ゼロちゃんの生徒達〜とったら地獄〜 霜月楓

「ねえねえ何の講義選ぶー?」

 とある学校の新入生たちが、椅子に座ってくつろぎながら喋っている。
「えーっとねぇ……うーん……まあ、楽なのだったらどんなのでもいいや」
 そのグループの中心になりつつある少女が、自販機で買ってきたコ−ヒーを一口飲んでそう答える。

 ――彼女の名前はティナ。
 茶色い髪を肩まで伸ばしている、明るい(と言うより脳天気な)女の子。
 彼女は『学校』というものは遊びの場だと心得ているらしく、卒業した中学で彼女がまともに勉強する姿を見た者はいない。
 学校が別になった親友のルルによると、たった一度だけ、卒業レポートを書いた時には、さすがのティナでも目の下にクマを作りながら徹夜で仕上げたらしいが――それだけである。
 おかげで彼女の成績表の上ではアヒルが大行進するハメになったらしい(22222)。

「先輩にちょっと聞いたんだけど、すっごくシブイ先生がいるんだって! 五十歳は過ぎてるらしいんだけど、カッコいいらしいよ! 『国語演習学』ってのをやってるんだって!」
「え……っ!? 国語……演習学……!?」
 思わずそう呟いたティナの脳裏にいや〜な思い出が蘇る。
 忘れもしない二か月前、ティナは『国語演習学』の講義を受け持っていたゼロという教授にひどい目に遭わされたのである。
 彼女の被害とは――まず第一に、放課後も大好きなソフトクリームを断念して家に直行し、レポートを書かなければならなくなったこと。
 第二に、父が買ってきたケーキを、レポートのせいでその日中に食べることができず、次の日に学校から帰ってみれば時すでに遅く、家族(ハイエナ)に食べられていたこと。
 第三に、レポートを書いている間はどこにも遊びにいけなかったこと。
 その他にも、数え上げればきりがないほどあるのだが……被害と言っても遊ぶことと食べることに集中しているらしい。
「ティナ、どうかしたの?」
 頭を抱えて過去の悪夢を回想しているティナの顔を、訝しげに女の子たちが覗き込む。
「えっ? あ……何でもないよ、何でもない!」
 笑ってごまかすティナ。女の子たちはそんなティナをまだ訝しげに眺めている。
 無理もない。ティナ以外は、全員が別の中学から来たのだからゼロの存在を知らないのだ。
 結局、ティナは一抹の不安を抱きつつ、国語演習学を受講したのだった――。


「えー、私が一年間『国語演習学』を受け持つことになったゼロです。皆さん一年間、楽しく授業を進めていきましょう」
 眼鏡の奥の瞳がにっこりと笑って生徒たちを眺める。
 ゼロ教授は、年齢五十代前半、白髪の頭は禿げる様子もなく、いつもふさふさとしている。性格は――今はこの通りまともだが、実際は……。
「へーっ! ゼロ教授ってばカッコいー!」
 友人たちがたわけたことを口々に言っている中、ティナは一人でどんよりとした黒雲を背中に背負っていた。
 やっぱり――ティナの頭の中ではその言葉がぐるぐると渦を巻いている。
「どっ……どぉしてあいつがここにいる訳!?」
 ティナが思わずそう口に出すと、それで彼女に気付いたゼロが視線を向けてにやりと笑う。
「この学校はエスカレ−タ−式ですから、中学から私を知っている人もいるようですね……幸か不幸か」
「不幸だっっ!」
 ティナはゼロをキッと睨みつけて声を荒げたが、次の瞬間、はっとした。
 前の学校からここに上がってきた生徒は多々いるが、この国語演習学を受講した命知らずな奴はティナ一人だということに。
 皆、この講義を避けていたらしい。
 ティナは足下の床が崩れて奈落の底に落ちていく心境だった。
「それでは授業を始めます」
 ゼロの、本性を隠した(?)声が教室に静かに響き渡った。


