第2章

「で? そいつらをどうやって見付ける気なの?」
 スペロの街を出るなり、フレイア=サティスロード――通称フレイ――は、前を歩いている少年に声を掛けた。
「え? ……あ、忘れてた!」
 魔術師のリュース=ヴォルロイドが足を止めてフレイを振り返る。
「忘れてたって……それじゃ手掛かりなしってこと?」
 拍子抜けして聞くと、リュースは首を振ってフレイに尋ね返して来た。
「鍵のことでバタバタしてすっかり忘れてたけど、フレイ、君は鍵の他にも色々と盗んだだろ?」


 ――リュースの喋り方が変わったこと、お気付きだろうか?
 彼の「です・ます」の口調を、フレイが「鬱陶しい」の一言で変えさせたのである。
「あたしに対してその言葉遣いしたら、その度に一発ぶん殴るからね」とも言ったが。
 乱暴だが、これが彼女なりの親愛の証なのだ。……………………きっと。
 その代わりにリュースも、「僕の名前は『あんた』じゃなくて『リュース』だからね」と言ったが。


「ちっ」
 思わず漏れたそのフレイの舌打ちに、リュースが半眼になる。
「ずっと僕が忘れてたら良いとか思ってたんじゃない? そしたら自分が盗んだままでいられるから、って」
 図星。
「また人聞きの悪いことを……。それに、これは慰謝料なの。あたしの特注の鎧にあいつらが傷をつけてくれたから」
 こめかみから汗を流しながらもフレイが言い返したが、リュースは「ドロボー!」と目で訴えて溜息をついた。
「大体、そんな猫が爪立てたくらいの傷で慰謝料だなんて」
「いいのいいの。悪人からはいくら巻き上げたって」
「……僕にはフレイの方が悪人に見えるんだけど」
「何か言った!?」
 凄んでみせるが、リュースには脅しも通用しない。半眼のまま見返してくるだけなのだ。
 フレイは大げさに溜息をついて肩を竦めてみせた。
「ったく。……で? 鍵の他に色々盗ったからどうだっていうの?」
「……」
 僕とこの人の間に相互理解ってものは存在するんだろうか――リュースの頭にぼんやりとそんな考えが浮かんだが、考えれば考える程空しくなるだけなので、彼はその行動をやめた。
「あのね、僕はヴァルラン博物館の護り人なの。遺産を護る立場にあるんだから、返してもらうのが当然だろ」
「んー、まぁ正論だね。じゃあ、彫像も短剣も宝石も遺産な訳?」
 そのフレイの言葉に脱力したリュースが彼女を見遣る。
「宝石はうちのじゃないけど……でも、盗んだものはちゃんと返しておかないと駄目だよ」
 とは言ったけれど全く反省の色のないフレイに、大きく溜息をつくリュース。再度脱力。鈍い頭痛すら感じる。
 彼は早く博物館の宝を返してもらって、この自分勝手なフレイと別れてしまいたい、と思っていた。しかし、このままではフレイは簡単に返してくれそうにない。また、実力行使は自分の性分ではない。
 ならば、黒狼のところから鍵を取り返して、彼女の悔しさとやらを早く解消させてしまうのが最良の手ではないだろうか?
「ここで喋ってても無駄に時間を費やすだけだから、山に行ってみよう。何か分かるかも知れない」
「それは良いけど、またあそこまで歩いてくの? やだなぁ」
 顔を顰めるフレイ。しかしリュースは首を振った。そして呪文を唇に乗せる。

