少女たちは天使を殺す  草薙あきら

(少女の声)
どうしてあたしは彼女と出会ってしまったんだろう。



少女たちは天使を殺す


第一話

見開かれた瞳のアップ。
形良く整っている少女の瞳。今はその美点を損なうほどの驚愕に彩られている。
わななく唇。声にならない言葉を発して、少女はその場にくず折れる。
地面には血の痕が。
倒れた少女の手前、カメラを遮るように黒い影が現れる。
口元のアップ。
微かに動いたその唇はこう動いたように見える。
「ごめんなさい」

文庫本のアップ(「少女たちは天使を殺す」という文字)。
たたんたたん、と規則正しい電車の走行音。
文庫本に目を落としている少女。黒く長い髪を清楚におろした何処となく影の有る雰囲気。
制服は緑をくすませたような黒のワンピースで、白いリボンが映えている。
ふと視線を感じて少女目をあげる。カメラ目線。
少女の視線の先に同じ制服を着た少女がいる。少し幼い顔立ち。肩までのくせっ毛は栗色だ。先の少女とは対照的に快活な印象を受ける顔立ち。視線に気づくと慌てて顔を背ける。
「…?」
不思議そうに眉をひそめる文庫本の少女。
(ここから文庫本の少女は五峰紫(いつみねゆかり)、くせっ毛の少女は萩原泉(はぎわらいずみ)と表記する。)

画面白黒。回想場面。
ざわざわと学校特有の生徒たちのざわめき声。
生徒たちが何事か叫びながら通りすがっていく。
フォーカスは紫にのみ。あとはピンボケ。その映像に被さるように音声。
「溝口さん、怖いね…」
「あんなにいい人だったのに…信じられない、どうして?」
「通り魔かしら、やっぱり…だって恨みとかって考えられないよ」
紫の顔のアップ(正面)。
「五峰さん辛そう…仲良かったもんね…」
紫の後姿。
「五峰」
呼びかける少年の声。
心配そうに見つめる少年が立っている。人好きのする、真面目で純粋そうなその顔立ち。
「あの…俺なんつっていいかわかんないけど…その、俺でよければ何でも話してくれ、な。えっとぉ…早く、元気だせよ…」
顔を赤らめながら言うその姿は心底彼女を思いやってのことだと誰もが推測できる。
けれど。
紫は一瞬ひどく苦痛そうな表情をし。
「ありがとう…」
ようやくそれだけを言った。

夕日の差し込む電車の車内。
オレンジで染まる画面、たたんたたん、と規則正しい走行音。
座って目を閉じていた紫、ふと目を開き視線を転じる。
やはり以前に見た少女、萩原泉がいる。今日は文庫本を読んでいるようだ。
電車が停車する。紫と泉の視線が絡み合う。狼狽した泉の表情。慌しく降車する泉が車内に残していった文庫本…。
紫、おもむろに立ち上がって床に落ちたそれを拾う。表紙を見る。
「少女たちは天使を殺す」






第二話

放課後のグラウンド。
運動部の生徒たちが動き回る様が見える。
カキーンというボールがバットに当たる金属音。掛け声。怒声。
画面切り替わって校舎の遠景。窓辺に二つの人影が見える。
紫と少年(九藤克己(くどうかつみ)という)、何事か喋りながら廊下を歩いている。
ふいに紫の視線を横切る少女の姿。友達と屈託なく談笑しながら立ち去っていくその少女は、紛れもなく以前見かけた少女、萩原泉(二人には気づかない)。
「あ、あの子…」
「ん?萩原がどうかした?」
「知ってるの?あの子のこと」
「知ってるも何も同じ美術部だから…五峰こそあいつのこと知ってるんだ」
「この前彼女が電車に忘れて行った本を持ってるの」
「そうなんだ。俺が返しとこうか?」
「ううん、今家にあるから、また今度にでも」
「そう」
少し間。再びグラウンドの遠景が流れる。
やがて口を開く紫。
「あの子ってどんな子?」
「え…?どんな子って…。俺も部活の時くらいしか会わないからよくわかんないよ。でも明るくていい子だと思うけど」
「ふうん」
「そういや彼女も五峰や溝口たちのことどんな人なのかって聞いてたな(紫の表情が動く)…何かあるの、五峰たちさ」
「…」
「あ、悪い」
「ううん、気にしないで…それじゃ」
「あ、ああ。またな」
立ち去る紫の後ろ姿を少しの間見送って、克己も歩き出す。

