教室の隅の席に彼女は座っていた。
 教室の中は生徒たちのざわめきで満たされている。そんな中で彼女は一人、椅子に座っていた。
 彼女は近くにいる女子の一人に思い切って声をかけて見た。
 ――彼女の方には見向きもしない。他の女子とお喋りに興じている。
 彼女は気を取り直して他の子に声をかけた。
 結果は同じだった。
 ――無視される。
 彼女は絶望的な気分になった。
 誰も私を見てくれない。まるで透明人間か何かのように。彼女は一人だった。どうしようもなく孤独だった。気が、狂いそうな孤立感が彼女を襲った。
「たすけて」


 志保は学校に向かう電車の中で、今朝見た夢を思い返していた。
 最悪な夢だった。今頃あんな夢を見るなんて。
 無意識の内に表情が曇って行く。しかし学校に着くと夢のことは忘れてしまった。由利子から内海頼子のことを聞かされたからだ。
「じゃあ、私たちにされたことを思い出したから、復讐しようとしてるって訳ね?」
「多分ね…でも普通そこまでするかなあ」
「記憶喪失にされればそりゃ怒るでしょうよ。人生狂わされたんだから」
 由利子は釈然としない、といった顔をしている。
「だって…わかってくれると思うけどなあ。やり方は確かに酷かったけど、仲良くするつもりだったんだよ。覚えてる? 封筒の中身に書いたこと」
「うん」
「何だったっけ…確か『おめでとう。これで私たちのグループの一員だね。仲良くしよう』みたいな文だったよね」
「…そうだったね」
 志保は頷いた。


「ただいま」
 理絵が言いながら靴を脱いでいると、奥から母親が出て来た。
「理絵、手紙が来てるわよ。内海頼子さんってお友達?」
 理絵は青ざめ、母親の手から手紙を引ったくった。怪訝そうな表情をする母親を無視して、封を切る。
『闇に飲まれるのはお前の方だ』
「…な…何なのよこれは…!」
 理絵は手紙を放り投げるとその場にしゃがみこんで泣きだした。


「どうしよう」
 由利子はすがるような目付きで志保を見つめた。居心地が悪そうに志保は目をそらす。
「どうしようって言われても…きっとこれが復讐なのよ、あの子の。私たちを怖がらせてるんだわ。それだけよ。何も危害を加えたりする気はないんじゃないかな」
 志保は言った。
「でも必ず戻ってくるって書いてあったよ」
と理絵。
「それがあの子の作戦なのよ。気にしない方がいいと思う。不幸の手紙か何かだと思えばいいのよ」
 志保は強い口調で言った。
「それにしてもこの『闇に飲まれる』って何なのよ」
「七不思議の一つでしょ。志保が話してた」
「志保があんな話するから」
 理絵が恨めしそうに志保を見る。
「でも七不思議は『闇の中から何かが出てくる』だったじゃない。『闇に飲まれる』なんて言ってないよ、私」
 志保は怒ったように反論した。
「そんなの似たようなもんじゃない。ああ、もう嫌だ」
 頭を抱える理絵を見ながら由利子はため息をついた。