飛翔鳳ヴィオ

 その呪文と共に、リュースとフレイの身体がふわりと宙に浮いた。
 飛翔鳳ヴィオというのはかなり高度な魔術が必要な飛翔呪文のひとつ。
 単に『飛翔呪文』といっても、それにはいくつもの種類がある。最も簡単な飛翔呪文は、術者一人だけの飛行でしかもよろよろとした飛び方。当然、飛距離も長くない。
 しかし飛翔鳳ヴィオはそれとは違い、複数の者を連れて高速で空を翔ることが出来る高等呪文。勿論、飛翔鳳ヴィオに限らず魔術を継続させるためには、かなりの体力と精神力が必要とされるけれど。
「へぇ、リュースって飛翔鳳ヴィオが使えるんだー!」
 ただのへっぽこ魔術師だと思ってたのに。そう言ったフレイに苦笑するリュース。
「でも、防御とか治癒とかの呪文はまだ勉強中で使えないんだ。それに、正式にどこかで師事してはいないんだよ――時々遊びに来る叔父さんに見てもらってるけどね。叔父さんは王都の魔術師協会にいるから」
「え!?」
『協会』と聞くなり反応を示したフレイに、リュースが小首を傾げる。
「フレイ、君やっぱり協会で何かやったんじゃないの? 何となく怯えて見えるんだけど」
「ままままままさかぁ。あたしを怯えさせるようなものがこの世にあると思う?」
「……」
 思わない。思わないが、何かはある。
 言葉に出さないまでもそう確信したリュースは、しかしフレイが全身で拒絶していたのでその話題は避けた方が良いのだろうと判断し、黒狼のアジトがあった山へと自分たちの身体を向かわせた。
(協会で何か大変なことをしたんじゃないかな。マイスターの誰かに何かをして怒りを買った、とか)


 王都に建てられている魔術師協会。
 それはイヴァンレイオス王が新しい王朝を開いたときに作られたもので、魔術の最高峰である。現在では数多くの魔術師がそこで魔術の研究をしていた。
 また、魔術の素質がある者を協会『本部』の隣にある『塔』に集め、そこで育成をも行っている。その育成とは主に魔術に関する講義や実践練習だが、それだけでなく体術や剣術を指導したりもする。
 そういう一連の指導は協会の筆頭魔術師五人――マイスター――が主に行っていた。
 魔術師協会の長、エヴィン=ガーランド――齢八十を優に越えているが、まだまだ矍鑠かくしゃくとした悪戯好きの老人で、いつも明るく笑っている。
 彼に次ぐ実力を持っていたのはアルテス=サティスロード。皆に優しく、人望も厚かった。しかし彼は約一か月前の『塔内事故』により死亡している。
 次いでヴァレス=ギルディランド。五十をいくつか越えた程の彼は地位や名誉に執着しており、それ故アルテスとは対照的に怒らせたら怖い、と皆に敬遠されている。
 そして三十代のミシェル=クロフォード。優しい女性なのだが、事、魔術のことになると自分にも他人にも厳しく、何事にも決して手を抜かない。彼女は現在、エヴィンの密命を受けて極秘調査に出掛けているらしい。
 最後にハリス=エンディミア。彼はミシェルと同年代。魔術の実力は他の四人に劣るものの、彼の情報収集能力は素晴らしい。彼は現在、『塔内事故』により重傷を負っている。


「でも、何でリュースが護り人に? あたしと同い年くらいでしょ。十四……十五?」
 流れて行く眼下の風景を目で追っていたフレイが、考え込んでいるリュースの方に顔を向けた。
「十四って……僕そんな風に見えるの? ……今、十六。もうすぐ十七になるけど」
 眉を寄せ、少し傷付いたように唸るリュース。それから彼はスッと目を細めた。
「護り人になってまだ何日も経ってないよ。黒狼がうちに盗みに入ったその日からだから」
 そこでパタ、とフレイの思考が止まる。
 しばらくの後、ようやくその言葉の意味が頭に浸透したフレイが、瞬きして問い掛けた。
「ってことはもしかして、前の護り人――」
「そう」小さく頷くリュース。疲れたような溜息と共に。
「前の護り人は僕の父さん。護り人は世襲制なんだよ、血筋が必要とも思えないけどね。……僕はその夜、王都からやって来た叔父さんを迎えに行ってた。叔父さんが師事してるヴァレス先生が体調が悪かったみたいで、何日か休講になったから……そういうとき、遊びに来てくれるんだ。たまに父娘で来てくれるけど」
 そこまで言うと、フレイが物言いたげな表情になったのに気付いて注釈を入れた。
「叔父さんは飛翔呪文が使えないんだ。魔術にも相性があるからね。他の魔術は、僕なんてまだまだ足元にも及ばないけど――だから、いつも僕が迎えに行くんだよ」
「ふぅん」
 そういえば、自分の父は防御系統が苦手と言っていたな――とフレイは頷きながらぼんやりと思い出していた。
 苦手とはいってもそれは彼の基準であって、徒弟たちに言わせると「アルテス先生はどの魔術も得意」となるのだけれど。
 リュースはフレイが納得したのを見ると言葉を続けた。
「それで叔父さんを連れて家に帰って来たら、父さんたちが真っ赤に染まった床の上に倒れていて……貴重品なんかと一緒に、博物館の鍵が盗まれてたんだ」
「……」
 努めて冷静に説明しようとするリュース。しかし彼の拳が力強く握り締められているのを見て、フレイは目を細めた。
「本当はその夜、みんなで外食する予定だったんだけど、出掛ける直前になって来客があってね。それで僕だけが迎えに……みんな一緒に行ってたら、盗みに入られても殺されるようなことはなかったのに。スティーブさんも――そのときのお客だけど――訪ねて来なければ、殺されることはなかった」
 その悪夢のような出来事を思い出したのだろう、リュースが自分の掌を見つめて声を震わせる。まるで、その掌が真紅に染まっているかのように、つらそうに目を細めて。
「それからすぐ叔父さんと博物館に駆けつけたけど、もうそこは荒らされた後だったんだ」
 やり場のない怒りを堪えるように、リュースは再度拳を握り締めた。

