傷だらけの生徒
〜ティナにレポート五十枚の不幸せを〜
霜月楓

 それは、朝から冷たい雪の降りしきる、某月某日のことだった。
 この時期は進級試験に追われる頃であり、様々な授業でレポ−ト類が出されている。
 この時間も、御多分に漏れず……。
「では、そういうことで。レポートの提出は一月後。題名は『あなたの知らない世界』。枚数は五十枚以上。千枚書いた人には、ごほうびとしてジャムパンを一つあげましょう。……あ、別に、出さないなら出さないでもいいですよ。でもその代わり、皆さんは進級できませんから悪しからず」

 ある教室から、まじめなのか冗談なのか判別できない言葉が洩れてくる。
 今は『国語演習学』の講議中。
 教卓の前に立ってにこやかに微笑んでいる教授の名はゼロ。
 年齢おそらく五十代前半、眼鏡を掛けていて、知的な雰囲気が漂っている人――但し、黙って立っていれば、だが。
「ちょぉっと待ったぁ――っっ!」
 やおらガバッッと立ち上がり、つかつかと歩み寄る少女一人。そして彼女は、教卓をバンッッと勢いよく叩くと声を荒げた。
「あんたねーっ! 『あなたの知らない世界』だなんて、某番組のパクリ!? 何書きゃいいってーのよ! 五十枚だなんて、書きようがないじゃないっっ!!」
 少女の名はティナ。
 十六歳のこの少女は、茶色い髪をポニーテールにしていて、明るく元気で脳天気。
 ゼロ教授に執念とも思えるほど、対抗心を燃やしている。
「何を書けばいいのかは、皆さんが考えることです。私が例を挙げれば、レポートを課す意味がなくなってしまいますからね」
 にこやかに微笑んだゼロは、半眼になったティナを見下ろした。
「おや、不満ですか。……ではこうしましょう。千枚書いた人にはごほうびとしてジャムパンを二つ――」
「そぉゆー問題ぢゃないっっ!!」
 ゼロの言葉を遮ってティナが再び大声を上げたが、ゼロは出席簿を手にすると腕時計を見下ろした。
「では、少し早いですが、これで授業を終わります」
「ちょっと待てっ! 具体例を言え! 具体例を――っっ!!」
 ティナがわめいたが、ゼロは構わず再度微笑み、そのまま教室を出ていった。


 さて、その日の昼休み。
「それで、次はどうするの?」
「研究室に爆弾を仕掛けて、慌てて逃げ出してきたところを写真に撮るってのはどーお? それで、醜態さらしたあいつの写真を校内にばらまくの。もぉこれで、あいつの教授生命は完全に断たれるはず。『あなたの知らない世界』なんて、自分で体験すりゃいーのよ」
「おもしろそうね」
 物騒な会話を交わしているのはティナと、『国語研究』の講議を受け持つレイ准教授。
 学会で華になるというのが彼女の最大の夢らしい。
 そして、彼女たちの標的となっているのは、言わずと知れた『国語演習学』の講議を受け持っているゼロ。
「今度こそ、ゼロの息の根を止めてやる――っっ!」
 ティナが拳を強く握っていると、噂をすれば何とやら。前からゼロが歩いてきた。
「おや、二人揃って何のご相談ですか?」
 歩いてきたゼロがにこやかに言い、半眼で彼を睨みつける二人にそのまま背を向けて階段を降り始める。
「チャーンス!」
 このまたとない機会を逃すようなティナではない。
 ティナは意気込んでゼロに駆け寄ると、そのまま階段の上から彼を突き飛ばした。
「ゼロ覚悟――っ!」
 しかし。
「! うわっっ!?」
 次の瞬間、ティナの目の前に、ものすごい音と共にコンクリートの塊が落ちてきた。
 慌てて飛びのき、それを見下ろすティナ。突然のことに心臓が破裂しそうなほどどきどきしている。
「あっ……危ないっっ!」
 胸を撫で下ろしていると、咄嗟に手すりを掴んだために階段を転がり落ちなかったゼロが、「おやおや」とコンクリートの塊を見下ろした。
 ティナがもし突き飛ばしていなかったら、彼は今頃コンクリートの下敷きに……。
 そしてゼロがティナを見、「どうもありがとうございます」と、にこやかに微笑する。
「ちっが――――――――――――――――――――――うっっっっ!!」
 ティナは声にもならない叫びを上げて頭を抱えていた。


