月夜のおともだち  霜月楓

 翔くんはその日、なかなか眠れませんでした。
 初めておじいちゃんとおばあちゃんの家でお泊まりしているからでしょうか。
「翔ちゃん?」
 何度も寝返りをうっている翔くんに、横で洗濯物を畳んでいたママが声を掛けてきます。
「眠れないの?」
 うん、と頷くとママはしばらく考えていましたが、ふと何か思いついたように顔をほころばせました。そして「ちょっと待っててね」と言うと、障子を開けて出ていこうとします。
「! ママ!」
 行かないで、と言おうとした翔くん。でもママは「大丈夫、すぐ戻るから」と微笑みました。
「……うん」
 翔くんが渋々頷くと、ママはまた微笑んで部屋を出て行きました。
 障子の隙間から見えるお月様の暖かな光が、翔くんのところまで射し込んできます。翔くんはぎゅっとふとんの端を握りしめてママの帰りを待っていました。
「そうそう、それそれ。ありがと母さん」
 遠くから、うれしそうなママの声が聞こえてきます。
「美香はこれがないと眠れなかったっけねぇ。幼稚園のお泊まり保育の時にも、これを持っていくんだって言って聞かなかったから困ったよ」
 呆れたようなおばあちゃんの声も聞こえてきます。
「捨てずにとっててくれてたんだね。もう随分古いものなのに」
「ものはね、大事にすればいつまでも使えるんだよ。私がちゃんと洗ってるから、ほら、きれいなもんでしょ」
 それからおばあちゃんはくすくす笑い出しました。
「美香にとってこれはすごく大切なものだしね。私が勝手に捨てられないでしょ」
「もぉ、母さん!」
 ママが怒ったような声を出しました。でも、どことなく照れくさそうでもあります。
「それで、向こうにはいつ帰るんだい?」
「さあ? いいじゃない、ここにしばらくいさせてよ」
「そりゃ、こっちは構わないけど……もうあんたたちも子供の頃とは違うんだから、いつまでもケンカしてないで」
 まぁケンカするほど仲がいいとは言うけど、とおばあちゃんが笑うと茶化さないで、とママが尖った声を出しました。
「謝りに来るまで絶対に帰らないんだから!」
「全くこの子は……」
 やれやれ、と溜息をつくおばあちゃん。
 翔くんのパパとママがケンカをしたのは、今日のお昼のことでした。
 原因は翔くんには分からないけれど、それからすぐにママが「おばあちゃんの所に行くわよ!」と翔くんを引っ張ってきたのです。
(パパ、今何してるのかなぁ?)
 いつもなら、今の時間はパパと一緒にお風呂に入っている頃です。そしてお風呂から上がったらママが冷たいスイカを切ってくれて。
 翔くんはママが大好きです。でも、パパも同じくらい大好きなのです。早くパパに会いたくて仕方ありませんでした。
「パパ……」
 ふとんに顔をうずめて小さく呟いた時、また障子が開かれてママが入ってきました。
「翔ちゃん、ほら。わんちゃん」
 ママがにっこり笑って翔くんに差し出してきました。大きな大きなぬいぐるみです。
「これはね、ママが翔ちゃんくらいの時にお友達からもらった宝物なの。翔ちゃんにあげるね」
「ママのたからもの?」
「そう。いつも抱いて寝てたのよ」
 翔くんがぬいぐるみを抱きしめると、お日様のにおいがしました。
「おばあちゃんが大切に持っててくれてたの。いいにおいでしょ?」
「うん! ありがとママ。この子、何てお名前?」
「え?」
 ママは一瞬口ごもりました。でもすぐに
「………『ひろくん』」
 何故か照れたような顔で言うと、ぬいぐるみの頭をそっと撫でました。
「大切にしてね、翔ちゃん。明日は、二人で公園に行こうか?」
「……パパは? ママ、パパのことまだ怒ってる?」
 思い切って聞いてみると、ママはちょっと黙っていました。
 遠くからおばあちゃんがママを呼ぶ声が聞こえてきます。ママはそれに応えてから翔くんに向き直りました。
「ママも……ちょっと言い過ぎちゃったかなぁ。翔ちゃん、心配してくれてたの?」
 ありがとう。そう言うと、ママは翔くんの頭をゆっくり撫でてから部屋を出ていきました。