《何でも、そこが一昨日の夜、卑劣な方法で盗みに入られたそうなんですよ。で、展示室のものは粗方持ち去られたとか》

 昨日聞いた、ダグ村の村長の言葉が脳裏に蘇る。
 絶対に許されない、極めて卑劣な方法でリュースは博物館の宝を盗まれた。だから、あれ程怒りの表情を見せていたのだ。
「……そっか。リュースもひとりぼっちなんだね」
 淋しそうに軽く溜息をつくフレイ。
「も、ってことは、君もご両親が?」
 聞いてから、リュースの口が「あ」という形に開かれた。
「アルテスさんは先月の協会内の事故で……ごめん」
 言うと、「事故、ね」と小さく呟きフレイは口の端で笑った。
 原因不明の大爆発により、協会の『塔』が全壊。死傷者多数――現在、協会の上層部と役人が原因追及に全力を注いでいる。『事故』ということに表向きはなっているけれど。
 故に、協会と深く関わっている者でなければリュースのように、『協会で事故があった』という認識しかない。
「でも、いくら黒狼を捕まえるためとはいっても、リュースが博物館を出て来て良かったの? 護り人なんでしょ?」
「うん……休館にしてるから。それに、今は叔父さんが僕の代わりに博物館を護ってくれてる。また盗賊が押し入らないとも限らないしね。僕の他に働いてくれてる人たちは魔術が使えないし」
 そこまで言ってから、リュースはきゅっと唇を結んだ。
「護り人になった以上、何としても責任はとらないといけないんだ」
「……」
 麻袋に入れている宝が心なしか重くなったように感じられ、フレイは気まずくなって彼から視線を逸らした。それ程大切なものを、私欲のために持ち出してしまったことへの罪悪感。そして、それを手に入れるためだけにリュースの大切な家族を殺した黒狼への怒りも込み上げて来る。
 フレイのその様子に気付かなかったリュースは、博物館のあるらしき方向に視線を向けて目を細めている。
「叔父さんには、小さい頃からずっとお世話になってるんだよ。今度のことでも、僕の代わりにあちこち連絡してくれたり、鍵がないままだと不用心だから、って入口に封錠の呪文を掛けてくれたり……本当に、どれだけ感謝しても足りないくらいだ」
 叔父のことを心底慕っている様子のリュースの横顔を見つめ、フレイが無言のまま小さく頷く。
 黒狼から鍵を取り返したら、自分が奪ったものを返そう――フレイがそう心に決めていると、視線を戻したリュースが彼女の視線に気付き、きょとんとした表情を浮かべた。
「? どうかしたの?」
「へ? え、あ、ううん、何でもないよ!?」
 慌てて首を振ったフレイが誤魔化すように笑うと、リュースは怪訝そうに眉をひそめた。「またこの人は何か企んでるんじゃないだろうな」と言いたげなその視線に、フレイが焦りながら何とか場を取り繕おうと試みる。
「えーっと、あの――ああ、そうそう。一度護り人さんに聞いてみたかったんだけど。イヴァンレイオス王朝のものなんでしょ、博物館って。そんな昔のもの、手入れとかが大変なんじゃない? 修復作業とかしたりするの?」
「何か取って付けたような質問だなぁ…――あ、そろそろ降りるよ」
 その言葉でフレイが視線を転じると、いつの間にやらそこにはあの山が広がっていた。
「呪文だと早くて良いなぁ。時間掛けて歩くのが馬鹿みたい。これだと楽にあちこち行けるよね」
 心底羨ましそうに言うフレイに、リュースが首を傾げる。
「お父さんに教わらなかったの? マイスターだったのに」