「ねぇ聞いた? 階段の上の天井が崩れたんだって!」
「聞いた聞いた! あそこ、だいぶ老朽化進んでたからねー。来週辺り工事するとか言ってたけど……ゼロ教授の上に落ちてきたんでしょ? でも、ティナが身を呈して助けたって?」
「へぇー! やっぱり愛の力かしら〜」
「あんたら……ぶっ殺す!」
 わなわなと拳を震わせ、ティナが半眼のまま友人たちを睨みつける。
「照れるな照れるな。あ、でもティナ。いくら愛してても、不倫は駄目よ? ……うっ」
 ティナの拳がその友人の頬に炸裂。
 殴られた友人は、赤くなった頬を押さえて抗議した。
「ひっ……ひっどぉい! あたしはただ、ティナの愛を応援してあげようと――あ、そうか! 奥さん亡くなってるから不倫ぢゃないか……うっ」
 友人は再度ティナにぶちのめされて、再起不能になった。毎度毎度、懲りない奴である。
「――ったく!」
 ティナは肩をすくめてから、今まで作っていた縄と網を勢いよく広げた。
「? 何、それ?」
「縄と網」
 分かり切ったことを答えると、それを持って教室を出、ゼロの研究室の前へ行って仕掛けを作り始める。
「それをどーする気、ティナ?」
 おもしろそうなのでついて来た友人たちが訝しげに聞いてくる。
「この網の中に一歩でも踏み込めば、縄に引っ張られて宙吊りになるって寸法よ」
 ティナはほくそ笑むと、保護色で目立たないようにした網(それでも充分目立つが)を最後に点検してから、顔を見合わせる友人たちを尻目に授業に出ていった。
 次の授業は『国語研究』。
 言わずと知れた、レイ准教授の受け持つ講議である。
 レイの視界に入らないような席を陣取ると、ティナは授業が始まらないうちから早速マンガを開いて読み出した。
 しかし――。

「ねぇティナ……レイってば遅くない?」

 マンガを読み終えた頃、友人たちがティナに話し掛けてきた。
「またティナったら、レイにひどいことしたんじゃないでしょうね?」
 友人のその言葉にはさすがのティナでもムッとしたらしく、マンガをカバンにしまいながら彼女に言い返した。
「人聞きの悪いこと言わないでよ! 大体、あたしがゼロに仕掛けた罠に、レイがことごとく引っ掛かってるだけなんだもん! レイが悪いの!!」
 ひどいことを言う……。
「じゃあ今度も、何かの罠に引っ掛かってるんじゃない? あいつってば今までも、捜し当てたみたいに正確にティナの罠に引っ掛かってるんだもんね。可能性としては充分だよ」
 何しろ、数え上げれば切りがないほどの前例があるのだから。
「まさか。レイがゼロの部屋に入ろうとでもしない限り、大丈夫だよ」
 ティナがそう言うと、友人たちは顔を見合わせた。
「そのゼロの研究室に、罠を張るつもりで入っていったら……?」
「……」
 さすがのティナも、その言葉には考え込んだ。
 そう言えば、レイが今日はとっておきの罠を仕掛けるとか言っていたような気が……。
 もし授業に行く前に、ゼロの研究室に何らかの罠を仕掛けようとしていたら、今頃――。
「あたし、ちょっと見てくるっ!」
 ティナは立ち上がると、レイが来ていないので各々好き勝手なことをしている教室を抜けて走っていった。


「げっ!」
 ゼロの研究室の前まで来た時、ティナは自分の危惧が現実のものになったことを実感した。レイが、ゼロの部屋の前の天井からみじめにぶら下がっているのだ。
「レッ……レイ、あんたことごとくあたしが作った罠に引っ掛かってくれるねー! 結構作るの大変だったんだよっ!? どうしてくれる訳!?」
 対ゼロ用の罠にレイが引っ掛かった、ということよりも、せっかく作った罠が台無しになったことに怒っているらしい。レイの心配をする様子は全くない。
「レイ、あんたもしかしてゼロを助けようとでも思ってたんじゃないでしょーね!?」
 呆れ顔でティナがレイを見上げると、彼女は宙吊りにされた情けない状態のまま高笑いを始めた。
「おーっほっほっほっ! この私がそんなことするはずないでしょう! そんなことするくらいなら、ハイレグで南極の海に飛び込んだ方がまだましよ!」
「……」
 レイのハイレグ姿を想像してしまい、渋面になるティナ。
 何という例えをするのだこの女は……と思いながら、ティナはもう使い物にならなくなった罠を見上げた。
 次は何を仕掛けようか。
 考え込んでいたティナだったが、頭上から落ちてきたレイの声で我に返る。
「いい加減に降ろしなさい――っっ!」
 ぶらぶらと風に揺れているレイは、ナイフを握っている。
 ゼロを刺し殺す気だったのか……?
 ティナは、レイにしてはなかなかやるじゃない、と一瞬考えたが……もう一度よくそのナイフを見上げると、半眼になって溜息をついた。
 よく見ると、それはペーパーナイフだったのだ。しかもどこで作ったのか、レイの姿を形作っている、極めて趣味の悪いもの。
 もちろん、それでも殺せないことはないだろうが、レイが勘違いしていた、と考える方が妥当だろう。
「しばらくそのままでいたら? ほら、何とかと煙は高いところに上るってゆーし」
 レイはその言葉をどう解釈したのか、再び高笑いを始めた。
「『美人』かしら? それとも『佳人』?」
 勘違いもはなはだしい。
「……」
 ティナは呆れ果てた、というように溜息をつくと、レイに背を向けた。
「――さよなら」
「えっ!? あっ……ち、ちょっとぉ! 待ちなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!」
 レイの絶叫が廊下中に響いたが、ティナはそのまま去っていった。


