!」
 ……そういう家庭なのだ。
 焼肉定食ならぬ弱肉強食の家庭。誰もティナの心配などせず、勝手にパクパクやっている。
「うー……いつか絶対あのじじーを屋上から突き落としてやる! 食べものの恨み、思い知らせてやる――っっ!」
 ほとんど涙目になりながらティナが恨み言を口にする。
 ――やがて夜も更け家族が皆寝静まっても、ティナは眠い目を必死にこすり、レポートを黙々と書いていた。
 彼女の目は充血していて、まるでウサギのよう。時々ペンで腕を刺してみたりして、眠気を取ろうと努力している哀れな姿も見受けられる。
 しかし、時計はティナがレポートを一枚一枚書き上げていくよりも断然早く時を刻み、無情にも朝は刻々と近付いていったのだった――。


 さて、次の日。
「ティナ、おっはよー……げっ!」
 道を歩いているティナに寄ってきたルルが、彼女の顔を見て思わず後ずさる。
「おひゃひょ〜」
 おはようの言葉が意味不明の言葉に変化しているのに自分でも気付かず、ティナはルルに精一杯の笑みを浮かべて挨拶した――が、その顔は、もはや死人のそれである。
「ティナ……死相が現れてる……」
「そーお? えへへ〜」
 変だ。いつも以上に今日のティナは変だ。
 ついにゼロ教授に感化されて狂ったか――ルルはティナの顔を見ながら本気で考えていた。
「ルルはできたー? レポートぉー」次第に人間らしい思考が戻ってきたようである。
「ううん、書けなかった。点数ちょっと引かれちゃうんだけど、放課後までに書いて出すつもり。……ティナもそうでしょ?」
 成績の良いルルでさえできなかったのである。ティナにできるはずが……。
「できたよ」
「……えっ!?」
 信じられない言葉がルルの耳を通過し……頭を直撃する。
「ティ、ティナ……あんた今、できた……って……言った?」
「うん。できたよー、規定枚数十枚ー。もぉ頭のまわりに星がグルグル回ってるのー」
「ティナ……あんたって子は……」
 驚き呆れながらルルが呟くとティナはぐっ、と拳を握った。
「絶対にあいつ、あたしが書き上げるなんて思ってないんだから! あたしを苦しめたこと、絶対に後悔させてやるっっ!」
 ものすごい執念……。
 ルルは意気込んで学校へと駆けていくティナのあとを追い掛けながら、改めてそう思わざるを得なかった。


 さて、それから学校に着いたティナたちはいつものように掲示板の方へと足を向けた……のだが。
 掲示板の前まで行くと、ティナは突然ピタリと足を止めてしまった。
「? ……どうかしたの、ティナ?」
「……ざけてる……」
「え?」
 ルルが聞き返すと、ティナは掲示板に貼られている紙を指さしながら
「ふざけてるっ! あのくそじじ――っっ!」
 ……と、激怒し、大声で叫んでいた。
〜 国語演習学を取っている皆さんへ 〜

ゼロちゃんは学会の帰りに風邪をひいてしまったため、
今日は学校に行けなくなってしまいました。
……という訳で、レポートは来週まで延期します。
今日までに書き上げた感心な諸君、全くご苦労様。
-鬼のゼロちゃんより-


 ……その後、ティナがついに犯行に及んだとか及ばなかったとかいう噂が生徒たちの間に流れておりましたとさ。



 END



《コメント》

 バカ話です、はい。
 大学の教授が中学で講議をする、なんて、現実ではまずないでしょうね(楓が知らないだけだったりして)。
 でもまぁ空想の世界が舞台なので、その辺はご了承下さい(笑)。
 このティナ&ゼロのバカ話、シリ−ズ化とかしたら面白いかなー、などと企んでいますけど、どんなもんでしょうか(笑)。でも、もしシリ−ズ化するんなら次は高校が舞台でしょうね。
 楓は、どうやらこの主人公のティナのように気が強い子(というより暴力娘?)を書くのが好きなようです。
 楓本人はこんなに大人しいのにねー♪ ……と言ったら、友人一同に白い目で見られちゃいました。
 何故なんでしょう?(;_;)


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