「うーん、教えてもらったんだけどね。あたし、魔術自体との相性が悪いみたい。体術と剣術は、結構自信ついたんだけど」
「……猪突猛進……」
 ぼそっとリュースが言葉を洩らす。しかし幸いにもフレイの耳には届かなかったようだ。
 そしてふわりと二人の身体が降り立ったのは、黒狼のアジトから程近い山道だった。
「えーっと……こっちだね」
 記憶を頼りにフレイがアジトの方に向かうと、リュースもそれに倣って歩き出す。
「でもリュース、さっきの話なんだけど」
「さっきの話?」
きょとんとしてから、リュースは視線を空に転じ――「ああ、博物館のこと?」
「うん。前に父さんが言ってたよ、博物館自体に何らかの不思議な力が備わってるんじゃないかって。だから、保存状態が良いのはそのせいなのかなって思ったの」
「そうかもね。今ではもう存在してない材質で建てられてるって聞いたことがあるよ。だからかな、公開可能な部屋も、人の出入りが激しいのに損傷がほとんどと言って良いくらいないんだ。奥の部屋だって――」
 言いかけ、そこでハッとしたように口を押さえるリュース。しかし、後の祭りである。フレイはその動揺を見逃さなかった。
「何のこと? 『奥の部屋』って。『公開可能な部屋』があるってことは、『公開不可能な部屋』ってことだよね?」
「べ、別に……別に何もないよ」
 元々、人が良いのだろう。平然としているつもりのようだが、考えていることがしっかりと顔に出る。これでは、何かありますと言っているようなもの。ただの事務室の類でないことは火を見るよりも明らかだ。
 彼のこめかみを伝う汗をフレイは見逃さず、すかさず
「教えてくれなきゃ、リュース、怪我するよぉ?」
 にっこり。
「そんなこと言われても、見る価値なんてない部屋だから」
「でも、何か面白そうなのが」
「ない」
「良いじゃない、減る訳じゃないんだし」
「駄目」
「むぅ……」
 心底つまらなそうに口を尖らせるフレイを見、リュースが呆れ顔で溜息をつく。
「……何で君はそうなのかなぁ。自分の立場、分かってる?」
「ん? 何のこと?」
「……」
 駄目だ、やっぱり僕とこの人の間に相互理解は存在しない――リュースが小さく呻いて頭を抱える。
 そのときだった。
「!? ――リュース!」
 フレイは背後に何者かの殺気を感じ、咄嗟にリュースを突き飛ばすと自分も反射的に避けていた。
 目標を見失った炎の矢が近くに立っていた大木に突き刺さり、ジュッという嫌な音を上げてその幹を焦がす。

「ほぉ、よく避けられたな。ちゃんと心臓を狙って放ったってのによぉ」

 フレイが鋭い視線を向けた先にある木々の間から、野太い声が聞こえて来た。
「あらあら。わざわざお出迎えしてくれたんだ? 手間が省けて助かったわ」
 肩を竦めてにぃっとフレイが笑い、周りに視線を向ける。
 黒服に黒髪、瞳も黒、髭面――スリの少年が言った通りのいかつい男たちが十五名程、二人を取り囲んでいた。
「それはこっちも一緒だ。いくらお前が赤毛だから珍しいとはいえ、またあちこち駆けずり回って探す必要がないんだからな」
 そう言い返した男はフレイの隣に立っているリュースに視線を向けた。「護り人さんも一緒って訳か」
「そっちは随分と数を集めてるじゃない。残党だから何人かだけかと思ってたのに。さすがは悪名高い黒狼、あたしが大っ嫌いなゴキブリ並みのしつこさだわ」
 ゴキブリと同格に見られた黒狼の男たちの口元がピクリと引き釣る。

