エピローグ


高城遠子は目を細めて桜の木を見上げた。満開だ。
くるくると回転しながら髪に舞い下りてくる花びらを手で払いながら、彼女は目的地への道を歩いていた。先輩三人娘も一緒に来たいと言っていたが、丁重にお断りした。
今日は一人で行きたかった。
そうだ、去年の今頃だった、と遠子は記憶を呼び戻した。家を出て一人暮らししたいと言っていたのは。
そして毎日のようにこの道を通って彼女に会いに行っていた。もう目覚めないかも知れない彼女を。
思い返せば返すほど今とその時の状況は似ていた。
でもその時のひどく絶望的な気分は今の遠子にはない。
病院が見えてきた。目的地だ。
自動ドアを抜けた待合室に彼女はいた。姿勢正しく椅子に座ってテレビを見ている。
「お待たせ」
遠子は声をかけた。彼女が振り向く。ベリーショートに眼鏡の少女は遠子の姿を認めると微笑んだ。
「遅いよ」
六宮沙霧は言った。

「今日部長が来たよ」
バッグの持ち手を肩でひっさげている沙霧はヘアスタイルのせいもあってまるで男の子だ。
「そう」
「あの人すっかり元気だね」
「そうね、急所は外れてたし。ていうか、沙霧が長過ぎるのよ、入院が」
「また生き残っちゃったな…」
「沙霧」
「嘘。ご心配おかけしまして」
遠子は沙霧と元来た道を歩いていた。今日は退院する沙霧を迎えに来たのだ。
「ねぇ、疲れない?大丈夫?やっぱり迎えに来てもらおうか?」
一応病み上がりである沙霧に遠子は訊ねた。
「大丈夫。あたしを甘く見てもらっちゃ困るなー。それに遠子と一緒に歩きたかったんだもん。車じゃお兄様方が邪魔ってゆーか」
「馬鹿ね」
呆れたように沙霧を見て笑う。

「それにしてもびっくりしたな。意識が戻ると部長もリーダーも一緒に入院してるんだもの」
「そうでしょうね」
遠子は思いだす。沙霧の知らないその時のことを。
和志が撃たれてから。
あれから父、夕也は沙霧までも撃ち殺そうとした。
けれど出来なかった。
意識を取り戻した維純がサイコキネシスで銃を壊したからだ。
銃は暴発し、父は重症を負った。
それで三人病院送りということになったのだ。
一番回復が遅れたのはやはり沙霧だった。脳に達した傷のせいでついこの前までずっと意識不明だった。髪が極端に短いのは手術のせいで、眼鏡をかけているのはまだ完全に視力が回復していないからだ。

「それで?あの二人に力使ったんだ」
「…うん」
「あれだけ使うの嫌がってた遠子がねぇ。変われば変わるもんよね」
冗談めかして言う沙霧を遠子は睨みつけた。
「…だってあのままにして置けないでしょう?言っとくけど部長の記憶は操作してないわよ。あくまでも、以前の部長に戻るっていう暗示しかかけてないわ。だから自分が何をしたか全部覚えてる筈よ、あなたと同じように。それを覚えてる上でどうするかはあの人次第だわ」
「じゃあ何?母親殺しはどうなってるの?捕まってないみたいだけど」
「…サイコキネシスが死因じゃ立証できないでしょう。その辺は要兄様が操作してくれたみたいよ。あなただって殺人者の兄は嫌でしょう?」
「さすが高城家ね。揉み潰すのはお手のものって訳」
「…あなたの気持ちはわかるけど…」
「ごめん。嫌味じゃないのよ。そうね、あれは不幸な事故だったんだわ。部長が反省してくれてるならそれでいいの」
そう口にすることはけして簡単な事ではない筈だ。たとえ心の中はどうであれ和志を許す科白を口に出来る沙霧は強い。そう思わずにはいられなかった。
それにしてもあたしと沙霧は一生兄のことを部長と呼ぶのだろうか?ふと遠子は疑問に思う。
「でもさすがにお父様は記憶操作だけじゃ無理があったから多少思想も操作したけど」
「うん、突然撃ち殺されるのはあたしも嫌だ」
「…けど信じられなかったわ。お父様があんな卑怯な人だったなんて」
思いだすだけで身の毛がよだつ気がする。実の父親ながら一瞬殺意をおぼえた程だ。
「いいじゃない、とりあえず丸く収まってるんだから」
そうね、と遠子は頷いた。
道成諒が言っていた科白に今ならあたしは頷ける。
『君がそんな能力を持っているのにはきっと意味があると思う』
あの時決めたのだ。大切なものを守るためにならこの力を何度だって使ってやると。
卑怯だと自分勝手だと言われようがあたしはこの力を使う。
もう一度彼らがあたしの、そして沙霧の生命を脅かそうとするならあたしは容赦なく彼らの精神を操作するだろう。
これはそのための能力なのだ。あたしと彼女のためだけの。