 由利子、志保、理絵の三人は佳織の家に集まった。
 四人とも黙りがちで、意味もなくつけたテレビから聞こえる笑い声が部屋に空しく響いている。
「頼子は何処にいるんだろう」
 理絵が呟くように言った。
「きっと何処かに潜んで私たちを見てるんじゃない?私たちが怖がってるのを楽しんでるのよ」
 口調が次第にヒステリックになってくる。佳織は肩を叩いてそれをなだめた。
「まあ落ち着いて。大体これがまだ頼子の仕業とは決まってないんだから…それよりこの二通の手紙を検証して見ようと思うの」
 そう言って佳織はテーブルに便箋を二枚並べて置いた。
『ゲームはまだ終わっていない。私は必ず戻ってくる』
『闇に飲まれるのはお前の方だ』
「ワープロの文字だから頼子かどうかはわかんないよね」
 と言う由利子に佳織が頷く。
「でも誰がこんなことするの? このこと知ってるの私たちだけの筈でしょう?」
 志保が言った。
「そうね。…じゃあやっぱり頼子自身が出したものとして考えて見ましょう。一通目はともかくとして、二通目は何となく違和感を覚えない?」
 佳織はそう言って志保を見た。
「と言うと?」
「これって誰か一人に向かって言ってるみたいよね」
「だって一人一人に手紙を出した訳だから当然じゃないの?」
「うん…そう言われるとそうね。じゃあ闇に飲まれるって言葉についてはどう?」
「別に…七不思議の話ずっとしてたし、暗所恐怖症だったんだから闇に飲まれるような感じがしたんじゃないかな」
「それを私たちにも味わえと…?」
「ねえ」
 突然由利子が口を挟んだ。
「ちゃんと謝った方がいいんじゃない? やっぱり」
「そうよ」
 と理絵も相槌を打つ。
「うん、そうだね」
 佳織はそう言うと立ち上がった。
「今日はもうお開きにしない? こういう暗い話題ってあたし駄目だわ」
 三人は頷き、それぞれ帰り支度を始めた。そして、玄関を出ようとした時、
「志保、忘れ物してるよ」
 佳織が呼び止めた。
「先帰ってていいよ」
 志保は二人に手を振ると、佳織のいる玄関に戻った。
 無表情に佳織は志保を見つめていた。志保は苦笑した。
「…大事なことを忘れてた。差出人が頼子でも第三者でもないとしたら」
 一度言葉を切って、続ける。
「私たちの中の誰かの仕業に決まってるよね」
 佳織は冷ややかに笑った。


「いつ知ったの?」
 再び佳織の部屋に戻った志保は窓の外を見ながら訊ねた。
「頼子のお葬式の日にね」
 佳織が答える。
「頼子…死んだんだ。いつ?」
「二週間くらい前かな。交通事故だって。結局記憶は戻らないまま」
「…そう」


 佳織はあの日以来、グループの子たちには内緒で頼子の家によく見舞いに行った。自分に非があることを口には出さないまでも、責任は感じていたのだ。頼子が引っ越しても、時々は彼女の家を訪れていた。それは佳織が大学に入っても続けられた。だから当然のことながら佳織は頼子の葬式にも参列した。頼子の母はそんな佳織に白い封筒を見せた。
 佳織は背筋が冷たくなった。それはあの日、彼女達が理科室に隠しておいたものだったからだ。
「あの日、あの子の足下に落ちていたんです」
 母親が言った。佳織は罪悪感に押し潰されそうになりながら、封筒の中身を見た。
 血液が逆流しそうになった。
『内海頼子は理科室で闇に飲まれて死ぬ』
 そこにはそう書かれていた。
 ――違う、これは私が入れたものじゃない!
「何でこのこと学校に言わなかったんです!?」
 佳織は叫ぶように言った。
「…あの時はすぐにまた学校に通えるようになると思っていたんです。余計なことをするとこの手紙を書いた人たちのいじめが酷くなるんじゃないかと思って」
 頼子の母親は娘がいじめられていたと思っていたようだった。
「それで何となく放っておいて…気がついたら今日になっていました」
 そう言って母親は泣き笑いのような顔をした。
 佳織は体が震えるのを感じた。悲しみのためではない。怒りのためだった。
 一体誰がこんなことをしたのか。この短い文面からは闇のような…そう、まさしく闇のような冷酷な悪意が感じられる。誰だってあんな状況でこの手紙を見れば、恐怖でどうかなってしまうだろう。ましてやあの暗所恐怖症の頼子である。どれほど恐ろしかったことか。
 ――この手紙のせいで全てが台なしになってしまった。
 佳織は食い入るように文字を見つめていた。