「カァ」

 不意に鳴き声が聞こえてふと顔を上げると、木の上に真っ黒いカラスが留まってじっと黒狼たちを見下ろしていた。どうやら彼らは、カラスにも馬鹿にされているらしい。
「言ってくれるじゃねぇか。――さぁ、鍵を出しな。あんたらまだ持ってるらしいじゃねぇか? 言うこと聞かなきゃ、ちぃっとばかり痛い目に遭ってもらうぜ?」
 どうやらこの場にいる黒狼たちの中で一番力を持っていそうな男が短剣をちらつかせた。
 しかしフレイは動じることなく
「冗談は顔だけにしてもらえる?」
 呆れたように言い返し――それでまた男たちの顔が引き釣ったが――それから「ん?」と顔を顰めた。
「あんた、頭の中まで筋肉になっちゃってる訳? 鍵はあんたたちが盗ってったじゃないの。もうボケが来た?」
 しかし、フレイと違いリュースは男の言葉にハッとしたようだった。
「鍵のことに気付いてるってことは、ただの物取り目的じゃないってことか……」
 隣にいるフレイにも聞き取りにくい程小さく呟いている。
「?」
 言葉の意味が分からずフレイが首を傾げていると、彼は男たちに向かって歩を進めた。
「僕の父さんと母さんを殺して奪った鍵、返してもらいに来ました」
 押し殺した声。言葉遣いが丁寧――やはりこれが地なのだろう――な分、今にも巨大な呪文を放ちそうな雰囲気が漂っている。
 フレイが「ち、ちょっとリュース!?」と声を掛けていると、黒狼の主格らしきその男は唇の端を歪めた。
「殺すつもりなんかなかったさ。まさかあいつらがいるなんて思ってなかったから、灯りも消し忘れだと思ったんだ。俺たちだって人殺しが趣味じゃない。抵抗しなけりゃそのままにしてやっても良かったのによぉ」
 肩を竦めて「あれは事故だったんだ」と言わんばかりに首を振る。
「あんた何言ってんの!? 普通、灯りがついてたら在宅でしょうが! そんなふざけた言い訳が通用すると思ってる訳!? 初めから、リュースのお父さんたちを――」
『殺すつもりだったんじゃないの!?』という言葉が続けられず、戸惑いがちな視線をリュースへ向けると、彼は拳を握り締めていた。俯き、小さく肩を震わせて。
 しかし男はくだらない、というように再び肩を竦めてみせた。
「まぁ、そんなことはどうでも良い。早く鍵を置いて行けよ。抵抗するなら、お前らも親父とお袋の二の舞になるぞ? 俺たちはお頭と違って魔術を使えるんだか――」
炎光槍フレイム・ランス!」
 ふてぶてしく言葉を吐いている最中の男目掛けて、一筋の真っ赤な炎の矢が直線的に放たれる。
 フレイがハッとして視線を向けると、リュースが唇を噛み締め、男たちを睨みつけていた。
「誰の命令で鍵を狙ってるのか知りませんが、あれはヴォルロイド家が大切に護って来たものです。あなたたちには――」
 押し殺した口調でそう言いながら、リュースが男たちに掌を向ける。
「――絶対に渡しません」
 晩春だというのに、そしてリュースが炎光槍フレイム・ランスを放った後だというのに、周りの気温が一気にぐっと下がった気がしてフレイが数歩後退る。しかしそれは黒狼たちも同じだった。
「な、な、な、何を若造が……! 大体、俺たちは炎光槍フレイム・ランス辺りならみんな使えるんだぞ。二対十五でお前たちに分があると思ってんのか!?」
 またもや放たれたリュースの攻撃呪文を間一髪で避けた男が、唾を飛ばしながら喚き立てる。しかし、後退りしながらなので格好悪い。
「残念ですが」
 男たちを見据えたままリュースが言い、更に一歩足を踏み出す。
炎光槍フレイム・ランスは初期の火炎系攻撃呪文です。防御する手だてくらい、いくらでもありますよ。それに、そもそも」
 リュースは何事か口の中で呟いた。途端、彼の周りに炎の球がいくつも浮かび上がる。

