あの冬、いちばん賑やかな君。  霜月楓

「ねぇティナ、『あなたの知らない世界』を書けってレポート、できた?」
 小雪のちらつく朝、ポニーテールの少女に友人たちが声を掛ける。彼女たちはまだできていないのだろう、声がどことなく物憂げである。
 しかし、そんな彼女たちにポニーテールの少女は満面の笑みを向けた――小悪魔の微笑み、とも呼べるものを。
「まだだよぉ。だって、もう書く必要がないんだも〜ん」
 少女は楽しげにほくそ笑み、友人たちは彼女を、奇異なものを見るかのように眺めてから数歩後ずさった。
 ――この少女の名はティナ。年齢は十六。
 最近は、日頃の言動のせいか犯罪者面してきているとの専らの噂……。

『あなたの知らない世界』のレポート、とは『国語演習学』という授業で出されている五十枚レポートのことである。
 何故このような奇妙な題材なのか……という問いに最も適切な回答をするならば、それは『それを出した教授が奇妙だから』であろう。

「出した当人を殺しちゃえば、もう書く必要ないでしょ? そこで相談なんだけど、あたしの手伝いしてくれるって人、いないかなぁ?」
 でこぼこになった消しゴムにカッターを入れて形を整えながらそう尋ねたが、彼女たちは揃って首を振った。
「やだ。あたしたち、まだ闇の世界に足を踏み入れたくないんだもん」
「それってどーゆー意味!?」
 半眼になって友人たちを眺め回すティナ――と、その時、一人の少女が教室の窓からぴょこんと中を覗き込んできた。
 制服から察するに、この近くにある有名中学の生徒らしい。
 小柄で瞳が大きく、柔らかい髪を頭の両端でおだんごにした、なかなかの美少女である。
「あれ? ナナじゃない。どうしたの?」
 ティナの友人の一人が立ち上がって、その少女に歩み寄る。
「お姉ちゃん、おべんと忘れたでしょ。ナナがせっかく作ってあげたのに。だからナナ、持ってきてあげたんだよ。偉い?」
 その少女がにっこり笑って弁当箱を差し出す――しかし当の姉は呆れたように溜息をついた。
「あのね、ナナ。今日は土曜日だよ。お弁当はいらないの」
「え? あ……」
 ナナはその言葉でようやく気付いたらしい。渋々と弁当箱を下ろし、顔を伏せる。
「ナナ、せっかくお姉ちゃんのためにおべんと作ったのに……」
「うっ……!」
 今にも泣き出しそうなナナ。姉は引ったくるように弁当箱を妹の手から奪い取り、慌てて笑顔を作った。
「あ、ありがとーナナ! おねーちゃんとってもうれしいっ!」
 笑顔で礼を述べているが、その表情は引き釣っている。妹思いらしい。
 しかしナナはそれで一転して笑顔に戻ると大きく頷いた。
「うん!」
「……」
 疲れ切った表情になった姉は、興味津々という様子で二人を眺めていたティナたちを振り返った。
「あ、これ、あたしの妹のナナ。今度高校に入るんだ」
 そう言い、彼女はこの辺りで最もレベルが高くて有名な高校の名を挙げた――そこをナナは志望しているらしい。
「ナナです。はじめまして〜」
 にこにこと笑い、ナナが少し頭を横に傾げる。どうやらこれが彼女の会釈らしい。
 そしてナナはティナたちを眺め回してから姉を振り返った。
「じゃあナナ、学校に戻るから。お姉ちゃん、淋しくても我慢してね〜」
「あのねー……」
 呆れ顔で姉が溜息をついていると――突然ティナの顔つきが険しくなってきた。
「ティナ? ……ってちょっとちょっとちょっとぉっっ!?」
 隣にいた友人が慌て出す。それもそのはず、次の瞬間ティナは手にしていたカッターを勢いよく投げていたのである。
 ぎょっとしてから友人たちはカッターの行く先を眺めた――そこには、壁に突き刺さっているカッターと、自分を狙って投げられたカッターに立ち止まった一人の教授がいた。

 ――この教授の名はゼロ。
『あなたの知らない世界』のレポートを課した張本人。眼鏡を掛けていて、黙っていれば教授としての威厳充分である。
 しかし一度口を開けば、どんな優れた文献でもそれは生徒をいぢめて遊ぶ材料にしかならないという有様に……。

