校舎内の懲りない面々  霜月楓

「ねぇティナ……私、結婚するの」
「えっ!?」
 宿題もせずにベッドの上で本を読んでいたティナは、姉のその言葉に驚いて飛び上がり、まじまじと彼女の顔を眺めた。
「お姉ちゃん……」
 普通なら、ここで「おめでとう」の言葉の一つでも掛けてあげるか「お姉ちゃん! お嫁に行かないでっっ!」と泣くかするのが妹としての礼儀(?)である。
 しかし、ティナは違った。
「へー。お姉ちゃんをもらおうだなんてもの好きがいたんだねぇ。……いや、もしかしたらお姉ちゃんに強迫されて、泣く泣く一緒にならないといけ――」
 言いかけていたティナが姉の右ストレートを受けて吹っ飛ぶ。
「ひどいなぁ! あたしはただ、お義兄さんになる人が不憫でならないってだけで――」
 今度は左ストレート。
 さすがにそれ以上言うのが怖くてティナは黙り込んだ。
 ――ティナは現在十六歳。
 入学した時から見ると随分伸びた茶色い髪をポニーテールにした、元気で脳天気な女の子。
 彼女は毎回毎回出される各授業の宿題やレポートの嵐を乗り切り、今はどうにか平穏無事な日常を送っている。
 もちろん、宿敵(?)であるゼロ教授抹殺計画を日々練ることを忘れてはいない。
「とにかく。今度、顔合わせも兼ねて向こうの父親と一緒にみんなで食事に行くことにしてるんだから、行儀良くしててよね!」
 姉はそう言い残すと、さっさと部屋を出ていった。
 両親は、以前家にやって来たことがあるので姉の結婚相手の顔を見たことがあるが、ティナは丁度その日、姉の制止も聞かず遊びに出ていたので見たことがない。
「どんな人かな−。奇特な人には違いないんだろーけど」
 姉がいればまた殴られるような言葉を吐き、ティナは大きく伸びをするとベッドに深くその身を沈め、再び読書に没頭した。


 ――食事会当日。
 ティナは斜め前に座っている姉の結婚相手を興味津々という目で眺めていた。
 どこで姉が引っ掛けたのかと不思議に思うほど端整な顔立ちで、その上優しそうなので、ティナは彼女にしては珍しく合格点を出していた。
 こんな人がどうしてお姉ちゃんを。やっぱり奇特な人だ……内心で呟いてから、口を開く。
「あの……ご両親は?」
「母は、僕が小さい頃に亡くなっています。父は、ちょっと学会で使う書類を出しに行かないといけないとかで……」
「お忙しい人ですからな。無理ないですよ」
 ティナの父が朗らかに笑って言い、彼が苦笑する。
「ホントにすみません。何もこんな日にしなくても……多分すぐ来ると思いますけど。約束の時間までには来るって言ってましたから」
 七時に食事会を始めることになっている。今はまだ十分前。彼が恐縮しないといけない時間ではない。
(って、そんなことはどうでもいいんだけど――)
「学会!?」
 ティナが素頓狂な声を上げると、彼は小さく頷いた。そして後ろを振り返り――。
「あ……あれが僕の父です」
 と、こちらに歩いてくる男性を示す。
「!」
 その男性を見て一瞬口の端を引きつらせ、思わず立ち上がるティナ。
「! ゼッゼッゼッゼッ……」
 いきなり息切れしている訳ではない。
「ゼッ……ゼロっっっっっ!!!!!!!!!!」
「おや」
 姉の結婚相手の父はティナを見るとにこやかに笑い、ぺこりと頭を下げた姉と固まっているティナを見比べた。
「彼女の顔を見た時、誰かに似ていると思ったんですが、あなたでしたか」
 ――にこやかに笑うこの男の名はゼロ。
 ふさふさの白髪をした彼は、年齢はおそらく五十代前半、眼鏡を掛けていて、黙って立っていれば知的な雰囲気が漂っている。
 ティナ達の学校で『国語演習学』という講議を受け持っている教授であり、そしてまた、ティナの永遠の天敵でもある……。
 ティナがあまりのことに愕然としている間にゼロはティナの姉や両親に向き直り、遅れたことを詫びていた。
(なっ……何であいつがここにいる訳っっ!?)
 信じられない……否、信じたくない思いで拳を握り締め、姉に詰め寄る。
「おっ……お姉ちゃん、この縁談、なかったことにしてくれない?」
 途端、姉からすごい目で睨まれた。
「なぁんてことを言ってんのっあんたはっっ!」
「? どうかした?」
 姉の結婚相手が怪訝そうな顔で姉を見る。
「あ、何でもない何でもない! この子が嬉しくて泣きそうだって言ったから慰めてたの!」
 と豹変して笑顔で言いつつ、ティナの手の甲を思いきりつねる姉。
「うう〜」
 ティナは腫れ上がった腕を見下ろしてから、和やかな雰囲気で自分の両親と話を始めたゼロを恨めしげに眺めていたが――。
「! そーだ!」
 思わず手をパチンと叩くティナ。
 ゼロが身近になった分、それだけ彼の命を狙えるというものである。このチャンスを逃す訳にはいかない――ティナはそう考え、早速ゼロ抹殺計画を練り始めた。
「とりあえずゼロの車のブレーキにでも細工をしよーかな」
 とティナは立ち上がりかけたが――目の前にウェイターがソ−ダ水を持ってきたので目を丸くした。
「な……何でこれが?」
 ティナが瞬きしながら言うと、隣の姉は呆れたように首を傾げた。
「だってあんたさっき『ソーダ』って頼んでたじゃない」
「いや……そのソーダじゃなかったんだけど……」
 何てベタなんだ。そう考えつつも、ティナは出されたソ−ダ水をしっかり飲んでいた。