「――僕はあなたたちに負けません」

(うわー、言い切ったよリュースってば)
 傍観者を決め込むつもりはないのだが、戦いに入るのを躊躇われてその場に留まっていたフレイ。
 自分が手出ししなくても、ここはリュース一人で片付けられそうだ。それ程、彼からは凄まじい力を感じる。そのことに感嘆すると同時に、一抹の恐怖をも覚えるフレイ。
 これだけ強いのだ。その気になれば宝を盗んだ自分など、殺そうと思えばいつでも殺せたのではないか、と。
 なのにそれをしないのは――
(やっぱり、お父さんたちを殺されたから、かなぁ)
 現に、目の前で次々と地に倒れ伏す男たちも、役人に引き渡すつもりなのだろう、殺しはせず気絶させているだけなのだから。
 それがどれだけ大変なことか――技術的にも心情的にも――フレイには少し分かる気がする。
 両親を殺害されたリュースは、彼らを殺したい程憎んでいるはず。それなのに。
「ぐわぁぁぁ!」
 情けない悲鳴が響き渡り、我に返ったフレイが顔を上げると、目の前には盗賊たちの山が出来ていた。皆、気絶している。
「カァ」
 先程のカラスがパタパタと羽を広げてトントンと枝の上を跳んでいた。
 喜んででもいるのだろうか、こういう状況なのに――フレイは嘆息するとリュースの背に目を向けた。
「……お疲れさま、リュース」
 肩で息をしているリュースに労いの言葉を掛けると、彼はフレイに顔を向けないまま、「うん」と小さく頷いた。
「何度も……加減しないで呪文を放とうとしたけど……殺しちゃったら、この人たちと同じだから。どんなにひどい人たちでも」
 泣いているのだろうか。
 フレイはふとそう考え、リュースの小刻みに震えている背中から視線を逸らした。
「そうだね。後は、こいつらにも法の裁きが待ってるよ。徹底的に重い刑罰を与えてもらわなきゃ」
 思わず口に出したその言葉に、ふと自嘲の笑みを洩らす。
(だったら、あたしは?)
 どれだけ重い刑罰を受けたら、良いのだろう?
「とにかく……鍵を返してもらってから、こいつらを役所に連行しなきゃね。背後にいる奴の名前も聞き出さなきゃいけないし」
 いまだに背を向けているリュースの肩をポン、と軽く叩いてからフレイが気絶している男たちの前に立つ。
「うーん、十五人か。これくらいなら余裕で引っ張って行けそうだなぁ」
 算段していると、ようやくリュースが歩み寄って来てフレイの隣に並んだ。もう大丈夫なのだろうかと見遣ると、視線に気付いた彼が力ない微笑を作る。
飛翔鳳ヴィオを使うからフレイが骨折る必要ないよ。でも、引っ張って行くって……これだけの数を?」
 冗談でしょ? というように小首を傾げたリュースに、首を振ってフレイが手首の腕輪を見せる。
「あたし、協会の『事故』のとき以来、やたらと力が強くなってるの。何でだか分かんないんだけどね。で、死ぬ前に父さんが付けてくれたこの腕輪が力を抑えてくれてるみたいなんだ」
 全然外れないから、入浴のときとかすごく嫌なんだけど。そう言って笑うフレイ。
「ふーん? 何でだろう……あ、何か文字が書いてある?」
 その腕輪に興味が湧いたらしいリュースが覗き込もうとしたが、フレイは慌てて腕を下ろすと、誤魔化すように小さく笑った。
「とにかく、早くこの山を下りて役所に行こうよ。早くしないと日が暮れ――」

 ガサッ

 ヒラヒラと手を振っていたフレイが、その物音にハッとして振り返る。
 意識を取り戻したらしい主格の男が盗賊たちの山の中から這い出して、逃亡しようとしていた。
「あっ! こら待てっ!」
「そう言われて待つ馬鹿がどこにいる! あばよ、お二人さん!」
 減らず口を叩いて逃げ出す男を慌てて追い掛けようとするフレイ、そして呪文を唱えようとするリュース。
「俺は非力な奴らしか相手にしないんだよ。奴らの怯える姿は最高だからな!」
「! な……っ!?」
 フレイが目を見張ったそのとき、どこからともなく声が聞こえて来た。