 ゼロはカッターを一瞥すると、にこやかに微笑んだ。
「学校の中でカッター投げをするのは頂けませんね。こういうものは、外で思う存分やって下さい」
 ……それも問題あると思われるのだが。
 しかしゼロはそれだけ言うと、書類を抱え直し、そのまま飄々として去っていった。
「ちっ! 殺し損ねた!」
 歯噛みしたティナが立ち上がって廊下まで行き、壁に突き刺さったカッターを勢いよく引き抜く。
 その時廊下に出ていた生徒たちは、青ざめた顔を彼女に向けていた……。
「相変わらずだねぇティナは〜」
 笑いながら言う友人たち。彼女たちも、この事態を笑っていることからして、もう既にまともではない。
 そしてナナは、目の前で起こった非日常的な出来事にうろたえもせず、黙って立っていたのだが――。
「さ、ナナ。そろそろ学校に行かないと。……ナナ?」
 ナナの様子に、その姉が訝しげに声を上げる。
 しかしナナは周りの音が全く耳に入ってこないらしい。胸の前で指を組むと恍惚とした表情になり、そして言った。
「素敵な人……」
 彼女の熱い視線は、去っていくゼロの背中を追っている。
「おいおいおいおいおいおいおいおいっっ!」
 一瞬硬直し、それから我に返った姉が青ざめた顔になってナナを揺さぶる。
「駄目だよナナ! そりゃ、奥さんは今いないけど……でも教授とあんたとじゃいくつ年齢が離れてると思ってんの!?」
 ナナは揺さぶられて我に返ったが、姉の言葉に眉を吊り上げて彼女に指を突きつけた。
「お姉ちゃん! 愛があれば、年の差なんて関係ないんだよ! 真実の愛は年齢や性別を越えた先にあるものだ、って、有名なアウグスティヌスも言ってるもん!」
「……そうなの?」
 少し目を見開いて、その場にいた全員が聞く。
 ――初めて知った!
 しかしナナは尊敬の眼差しを浴びながらも、平然と首を振った。
「そんな訳ないでしょ」
「……」
 半眼でナナを眺める一同。
 しかし彼女はそれに気付きもせずしばらくゼロの去っていった方向を見つめていたが、やがて振り返り、笑顔になった。
「ナナ、この学校に入る! 滑り止めで受験してて良かったぁ。ここなら楽勝で合格できるからね〜」
「……」
 そう言われると、『滑り止めの学校』の生徒としては、何となくおもしろくない。
「あんたねー!」
 ティナが声を荒げる。しかしナナは振り返ると彼女に指を突きつけた。
「あなたは教授を殺そうとしてるみたいですけど、ナナがそんなことさせません! ナナが愛しい教授を守ってみせますっ!」
 そう宣言し、ナナは再び胸の前で指を組むと陶酔した表情になった。
「そして、教授は一途なナナに一目惚れするの。やがて教授はナナにプロポーズして、ナナと教授は幸せな家庭を――いやぁん、どぉしよ〜〜〜!」
「……勝手にやってろ」
 ついていけなくなり、ティナをはじめその場にいた者たちは、一人で浸っているナナを置いてそれぞれの会話に戻っていった。
 ……ナナはその日、学校に遅刻をしたらしい。

「そんな子が来たの? あらまぁ」
 その日の放課後、ティナからナナの話を聞いた一人の女性が、デスクに向かって爪とぎをしていた手を休める。
 彼女の名はレイ。
『国語研究』の授業を受け持つ准教授であり、ゼロを抹殺して学会で華になるというのが彼女の最大の夢。
 利害が一致してティナは彼女と組んでいるのだが、あまり彼女はティナの役に立っていない。無論、ティナははじめから彼女が自分の役に立つと思ってはいないのだが。
「……それで、手筈はどのようになっているの?」
 足を組み替えてレイがティナを振り返る――ティナは、ポケットから小瓶を取り出してそれを掲げてみせた。
「あたしがゼロのところに行くから、レイは屋上で待ってて。これさえあれば、ゼロなんか簡単に始末できるんだから」
「そうね。これで私もついに念願の学会の華に……。ほーっほっほっほっほっほっ!」
 いつものように突然高笑いを始めるレイ。そしてティナはにやりと笑ってから小瓶をポケットにしまい、立ち上がった――。

 ――ゼロが研究室に戻ってくると、扉に付けてあるメールボックスに、二通の手紙が入っていた。
「おや」
 教師への連絡を記した文書ではない、と気付いて意外そうな顔をしたゼロは、その手紙を手に取り部屋の鍵を開けた。そして中に入ると荷物を置き、まず一通目に目をやる。
 それはピンクの封筒に入っていて、それにはご丁寧にハートのシールが貼られていた。


  ゼロ教授へ
  私は来春この学校の高等部一年生になるナナです。
 初めてお会いした時から、あなたの顔が頭から離れません。
  大好きです、ゼロ教授!!