「えーっとぉ……ゼロの車は……と」
 ソ−ダ水を飲んだ後、ティナはトイレに行く、と偽って抜け出し、駐車場へ向かった。
 しかし。
「あ……れ? ゼロの車がない……?」
 きょろきょろするティナ。学内で見慣れたゼロの愛車が見当たらないのだ。
 それでもしばらく捜していたが、駐車場の前の廊下をゼロが通り掛かっているのに気付いて慌てて茂みに隠れる。
「そうだ、帰りもタクシーを呼ばないといけませんねぇ」
 ゼロが、隠れているティナにあからさまに聞こえる声で言い、そのまま席の方へ戻っていく。
 ティナが息子の婚約者の妹だ、とつい先程知ったような口振りだったにもかかわらず、しっかりその存在を知っていたようだ。
 それにしても、わざわざそれを言いにくる辺り、忙しいのか暇なのか分からない人である。
「ちっ!」
 半眼になって舌打ちし、ティナは立ち去るゼロの後ろ姿を眺めてから拳を握り締めると月夜に向かって吠えた。
「いつか絶対殺してやる――っっ!」


「へぇ。あのゼロ教授がティナの親戚になるんだねぇ」
「いいなー。う・ら・や・ま・し・い」
「ガンバってゼロ教授を抹殺してねー!」
 ――と、これが、翌日事情を話した直後の友人たちの弁である。
「あんたたち……おもしろがってない?」
 ますます半眼になってドスの効いた声で言うティナ。
「だけどさー、ティナってばゼロ教授のことになると妙にリキ入るよねー。もしかしてぇ、『愛』?」
 取り敢えず、その言葉を発した友人を再起不能なまで殴っておいてからポン、と手を叩く。
「電話してこよっと」
「電話って……どこに?」
 訝しげに聞く友人たち。
「お義兄さんのと・こ。……くすっ」
 ティナは不気味に微笑むと教室を出て電話のあるところまで走っていった。
「何する気なんだろ……?」
「どうでもいいけど……もう授業始まるってのに……」
 友人たちは瀕死の状態の仲間を見下ろし、それから呆れ顔を見合わせていた。
 介抱しようと思う者は、どうやらいないらしい。


 ――次の日。
「きょ・お・じゅ。ティナが愛しの教授のために今朝一生懸命作ったこのケーキ、是非食べて下さいな」
 ざーっと砂を吐きながら、ティナはデスクに向かってペンを走らせていたゼロにケーキを差し出した。
 ――勿論、ティナが善意や好意でゼロに対しこのようなことをする訳がない。
 この中には、昨日しっかり義兄から聞いておいたゼロの苦手な食べものが入っているのだ。その他にもレバーやパセリ、辛子とカレ−粉と塩を入れてミキサーに掛け、ケーキの材料の中に混ぜる――それぞれが好きな人でも、決して食べたくないであろう。
 そして極めつけは、粉砕してから水に溶かした下剤。作りながらティナ自身、顔を歪めて「食べたくない」と思わず呟いたほどの力作である。
「へぇ。あなたが作ったんですか」
 ゼロはそれを一瞥すると、書類に視線を戻した。
「悪いんですが、あとから食べさせてもらいます。今ちょっと手が放せませんので」
 ゼロも、普段からこれくらい教授らしければ殺意を抱かれはしなかったのだが……。
 ティナは舌打ちしたが、次の授業『国語研究』が始まりそうだったので、遅刻をして嫌みを言われその上単位を落とされてはたまらない、と考え直し、おとなしく引き下がった。
 このようなものを作ること自体、すでに『国語演習学』の単位を落とされる対象になるのではないか、という説もあるのだが、ティナはそのようなこと、全く危惧していない。
 どうやってゼロを抹殺するか。それだけのために日々精進しているといっても過言ではないからである。
「じゃあ……ちゃんと食べて下さいね」
 ティナはそう釘を刺すと、ゼロの研究室を渋々出ていった。
 廊下で『国語研究』を担当している、タフで有名な准教授・レイと擦れ違ったが、ティナは気にも留めなかった。