「ねえ、そいえばちゃんとお弁当作ってきてくれた?」
脳天気な声で沙霧が訊くので、遠子は苦笑した。
「持ってきたわよ。あ、そうか花見しながらお弁当っていうのもいいね」
「そうでしょう?今日が晴れてて良かったね。あ、こっちに良い場所があるの」
沙霧は先に立ってどんどん歩いていく。
「この辺詳しいんだ?」
「あの病院行きつけだからね。あたし怪我ばっかりしてたから…あーここ、ここ」
公園という訳でもないがそこは広場になっていた。穴場らしく桜の割りに人影がない。
「へえ…いいとこ知ってるんだ」
「でしょ?誰にも教えちゃ駄目よ?人が増えるから」
二人は適当な桜の木の下を選んで座った。下から見上げると花びらが降ってくる様が幻想的でとても綺麗だ。
花びらを眺めている遠子に比べ、沙霧はさっさと弁当の包みを開けている。
「いただきまーす」
「…典型的な花より団子って人間よね、沙霧って」
言って遠子も弁当を開けることにした。
「おいしいよー。病院食はまずいからさー」
「病院食と比べないでくれる…?」
幸せだった。
また沙霧とこんな会話を交わせることがたまらなく嬉しかった。
あんなことがあっても、沙霧のことが好きな気持ちは少しも変わらない。
「何にやけてんの?やらしー」
「やらしーのはそっちの専売特許でしょう」
「あ、そう思ってるんだ。じゃあそうする」
弁当を脇に置いて、沙霧は遠子を抱き寄せた。太腿の上にお姫様だっこだ。病み上がりの人間がやることとは思えない。
「ちょ、ちょっと。無茶しないでよ」
「大丈夫、誰も見てないから。そういう問題でしょ?遠子の場合」
さすがによくわかっている。図星を指されて遠子は黙りこんだ。
「素直だね」
「…うるさいわね」
「遠子」
不意に神妙な口調で名前を呼ばれ、遠子は首を傾げた。
「何?」
「ありがと。あたしのために使いたくない力使ってくれたんだよね」
眼鏡越しの沙霧の瞳が、まっすぐに自分を見つめている。遠子は首を振った。
「そんなこと、ないのよ。ほら、あたしも成長したっていうの?」
冗談めかして言ってみたのは間違いだった。沙霧の顔がいたずらっこのそれに変わった時にはもう遅かった。
「あ、そう言われたらちょっと胸大きくなってるかも」
あいてる左手で遠子の胸を撫でながら、しれっとそんなことを言う。
「こら───!!」
「遠子って面白ーい」
あたしを何だと思ってるの、そう言おうと思ったけど出来なかった。
唇を重ねられたから。
遠子はあきらめてゆっくりと瞳を閉じる。
…どうせ答えはわかっているからいいか。


 (メデューサの瞳・了)


《コメント》
以前遠子と沙霧はまるっきり逆の性格だったとお話しましたが。
今回は何故こうなったのかというお話をしたいと思います。
…が。思い出せない。どうしても思い出せないのです…。もう何年か前の話なので…。
で、この頃書いた「プラナリア王子と呪われ姫」というネーミングセンスを疑う作品があるのですが。
これは「前世でプラナリアになる呪いをかけられた女の子(前世は王子)が、呪いをとくことが出来る女の子(前世は王女)の学校に転校してきて云々」とゆー無茶苦茶なお話で。
どーもこの頃のあたし、プラナリアに固執していたようです。
別の話のノートとか見ても「政府の軍部で特殊な訓練を受けた闇の暗殺集団(爆笑)の一人で、常人にはない治癒能力を持つ」という沙霧の前身みたいな少女の設定もあったし。
そういえば高校の頃生まれ変わったらプラナリアになりたいとか言ってたなぁ。
一瞬ですが。
どうしてもプラナリアのような殺しても殺しても死なない体質の女の子が書きたい。
愛する人を守りたくても盾になることしか出来ず、血を流し続ける女の子が書きたい。
でも大人しい沙霧にこの能力ってただのいじめられっこになっちゃうんですよね…(元はサイコキネシス使いでした)。
遠子の能力はタイトルになってるからもうはずせないし。
そんな理由で二人の性格は入れ替わったのでは…?って人に聞いてどうする。
多分そんな所です。
エピローグはもう、もう、もうどうしようもなく暗く救いのない展開に一歩間違ったらなるとこでしたが。
やっぱりハッピーエンドの方がこの二人には似合うだろうということで。
すんでの所で思いとどまりました。危なかった。
それでは。
最後まで読んで下さった方、本当にどうもありがとうございました。
またお会いできると良いですね。

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