「教授ってカッコいいいよねー!」
「うんうん。それに授業も分かりやすいしねー!」
 ……間違ってる。
 ティナは友人の会話を聞きながらそう呟いていた。
 格好良くて授業を教えるのがうまくても、その人物がまともだという保証はどこにもない!
「……あ!」
 ティナが心の中で色々とゼロの悪口を言っていると、友人の一人がふと声を上げた。
 それで我に返って顔を上げると、ゼロ教授が三十代半ばの女性に何やらまくし立てられている光景が目に入った。
「だ……誰なのあの人?」
「あ、私知ってる! あの人、『国語研究』って講義をやってるレイ准教授!」
「えーっ? 准教授なの!? まだ若いみたいなのにー?」
 ペラペラと友人達が喋っているのを聞いて、ティナは口の端を引きつらせた。
「ゼロとレイ……シャレみたい」
「ティナどうかしたのー?」
 立ち止まったティナに友人達が不思議そうな顔をして尋ねてくる。すると、彼女たちの話し声で気付いたのか、ゼロがこちらを見た。
「おや」いつの間に下校時間が来たのか、という表情をして腕時計を見下ろすゼロ。
「じゃあ先生、私はこれで」
 にこやかな笑顔でレイ准教授に軽く会釈し、ゼロはティナたち側へさっさと歩き出した。
 レイ准教授の方は、まだ何やら言いたいことがあったらしい。逃げ出したゼロをキッと睨んでから、彼の反対側にヒールの音を響かせて去っていった。
「何なんだ一体……?」
 ティナは通り過ぎていったゼロと、もう見えなくなったレイをぼーっと眺めていた。


「鬼! 悪魔! 人でなし!」思わず立ち上がってわめき散らすティナ。
「お褒めの言葉をどうも」何を勘違いしているのか、にっこり微笑むゼロ。
「……まあとにかく。レポートの提出は三日後。題名は自由。枚数は当然、十枚以上。千枚書いた人には、ごほうびとしてジャムパンを一つあげます。出さなかったら……まあ、分かっているとは思いますが、単位をあげません」
 自称『鬼のゼロちゃん』のその恐ろしい言葉は、最初から覚悟していたティナ以外の生徒を恐慌状態に陥れた。
「では皆さん頑張って下さい。……ああ、今度はレポートの提出が延びるなんてことはありませんから、安心して下さいね」
 にこやかに微笑み、誰に言うともなくそう告げるが、ティナ一人に言っていることは一目瞭然である。
「それではこれで授業を終わります」
 ゼロの声が、静まり返った教室に響き渡った。


「ティナ、どぉしたのそんな怖い顔して……」
 友人達がティナの顔を覗き込む。
「――あいつを殺す」
 ついに決断を下したらしい。
「ええっっ!?」素頓狂な声を上げて飛び上がる友人達。
 ここは階段の踊り場である。上の様子を窺うと、ゼロがゆっくり降りてきているのがかすかに見える。
「よーし」
 ティナは段一列にずらっと画鋲を敷き詰め始めた。
 それを見て訝しげな顔をする友人たち。ティナは得意げに説明を始めた。
「あのね、ゼロがここでこの画鋲を踏むでしょ。そして飛び上がったところで突き飛ばすの。いくら不死身なあいつとは言え、これじゃひとたまりもないでしょ」
「……」目が点になる友人達。
 ティナは画鋲を敷き詰め終わると、友人たちを引っ張って物陰に隠れた。
 やがて、計算通りにゼロが歩いてくる。ティナがにんまりと笑った、その時――。
「あっ!?」
 突然ゼロの前にレイが飛び出してきた。これはティナの予想外の展開である。
「先生! 今度の学会では、何としても貴方を負かしてみせますからね! 覚悟していて下さいよっ!」
 数回の授業で判明したことだが、レイは親の仇のようにゼロを敵視しているのである。
「はいはい。じゃあ覚悟しておきましょう」
 ゼロはレイの相変わらずの文句に適当に返事をしていたが、ふと立ち止まると首を傾げた。
「ところで先生。気をつけた方がいいんじゃないですかね」
「……は?」
 何を、とレイが聞き返そうとしたその時――。
「☆○△◇×□!!」
 彼女は判別不可能なほど奇妙な声を発して飛び上がった。
 ……ゼロに仕掛けた罠に、レイがものの見事に引っ掛かってしまったのである。
 そして、彼女はぴょんと飛び跳ね、自分から階段をゴロゴロと転がり落ちていった。
「おやおや」
 ゼロは転がり落ちていくレイを眺めながら淡々とした口調で言い、残っていた画鋲へ目を落とすとそれを拾い上げた。
「こういう証拠が残るやり方は感心しませんねぇ。……まあ、三十センチの高さからただ突き飛ばすだけ、という以前よりは進歩しているようですけど」
 と誰に言うともなく言い、ゆっくり階段を降りていく。
「恐ろしい奴……」
 ティナがゼロを見ながら思わずそう呟いていると
「ティナ、あんたってけっこーおもしろいことするねぇ」
 呆れ顔で友人たちがそう言い、作戦が失敗して悔しがっている彼女を眺める。
「うーん……やっぱりこーゆー手じゃ駄目だよねー。いっそのこと毒でも飲ませようか……」
 恐ろしいことをティナは呟き、時計に目をやった。
「今日はもう無理だから、帰って明日の作戦でも練るよ」
「ついでに、レポートもね」
 友人のその言葉でティナががっくりと肩を落とす。
「レポート……題名何にした?」
 一気に場が白け、ティナが聞くとそれぞれ「趣味」「友人」「食いもの」「男」……性格が分かるような意見を述べ、それから「ティナは?」と聞き返してきた。
「うーん……『殺したい奴』とか!」
「ゼロ教授のこと?」
「まぁね」
 ティナは物騒な笑みを浮かべ、もう見えなくなったゼロに拳を突き出した。
 ……友人たちは、ただ苦笑いを浮かべるだけだった。