「ねぇ、レイってば遅くない?」
 ぼんやりと時計を眺めながら、クラスメイトが口々に言っている。授業が始まってから、すでに十五分が経過していた。
「今日は自習かなぁ。だったら嬉しいけど。……ねぇ、ティナ?」
 友人が、居眠りをしかけているティナの頭をつついて尋ねてくる。
「でもあたしさっきレイと擦れ違ったよ。いつも通りの元気の良さで研究室の方に――」
 寝ぼけ眼をこすり、そう言いかけたティナは突然立ち上がった。
「! あ――――――――っっっっ!」
「どっ……どうかしたの、ティナ!?」
 訝しげに顔を上げる友人たち。しかしティナはそれにも答えず慌てて踵を返すと教室を飛び出していった。
 そのまま研究室の方向へ走っていくと、顔を青ざめ口を押さえた格好でトイレからふらふらと出てきたレイを発見する。
「あっ! ねぇレイ! さっきゼロからケーキもらった!?」
 ティナが聞くと、レイは口の端を引きつらせて拳を握り締めた。
「だ〜ま〜さ〜れ〜たぁ〜!!」
 怨念を込めた低い声で彼女がそう呻き、そのままばったりと廊下に倒れる。
「ちょっとレイ!」
 揺さぶっても、レイはぴくりともしない。どうやら重体らしい。
 仕方がないのでティナはそのままレイを廊下に捨てておくと、ゼロの研究室に飛び込んだ。
 ゼロは先程と同じようにデスクに向かい、書類に目を通している。
「ゼロ! あんた、あたしがやったケーキ食べなかったの!?」
 ティナが研究室に入るなりわめくと、ゼロは振り返ってにこやかに微笑んだ。
「ああ、食べようと思ったら、丁度レイ先生が廊下を通りましてね。食べたいとおっしゃられるから、仕方なく差し上げたんですよ。……その後、先生は慌てて部屋を飛び出していきました。化粧室かどこかですかね」
「……」
 見え見えの嘘をついてもまだなお、平然としているゼロ。ティナは彼の首を絞めたい衝動に駆られていた。


「せ・ん・せ・い。大丈夫?」
 レイが意識を取り戻すと、ティナが意味ありげな笑みを浮かべて覗き込んでいた。
「あ……どうにか……」
 よろよろと起き上がるレイ。しかし彼女の頬はげっそりとこけており、全く大丈夫そうには見えない。
「ねぇ、先生をいつもひどい目に遭わせてるゼロを、二人して抹殺しない?」
 自分がゼロに仕掛けた罠にレイが引っ掛かっているので、元をたどれば元凶はティナ本人なのだが、そこのところは秘密にしておく。
「おもしろそうね」
 さすがに今回のことにはキレたらしく、レイはティナと共同作戦を組むことを了承した。
「おや、何やらおもしろそうな相談をしているようですね」
 書類を抱えたゼロが研究室から出てきて、二人に穏やかに微笑む。
 レイはゼロを見るとフン、と鼻で笑い、拳を握り締めた。
「あなたの傍若無人さにはもう我慢できないわ! 『ハタキの顔も三度まで』という言葉があるでしょっ!」
「ええありますよ、『仏の顔も三度まで』という言葉がね」
 にこやかにレイの間違いを指摘するゼロ。レイは口ごもったが、やがてゼロにびしぃっ! と指を突きつけると、声も高らかに宣言した。
「とにかくっ! この子と一緒にあなたを抹殺して、次の学会では必ずこの私が華になってみせるわっ! 覚悟なさい! おーっほっほっほっほっほっ!」
 完璧にキレているレイが無意味に胸を反らして高笑いを始め、隣のティナはティナで、ゼロにドスの効いた声を張り上げる。
「あんたを抹殺して、『国語演習学』で絶対に優をとってみせるんだからねっ! 覚悟しといてよっっ!」
 ……ゼロが死ねば優どころではないのだが、分かっているのだろうか。
「それはおもしろい。楽しみですね」
 ゼロはにこやかな顔のままそう言うと、書類を抱え直して去っていった。
 あとにはただ、廊下の真ん中でふんぞり返って高笑いをしている女二人――その笑い声は授業中ずっと果てることなく続いていたという……。


 ――ついに最凶コンビを組んだティナとレイ。
 ゼロの命が尽きる日は近い……!(かもしれない。)



 END



《コメント》

 ティナ&ゼロ第3弾をお届けしました。
 ティナとゼロがついに親戚関係に……その時ティナの取った行動は(笑)、というのを考えて書き始めましたけど……いつもと大して変わりませんね。
 レイが次第におかしくなっていっているような気がするのは私だけでしょうか。初登場の時は取り敢えずまともな人の設定だったのに……(T_T)。
 ティナの友人達も、まともそうでそうじゃないし。……このシリーズにまともな人は1人もいない、ってことですかねぇ(笑)。
 次回を乞う御期待★


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