「あの時ワ−プロ持ってたの、あなただけだったものね」
 志保は薄く笑った。
「佳織にワ−プロ見せたのは失敗だったな」
「それに理科室に隠す封筒持ってたのもあなただったし」
「そうだったね」
 沈黙。やがて口を開いたのは志保だった。
「何であんな手紙出した訳?」
「…まだあなたの仕業だって確信できなかったから。みんなの…特にあなたのね、反応が見たかったの。頼子の恐怖も味わわせてやりたかったしね」
「酷いよね、他の二人まで巻きこんじゃって」
「それは悪かったと思ってる」
 佳織は素直に言った。
「でもね、私は許せないわあなたが。あんな酷いことするなんて。何であんなことしたのよ」
 志保は暗い瞳で佳織を見上げた。
「…だから頼子の代わりに復讐して差し上げたって訳なの? まるで自分は悪くないって言い方ね、気に入らないな。佳織はいつもそうよね。外面がよくて、いつも自分が中心にいなきゃ気が済まない。逃げ道はいつも用意してて、いざとなったらそこに逃げる」
「…答えなさいよ」
 佳織は怒りを圧し殺しながら言った。笑う志保。
「私は父親がしょっちゅう転勤するからよく転校してた。でもなかなか馴染めなくてね。要領も悪いからいじめられるのもしばしばだった。ここに来たのは小四の時だったな。やっぱりなかなか溶け込めなくて、無視されたりもしてた。方言が変だったからね」
 佳織は黙って聞いている。
「五年になって、佳織のグループに入れてもらえた時は嬉しかったな。でも、いつ仲間はずれにされるかわからないという恐怖はいつも付きまとってた。ねえ、私たちのような人間ってさ、一番安心出来る時って、他の誰かがいじめられてる時なんだよね。その時だけは自分は部外者だ、自分は安全だ…って思えるの」
 志保は佳織に笑いかけた。
「この気持ち、わかってくれなんて言うつもりないよ。でも頼子が転入して来た時はわくわくしたな。いかにもいじめられそうな子だったでしょう。この子がいじめられれば、私は安全だと思った。それに私もいじめられる側からいじめる側にまわってみたかったからね」
「だからあんなことしたの?」
「でも最近じゃやっぱり傍観者が一番いいって思ってるけどね」
「…志保…!」
「かわいそうだったね。頼子はきっと私に一番近い距離にいたはずなのに」
「…よく似過ぎてたからいじめたくなったんじゃない?」
「そうかもね。私、自分のこと大嫌いだから」
 志保は佳織に背を向けた。
「あんたも大嫌い。いつも自分は安全な場所にいる。自分だけは許されるなんて思ってないでしょうね。見舞いは免罪符な訳?あんたも同罪よ。頼子を追い詰めた…」
 声が途切れる。頬を伝う涙が床にこぼれ落ちる。
「志保…」
 佳織は呟くように言った。志保が肩を震わせるのを、悲しげな瞳で見つめるしかなかった。


 気がつけば地面に叩きつけられていた。
 心臓の音。それにあわせるかのように広がって行く血溜まり。痛みで息ができなくなる。
 ここは何処だったろう。私は……そう確か理科室にいたはずだ。
 仰向けになると真っ青な空が目に入った。明るい。
 …そうか、みんなが助けに来てくれたんだ。ここまで連れて来てくれたんだ。
 みんなが心配そうにのぞき込んでいるのが、霞んで見える。
「…大丈夫…」
 口に出したその声は信じられないほど小さかった。
「しっかりして」
「大丈夫だよ」
 みんなが励ましてくれる。ありがとう。ほんとは優しいんだよね、みんな。
 視界が暗転して行く。
 ――仲良くなれるよね。
 それが、内海頼子が最後に思った言葉だった。



 END



《コメント》

最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございました。
感想お待ちしてます。


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