「……」
 目を点にしてから気を取り直し、二通目を手に取るゼロ。
 それには差出人が書かれておらず、しかもその中には手紙が入っていなかった――入っていたのはかみそり。それだけで、差出人が誰だか分かるようなものだが。
「……」
 ゼロはそのかみそりを見下ろして小さく苦笑した。
 と、その時――。
「きょおじゅ〜〜!」
 鍵を掛けていたのにどこから入ってきたのか、デスクの陰から突然ナナが飛び出してきた。
「――!?」
 さすがのゼロも、これにはぎょっとして思わず数歩後ずさる。
「教授! 好きです――!」
 そしてナナはそのままゼロに抱きついてくる。
「ちっ……ちょっと君……!?」
 ゼロが引き離そうとするが、ナナは蛭のように彼にくっ付いて離れない。
 小柄な体のどこにこんな力が、と思われる怪力であるため、ゼロもなかなか彼女を引き離すことができない。
 と、その時ノックもなく突然扉が開き、小瓶を手にしたティナが飛び込んできた。
「ゼロ覚悟! って…――」
 そのまま硬直するティナ。
 密室の中で、ゼロに抱きついているナナ。今にも押し倒さんばかりの勢いである。

(なななななになになに――――――!?)

 ……それからどのくらい固まっていたことだろう。ナナの上げる黄色い声で、ようやくティナは我に返った。
「あんた何やってんのよっ! さっさとゼロから離れなさいっっ!」
 ゼロにくっ付いているナナを引き剥がし始める。
「やだ――っっ!」
「やだじゃないっっ!」
「やだやだ――っっ!」
 ティナとナナは、そうやってしばらく不毛な言い合いを続けていた。しかし、ついにキレたティナが小瓶と一緒に手にしていたハンカチを――。
「おとなしくしろっっ!」
 ……と、ナナの鼻と口に押し当てた。犯罪行為である。
「! なっ、何すっ…――」
 ナナはしばらく野獣のように暴れていたが、やがておとなしくなり、そのまま床に倒れた。
「ったく……!」
 ゼエゼエ言いながらティナが呆れたように溜息をつく。
「……クロロホルムですか」
 しっかりとしがみ付いていたナナの爪跡を撫でさすりながら、ゼロが気絶したナナを見下ろす。
 何故ティナがクロロホルムを持っているのかに驚かないゼロ……さすがである。
「ありがとうございます」
 クロロホルムをしまったティナに、ゼロが視線を向けて小さく微笑む。
「! べっ、別にあんたを助けた訳じゃないんだからね! ナナがいたら邪魔なだけだから片付けただけだよっ! ――また来る! 首洗って待ってなさい!」
 ティナはゼロから目を逸らしてそれだけ言うと、ナナを引きずってゼロの研究室から出ていった。