駅のホーム。空は紫と濃紺が混ざり合った、夕闇の色。
ベンチに座った泉がいる。昼間の明るさは影を潜めており、物憂げな表情。
俯いた泉の体に影が落ちる。不審に思って顔を上げ・・・目を見開く。
無言で見下ろしている紫の姿(泉の視点)。
表情はなく腕を組んだその様は威圧的な印象。
差し出される文庫本。「少女たちは天使を殺す」の文字。
泉の顔、動揺の色が濃くなる。
「あなたのでしょう」
泉、受け取るのが精一杯。その手は震えている。
「その本、あたしもこの前読んだわ」
泉の瞳孔、一段と大きくなる。震える唇。
そんな泉に構わず、隣に腰を下ろす紫。
「あたしのこと、時々見てたみたいね」
泉、黙したまま。額には汗が浮いている…顔色はすでに失くなりかけている。
「あたしだけじゃなく真由子のことも知りたがってたとか」
「ごめんなさい、気持ち悪い真似して、ごめんなさい…」
呪文のように泉、「ごめんなさい」を繰り返している。それを見ようとせず、真正面を向いたまま責め続ける紫の横顔。
「あなた、一体どういうつもりなの」
到着を告げるベルと共にホームに入ってくる電車。吐き出される人々。乗り込む人々。やがて何事もなかったかのようにドアは閉まりゆるやかに電車は動き出す。遠ざかる人の波。ホームに残された二人を包む静寂。
「あたし…憧れてたんです、五峰先輩と溝口先輩に。二人とも美人だし、その辺の子たちと何だか雰囲気が違ってて、うまく言えないけどかっこよかった。二人と同じ本読んでみたり、髪形真似たりして喜んでた。くだらないって笑うかも知れないけど、あたしはそれで幸せだったんです」
紫、泉に顔を向ける。
「だから、溝口先輩が死んじゃってすごくあたしショックで…ごめんなさ…(溢れてくる涙を拭う)、五峰先輩の方がショックですよね、でもあたしも気が抜けたみたくなっちゃって…馬鹿みたい…うく」
肩を震わせる泉を見下ろす紫。
その肩をそっと抱いて、自分の胸に引き寄せる。
「…!」泉の動きが一瞬止まる。
「あなたはやさしい人なのね」
先程とは違う、やわらかい紫の声。
「…」顔だけを紫に預けて(決して感極まってしがみついたりした状態ではなく。嗚咽をこらえているような静かな状態)泉は涙をこぼしている。
フェードアウト(黒)。






第三話

校舎の窓。克己がこちら(カメラ)を見ている。
その表情は口元に笑みこそ浮かんでいるが、少々さみしそうに見えないこともない、複雑な色。
場面変わって弁当のアップ。彩りも良く見るからに完成度の高いそれは本にでも載っていそうな出来映えだ。
「おいしそうなお弁当ね。あなたが作ったの?」
訊ねるのは紫だ。
「まさか。お母さんですよー。あたしにこんなの作れませんもん」
手を振り振り冗談めかして答えるのは泉。
「そうなの。やさしいお母さんなのね」
「そういう先輩はじゃあ自分で作ってるんですか?」
紫の弁当のアップ。泉のものと対照的な和風テイストながらもけして劣らない出来のように見える。
「ううん。あたしも母が作ってくれるの」
「なあんだ、ちょっとすごいなって尊敬しかけたのに」
「甘やかされてるの、あたし」
言ってにっこりと微笑む紫(逆光)。少し眩しく感じながら泉も同じように笑う。
「でもね、甘やかすって、過保護にするって、その人を守ってるようでいて、実は無防備な状態に慣れさせてるってことなのよね」
不思議そうに紫を見つめる泉。紫、その顔を見て少し笑う。
「だからとても弱いのよ、あたしも…あなたも」