「お・に・い・さ・ん」
 ここは、とある病院の診察室の中。
「あれ、ティナちゃん? どこか具合が悪いの?」
 白衣がサマになっているティナの義兄――彼は医者だったのである!
「うん。頭はガンガン痛いし、胸は苦しいし、食欲はないし、めまいはするし――」
 頭に思いつくまま適当に述べて、それらしく腹を押さえていると、義兄は訝しげにティナを眺め廻した。
「そう? 全然元気そうだけど。僕、ティナちゃんみたく元気な子って見たことないよ。健康優良児の見本のような子だからね、ティナちゃんは」
「……」
 ティナは言葉に詰まり――次の瞬間には、腹を更に強く押さえてうずくまった。
「うーっっ! お腹がー! 頭がー! 死ぬーっ! 苦しい――っっ!!」
 うずくまるだけでは飽き足らず、磨き上げられた床を転がり廻る。演技だということはバレバレである。
「……分かったよ。診ればいいんだろ、診れば」
 呆れ顔の義兄が嘆息し、やれやれ、というようにペンライトを取り出していると――。
「先生!急ぎのお電話です――」
 と、看護婦の声が奥から聞こえてきた。
「あ、はい! ……ゴメン、ティナちゃん。悪いけどちょっと待っててね」
 義兄がティナにそう言ってから立ち上がり、聴診器を外して奥へと消えていく。
「グッドタイミング!」
 腹を押さえて苦しむ振りをしていたティナは、義兄が去っていくと立ち上がり、薬品類の並んだ棚の鍵を針金で素早く外してから手当たり次第に何かを捜し始めた。
「えーっと、これじゃない……これでもない――あっ! あったぁ!」
 ティナが手にしたものは――クロロホルム。
 ティナは完全防備をすると、あらかじめ用意していた小瓶にクロロホルムを入れ、元のように栓をした。そして棚に戻して再び鍵を掛ける。その間、わずか数十秒。その手の才能があるのかもしれない。
 丁度そこで義兄が戻ってくる。
「お待たせ。ゴメンね、ティナちゃん。急用だって看護婦が言うから何かと思ったのに、変な人がいきなり受話器の向こうで歌い出したんだよ」
 渋面になっている義兄の耳には、今聞いた歌がグルグルと廻っている。

   ♪ 私は学会の華ー♪ 人並み外れた美貌の持ち主ー♪ 嗚呼私は美しいー♪

 ――どうやらそういう歌詞らしい。
「全く、何なんだか……」
 肩をすくめて義兄がそう言い、再びペンライトを手にした所で、ティナが突然立ち上がる。
「? ……ティナちゃん?」
「やっぱり、あたしもう帰るね。お義兄さんの顔を見たら、すっかり元気になったから」
 クロロホルムの入った小瓶をポケットに隠したティナは、それを悟られないほど平然と笑顔で言った。
「え!?」
「じゃあね。バイバイ!」
 とても訝しげにティナを見る義兄。しかしティナは再び笑顔になって彼に手を振ると、診察室を出ていった。
 そして、待合室の一角に足を向ける――そこには、一人の女がいた。サングラスを掛け、迷彩服を着た……。
 本人はそれで目立たないようにしているつもりらしいが、周囲の人は皆、不審げな視線を彼女に向けている。
 確かに、彼女は全身から『うさん臭さ』を放出していた。
 周囲の者達は、その女から十メートルほど離れて顔を突き合わせ、警察を呼ぶべきかどうかを話し合っている。
「……来たわね」
 その不審人物がティナを見て立ち上がり、サングラスを外す――もちろん、レイである。
「さあレイ、これで準備は全部整ったわ! すぐに実行に移るわよっ! ふふふふふふ……」
「楽しみね。おほほほほ――ほーっほっほっほっほーっほっほっほっほーっほっほっほっ!!」
 懲りずに高笑いを始めるティナとレイ。丁度その頃、連絡を受けた警察が病院へと向かっていた――。


 二人はクロロホルムを手に、何を企んでいるのか!?
 そして、二人が目指す場所とは……!?
 次回、急展開!!



 END



《コメント》

 
相変わらずテンション高い人たちが登場する『ティナ&ゼロのバカ話』、お届けしました。
 ……でもタイトルと内容が一致してるの、冒頭だけですね。
 それにしてもこのシリーズ、『ティナ&ゼロのバカ話』というより『ティナちゃん犯罪日記』もしくは『ティナのお間抜け殺人計画』とかに変えた方がいいのかもしれません。犯罪ですよね、もう既に。
 クロロホルムが少なくなってたら病院が気付くだろ、等の突っ込みはしないで下さい、ギャグですから(笑)。
 しかも、本人達はその行為の犯罪性に全く気付いてない……ちょっとは気付けよ。特にレイ。あんた大人だろ、ティナと一緒に犯罪に手を染めてどーする(笑)。
 次回急展開とか書きましたが、次に二人が目指す場所は……バレバレですね。
 それではこの続きはまた後日☆


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