「あ――っっ! 一生の不覚! ゼロに礼を言われるなんて!」
 月曜の朝になっても、ティナは頭を抱えて自らの失態を嘆いていた。
 ナナはあの後、学校の玄関先に捨てて帰った。
 きっと、自分で目を覚ますか誰かに起こされるかして家に帰っただろう――彼女の身の危険は全く考えていないティナである。
「大体、ナナがいけないんだよ。ゼロの研究室に不法侵入なんかするから。あいつがいなかったら、今頃ゼロ抹殺を成就できてたってゆーのに……」
「ティナ――!」
 学校が見えてきた頃、ブツブツ言っているティナに、興奮気味な友人たちが駆け寄ってきた。
「おはよ、ティナ! ねえ、知ってる? 土曜、旧校舎の屋上からレイが落ちたんだって!」
「………………はぁ?」
 我に返り、友人たちを振り返る。
 そういえば土曜日レイに、ゼロをクロロホルムで気絶させたら屋上から突き落とすから、待機していろと言ったような気もする。すっかり忘れていたが。
「……で、やっぱりレイは死んだの?」
 今までと変わらない口調でティナが聞く。そして、友人たちは今まで通りに答えた。
「ううん、死ななかったみたい。すぐに起き上がって家に帰ってったんだって」
「――は?」
 ティナは一瞬絶句し……そして今度こそ自分の耳を疑った。
「レイ、生きてたの? 屋上から落ちて? やっぱりあいつ、人間じゃなかったんだ……」
「だって三階建てだし。それだったら、あのレイがそう簡単には死なないでしょ。今も、ティナを捜し廻ってたみたいだけど」
 友人たちが気味悪そうに顔を見合わせる。普通なら、死にはしなくても大怪我をしているところなのだから。
 そして、その直後――ティナの前に、二人の人物が立ちはだかった。
「ティナ、裏切ったわね! 私を殺そうとするなんて、言語道断!」
 何てことはない、自分で勝手に落ちただけなのだ……屋上から。
 どうやって生き延びたのかは不明だが、取り敢えずレイは骨折したらしい腕と両足を包帯でぐるぐる巻きにしており、唯一無傷だった右手をビシッ! とティナに突きつけた。
「あなたがそういうつもりなら、私にも考えがあるわ! あなたとゼロを抹殺し、私が学会だけでなく、この学校の華になるのよ! おーっほっほっほっほっほっほっほっ!」
「あたし別にこの学校の華じゃあ……」
 口を挟んだが、レイの耳には届いていないようだ。
 ……そして高笑いしているレイの横にいるのは、ティナが土曜日にクロロホルムで撃退したナナだった。
「先輩! この前はナナと教授の恋路をよくも邪魔してくれましたね! ナナ、絶対に許さない! 邪魔なあなたを排除して、教授と愛の園を築くまでナナは負けないんだから!」
「おいおい……」
 ティナは呆れたのを通り越して情けなくなった。
 ナナがではなく、ナナに『先輩』と呼ばれている自分に。
「んじゃ、ティナ。そーゆーことで」
 友人たちは――ナナの姉ですら――どうやら関わり合いになりたくないらしい。軽く手を上げるとそそくさとその場を立ち去っていった。
「何なのよ全く……」
 メラメラと炎を燃やしているレイとナナを、疲れた表情で眺めるティナ。
「……!」
 と、その時ティナは目の前に一台の車が止まったのに気付いて鋭い視線を向けた。
「おや、やはりあなたたちでしたか。おはようございます」
 車を運転していたゼロがにこやかに微笑むと、ティナは迷惑げな視線を彼に向けた。
「オハヨウゴザイマスじゃないわよ! こいつらどうにかしてくれない!? あんたが元凶なんだからね!」
「先輩ひっどぉい! 教授は何も悪くないじゃないっ! 悪いのは先輩でしょー!」
「どちらが元凶でも構わないわ。どのみち、二人の命は学会の華となる私がもらい受けるんだから。おーっほっほっほっほっ!」
 ゼロは三者三様の言葉を黙って聞いていたが、やがて
「何だかよく分かりませんが、皆さん楽しそうでいいですね」
 と再度にこやかに微笑み、そのまま車を走らせていった。逃げた、とも言える。
「あーもぉやだ〜」
 去っていく車を見ながらこめかみを押さえ、深々と溜息をつくティナ。
 背後からは、まだレイとナナが自己主張しているのが聞こえるが、そんなことはどうでもいい。
 疲れた表情のまま振り返ることなく、ティナはよろよろと校門の方へ歩いていった。

 複雑化したティナVSゼロの不毛な戦い。
 ついにレイとナナまで敵に廻したティナに、果たして勝利は訪れるのか!?



 END



《コメント》

段々訳の分からない展開になってきているような気が…(笑)。
しかも、タイトルの元ネタ、分かりますか?
いつもこのシリーズは、映画のタイトルを適当に変えたりして作ってるんですが。(笑)
さて、今回から登場したナナちゃん。
こういうアホみたいな(笑)キャラ、一度出してみたかったんですよ。
でも、ナナが現れると何故だかティナがまともに思えてしまう……。ううむ。何でだ?
しかもティナは疲れ果てちゃうし。(笑) レイは人間ではなくなっていってるし。(前からかな?)
何となく路線が変わっていきつつあるような気がしますが、どんなもんでしょう?
さて、次はどうなるでしょうか。乞うご期待★


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