美術室。窓際の席で克己、スケッチブックに何か描いている(カメラから離れたアングル)。
他の部員と思しき生徒もまばらに動いている。
窓枠の影が教室内に色濃く落ちている。放課後の雰囲気。
克己、あまり身が入っていないようにみえる。頬杖をついて、適当に腕を動かしている。と、視線が窓外に流れる。
紫の姿(上から見下ろしたアングル)。鞄を持って歩いている…帰っている。
部屋の片隅で作業している泉。克己の声。「おい、萩原」
何事かと泉、克己の顔を見る。
「何ですか、先輩」
「今日は五峰と帰らないのか?」
問う克己の真意を理解できず、泉、首を傾げる。
「はい…」
「もう今日はいいから帰れよ。五峰帰ってるぞ」
再び紫の後姿。先程よりかなり小さくなっている。
「え、でも絵の具出したばっかりなんですけど…」
「俺が片付けとくから。どうせ文化祭間際にならなきゃやる気になんないだろ?」
「まぁ、そうなんですけど」
「ほら、早く。いなくなっちまうぞ」
「ああ、はいはい」
ばたばたと慌しく帰り支度をする泉。

「せんぱーい」
甘ったるい泉の声に振り向く紫。
息せき切らせながら泉が紫のそばに走ってくる。
「どうしたの。今日は部活でしょう?もう終わったの?」
眉を顰めて訊ねる紫。
「はあ、はあ、何ていうか…追い出されました」
「何それ」
「ま、いいじゃありませんか。一緒に帰りましょうよ」
息を整えると、泉、先立って歩き出す。
不審そうに後に続く紫。
二人並んで歩く光景が少しの間流れる。
そして唐突に泉、口を開く。
「先輩、ちょっと変なこと聞きますけど怒らないで下さいね?」
「内容によるわ」
「うわ、どうしよう…やっぱ今のなしで」
「怒らないわよ。言って」
泉、少し逡巡した素振り。ややあってこう訊ねる。
「九藤先輩って絶対五峰先輩のこと好きですよね」
ぴくりと凍る紫の表情(口元のアップ)。
「どうして…?」
泉、困惑顔。取り繕うように言葉を続ける。
「えと…今日も帰れって言ったの九藤先輩なんですよ。先輩のこと、一人だとさびしいんじゃないかって気にしてるのがわかるんです。あたしじゃ溝口先輩の代わりにならないかも知れないけど…」
口を少しの間閉ざす。動かない紫の表情。
「やさしい人ですよね、九藤先輩って」
「…そう。彼はやさしくてとてもいい人ね。真由子と仲良かったこと、ずっと昔から知ってるから余計気にしてくれてるのかも知れない」
自嘲したような笑みで話す紫。
「もしかして五峰先輩も九藤先輩のこと、好きです?」
動揺したような色が紫の顔に一瞬浮かぶ。ほんの一瞬だけ。そして。
「うん、好きよ」
「うわぁ、じゃあ両想いじゃないですか。いいなぁ」
興奮する泉をよそに、再び紫、無表情になる。
「そうかしら」
泉の表情も消える。
「好きって気持ちだけじゃ、何の幸福の手立てにもならないわ」
画面黒に変わる。






第四話

黒い画面に紫の声が響く。
「まわりの人間はあたしのことを何の問題もない優等生だと思っている」
「でもわかる人にはわかるのだ。あたしがいかに欠落した人間なのかということが」
「溝口真由子(みぞぐちまゆこ)もそうだった」

セピア色の画面。回想場面。
「この字、ゆかりって読むんだ。難しいね」
屈託なく笑う幼い少女(真由子)。
小学校低学年から高学年、中学生へと成長していく紫と真由子の姿がスライドショーのようにぱたぱたと移り変わってゆく。
その間に挟まれる紫の声。
「真由子と出会ったのは小学校に入ってすぐだった」
「親友、とまではいかないまでも、あたしたちは結構仲良くやっていた」
「親友、と呼べる域に達したのは中学二年の冬、あの事件からだった」
頭を抱えて泣き崩れる紫の傍らに佇む真由子。
「もう、忘れよう。全部。つらかったね、もう終わったんだよ。大丈夫…」
そっと真由子は紫を抱きしめる。短めの髪、意思が強そうなその瞳。
紫、真由子の背中に腕を回して声を上げて泣く。
フェードアウト。
紫の声。「あたしは彼女なしでは生きられない体になった、そう思った。その時は」