 それからの三日間、ティナはことある毎にゼロ教授抹殺計画を実行した。
 しかし、ことごとくレイに邪魔され――本人はいい迷惑らしいが――ゼロは無傷でのほほんと笑うのだった。
 画鋲事件の次の日に、ティナは二階からゼロの頭目掛けて消しゴムを落としたのだが、ゼロはそれが分かっていたのかどうか、落下地点からさっさと立ちのき、彼に難癖をつけようと追い掛けてきたらしいレイの頭に消しゴムが直撃した。
 その次の日には、黒板の前の、ゼロがいつも手を置く位置に画鋲を仕掛けておいたところ、その前の授業中にレイが罠に引っ掛かり、指を画鋲で突き刺すことになった。
 三日目には、体育館でバレーボールをしていたティナが、体育館の外をゼロが歩いているのを発見し、彼目掛けてボールを打ったのだが――それは見事にレイの側頭部にヒットした。
 これだけの被害に遭っても、レイは元気に学校へ通勤してきているのである。
 これをタフと呼ばずして何と呼ぼうか。
 ティナはレポート十枚を書きつつ、そのような罠を仕掛けていたのだが、やがては罠を仕掛ける余裕すらなくなり、レポートに専念することになった。


 そして、レポ−ト提出の日。
 今回ティナは徹夜をすることもなくレポートを書き上げることができた。しかしそれは、レポートの題名を『某教授抹殺計画』という恐ろしいものにして、書きたいことを書きまくったからに他ならない。
 そしてティナたちがレポートを提出してから三日後、ゼロがそれを全員に返してきた。
 ティナのレポートの結果は『良』。その後に、ゼロのコメントが書かれていた。

 画鋲や消しゴムを使うというのは大変おもしろいと思います。
 しかしそれでは「某教授」を確実に殺せるとは限りません。近くにいた人が被害に遭った、といういい実例もありますし。
 やはり車のブレーキに細工をしたり、コップに毒を入れたりするのが良いのではないでしょうか。
 今度それを実行したら、結果をレポートにまとめて報告して下さい。待っています。
                             ――不死身のゼロちゃん


「こっ……これって、もしかして挑戦状……!?」
 ティナはそのコメントを見た瞬間、頭の中が真っ白になって口の端を引きつらせた。


 ティナがゼロを抹殺する日は果たして来るのだろうか……?



 END



《コメント》

 ティナ&ゼロのバカ話第二弾です、はい。
 段々ティナの行動が犯罪化してきてます。でもまあギャグだと笑って下さいね。
 こんなの実際に実行したらとんでもないことになりますから(笑)。
 これの続きも、ぢつはもう考えてたりします。近日公開です、はい。呆れながら待ってて下さいね☆


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