「ママとパパ、明日になったらまた仲良しになってるのかなぁ……」
 ぬいぐるみをもらっても、やっぱりすぐには眠れません。
 翔くんはぬいぐるみを抱いたまま障子を開けました。きれいなお月様が翔くんを見下ろしています。
《大丈夫だよ》
 不意に声がしたので翔くんはびっくりしてぬいぐるみの顔を見ました。
「!? ひろくんがしゃべったの!?」
《僕は月の光の下だったらおしゃべりできるんだ。美香ちゃんともお友達だったんだよ》
「みかちゃん? 誰?」
 翔くんにとって『ママ』は『ママ』なのです。
《君のママだよ。君は翔くん、だよね?》
 ぬいぐるみの言葉に、翔くんはこくんと頷きました。
《僕を大事にしてくれた人のことはずっと覚えてるし、大好きなんだよ。ママはね、僕をとっても大事にしてくれてたんだ。お友達のひろくんからもらったからね》
「ひろくんとおんなじお名前?」
 ぬいぐるみはうん、と言うとお月様を見上げました。
《幼稚園の頃、ケンカして泣いてた美香ちゃんに……泣きやんでほしかったんだろうね。ひろくんが僕をプレゼントしたんだ。『僕のたからものあげる』って。それから僕は美香ちゃんからずっと『ひろくん』って呼ばれてるんだよ》
「ふぅん……ねぇ、ママのお友達のひろくんは、今もママのお友達?」
 ひんやりとした縁側に寝ころんで翔くんが聞くと、不意にぬいぐるみは楽しそうに笑い声を上げました。
《うん。ママのとってもとっても大切な人。でも、今ケンカしちゃってるみたいだね》
「ひろくんともケンカしてるの?」
 悲しそうに翔くんは言い、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめました。
「ママとパパもね、今ケンカしてるの。早く仲良くなってくれたらいいのにな」
《二人とも意地を張ってるだけなんだよ。でも大丈夫。明日になったら……》
 ぬいぐるみのその言葉を聞きながら、翔くんは目をこすりました。眠くなってきたのでしょう。
《翔くんはパパとママのこと、好き?》
「うん、大好き……ママとパパ……ホントはすっごく……仲いいの……ママとパパが笑ってたら……僕すごく……うれし……い……」
 ゆっくりと目を閉じる翔くん。そして眠りに落ちる中、翔くんはぬいぐるみの最後の言葉を聞きました。
《おやすみ、翔くん。僕も翔くんのパパとママ、大好きだよ》




「おはよう翔ちゃん」
 ママの声で目を覚ますと、翔くんはふとんの中で眠っていました。隣にはぬいぐるみが置かれています。
「あ……あれ? あれ?」
 きょろきょろしていると、ママが翔くんの服をバッグから取り出しながら小さく笑いました。
「わんちゃんとお月様を見てたの? お外で寝ちゃってたからママ、びっくりしたのよ」
「ん……」
 まだ眠そうに目をこする翔くん。ママは微笑み、翔くんのパジャマのボタンを外しながら聞いてきました。
「お月様、きれいだったでしょ?」
 途端、昨夜のことを思いだして目を輝かせる翔くん。
「うん。あのねあのね、ひろくんとお月様を見ながらずっとお話ししてたの。いっぱいいっぱい!」
「お話?」
 ママは翔くんの言葉に首をかしげたけれど、すぐにっこり笑いました。
「そう、翔ちゃんにはひろくんの声が聞こえたのね。ママにはもう聞こえないの。ママの代わりに、たくさんひろくんとお話ししてね」
「うん!」

 ピンポーン

 その時、玄関のチャイムが鳴りました。
 おばあちゃんがパタパタと廊下を駆けていく音が聞こえます。
 やがて、あらあらまあまあ、という声が聞こえてきました。そしてすぐおばあちゃんがこちらにバタバタと戻ってきます。
「美香、翔ちゃん、お迎えよ」
 おばあちゃんが障子を開けてにっこり笑いました。
「ほら博之さん、こっちこっち」
 うれしそうなおばあちゃんの声と、近付いてくる足音。
「……今日は三人で公園に行こうか?」
 翔くんの顔を見下ろしてママが笑いました。うれしそうに。
「うん!」
 翔くんはぬいぐるみを抱きしめると、ママを見上げて大きく頷きました。
「僕、ママとパパ大好き!」
 ママはとびっきりの笑顔になって、優しく翔くんを抱きしめてくれました。



 END



《コメント》

 これは涼風涼さん主催の『Creator's Synopsis』の第11回(13年8月度)に投稿した作品です。
 テーマは「月光」。原稿用紙10枚程度、という条件でした。
 目指せ児童文学作家!(をい)


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