フェードイン。回想場面は続く。
幼い紫(といっても中学一、二年)の見上げる先にあるのは男性の顔。
眼鏡をかけた知性の高さをうかがわせる容姿。紫に応えて微笑み返す。
「中学二年の冬、あたしは初めて裏切られる、ということを体験した」
「あたしはすべてにおいてあまりにも打たれ弱かった。自分で自分を守ることを、知らなかったのだ」
男、紫に背中を向けている。
紫、不安げな顔で何かを訴えている。その間も、男は後ろを向いたまま。
「…五峰君、お願いだからわかってくれないか。大人を困らせちゃいけないよ」
見開かれる紫の瞳。そのあと力なく半眼になり、涙が溢れ始める。
フラッシュ(数回)。
男の倒れた姿、血溜り、葬式の遺影、教室、取り乱す紫の姿、が挟み込まれる。
「あたしが悲しかったのは彼の死ではなく、彼の裏切り」
先程の紫と真由子のワンシーンが挟み込まれる。
「捨てられる前に捨てなきゃいけない」
「それは多分その時に覚えた」

「はぁっ!」
目を開ける紫。
寝室。モノトーンの画面(夜中の雰囲気)。
汗をかいた紫、ベッドの上に起き上がって、息を整えている。
肩を上下させながら視線を移動させる。右手で前髪をかきあげる、その指の間から動く瞳。
窓。わずかにあいたカーテン。
机。紫の瞳のアップ。再び机(の引き出し。先程よりカメラは近い)。
机を見つめる、妙に殺気を帯びた紫の表情。
黒い画面に切り替わる。






第五話

廊下に佇む紫と克己の姿(遠景)。
「最近、萩原と仲が良いんだね」
克己の科白に、紫、視線を送る。
「ちょっと、安心した」
照れたように顔を背ける克己。
「この前も泉を早く帰してくれたそうね」
「えっ」(ばつが悪そうに)
「あの子に、真由子の代わりをさせてるのね」
間髪入れず、「ち、違うよ、そんなつもりじゃ」
紫、表情を緩める。
「…うん、わかってる。あたしのこと心配してくれてるのよね。でももう大丈夫だから。ありがとう」
克己、安堵の表情。
「だから、もうあたしに構わなくていいから」
「え?」
「ずっと気を使わせるの、申し訳ないもの」
「そんなことないよ、気なんて使ってない、俺は…」
紫の腕を掴む克己。紫の瞳に動揺の色が浮かぶ。
「俺は五峰のことが好きだから」

「僕も五峰君のこと、好きだよ」(男の声)
「紫のこと、大好きだから」(真由子の声)
声と共に血塗れの男と真由子の死体の映像、フラッシュバックする。

「やめて…」
紫、不穏な表情。頭を抱えるようにして立ち竦む。
突風に流れる黒髪。
「あたしの中に入ってこないで」

明るい戸外。土曜の昼下がりくらいか。
「聞きましたよう、先輩。九藤先輩に告白されたそうですね?」
無邪気な泉の声。しかしそれらに反して紫の表情は暗い。
「…誰に聞いたの」
「本人に無理やり。何か様子がおかしかったからちょっと突付いたらすぐ吐きましたよ」
眉を顰めて歩を進める紫。泉が慌てて後を追う。
「答えなかったそうですね、先輩。どうして?両想いなのに。いいなぁ、すごくお似合いですよ」
「どうして…」遮る様に独りごちる紫。
「どうしてあたしなんかを好きになるのかしら。理解らないわ」
「先輩?」
「どうしてあたしを放って適当にあしらってくれないのかしら」
見たくないものを見てしまったような泉の顔。


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