殺輝光ハミサイド・レイ

 それと同時に木々の間から光の矢が飛んで来て、逃げ出そうとしていた男を貫いた。
「!」
 衝撃で大きく跳ね飛ばされ、大木にぶつかる黒狼の男。そして次の刹那、彼は地に激しい音を立てて倒れていた。
 四肢を投げ出し、白目を剥いて――気絶しているだけなのだろう、時々ピクピクと痙攣している。
「……あたしがぶん殴りたかったのに」
 恨めしそうに呟きながら、フレイは気絶している男から茂みの方に視線を転じた。
「あたしたちの手助けをしてくれた、って思って良いのかな?」
 声を掛けると、男に呪文を放った人物が茂みを掻き分けて姿を見せた。
 その途端。
「……あれ?」
 思わずそう驚きの声をあげたフレイに、その人物がぷぅと頬をふくらませる。
「何だよ、その顔は」
 十歳程の少年。くすんだ金髪、つり上がり気味の大きな翠の瞳。そして黒い衣服に身を包んだ小柄な身体。
「あー、いや、子供に助けられるって思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃって」
 慌ててフレイが言ったその言葉で、彼は更に機嫌を損ねたらしい。
「オレはもう一人前の魔術師なんだ、ガキ扱いするなよ!」
 ムッとしたようにフレイを一睨みする少年。それから彼は何かを探しているように周りを見回した。
「どうしたの?」
 フレイが尚も尋ねたが、彼は返事をする気がないらしい。ふてくされた表情のままで左右に視線を動かしている。
 彼の動きを目で追いながら、フレイは隣まで歩いて来たリュースに耳打ちした。
「ねぇリュース、殺輝光ハミサイド・レイで貫かれて、普通生きてられるものなの?」
「ううん、普通は気絶程度じゃ済まないよ。あの黒狼の人の生命力がよっぽど強いか、或いはあの子が殺輝光ハミサイド・レイの効果を一点に収束した上で急所を外したか――僕が見た感じでは、後者のようだったけど。でも、だとしたらあの子はかなりの術者ってことになるよね」
「確かに。まぁ、ゴキブリ並みの生命力はしっかりありそうだけどね、あの黒狼の男」
 目が覚めたら一発ぶん殴ってやるんだから、と息巻いているフレイにリュースは苦笑した。そして、場を動かず雑談を続けているフレイたちを少年が鬱陶しそうに振り返る。
「にーちゃんの言う通り、あれは殺輝光ハミサイド・レイの応用だよ。いくら相手が極悪人でも、片っ端から殺すんじゃ能ないだろ」
 そして仏頂面のままで二人に指を突き付ける。
「そんなことより、オレに何か用? 用がないなら、さっさとどっかに行ってくれないかな。目障りなんだよね」
 ぴしっ。
 フレイのこめかみに青筋が浮かぶ。
「かっ……可愛くないガキっ!」
「ねーちゃんに可愛いなんて思ってもらわなくて良いんだけど?」
 わざとらしく肩を竦め、尚もフレイの怒りが増すような物言いをする少年。
「命知らずな……」
 ぼそりと呟かれたリュースのその言葉に反応した少年が振り返り、何か言おうと口を開いたそのとき――頭上からガサッと葉音がした。その方向を少年が見上げ、そして小さく嘆息する。
「そこにいたのかよ。拗ねてないで、さっさと降りて来い」
「?」
 人の気配など感じられないのに、一体誰に声を掛けているのか、と訝しげにフレイが顔を上げると、そこには先程のカラスがいた。木の枝に留まったまま、ゆらゆらと左右に身体を揺らしている。
「カラス?」
 きょとんとしてフレイが呟いたそのとき、今まで「カァ」としか鳴かなかったカラスが人間の言葉を喋って来た。
《拗ねてなどいないぞ。お前は私を何だと思っている》
「役立たずで妙な術しか使わない変わり者」
《師に向かってそのような冷たいことを言うのかシャディール。拾って育てた恩を忘れるとは、私は悲しいぞ》
「育ててもらった覚えはない」
《……》
 これは漫才なのだろうか。フレイは少年――シャディールとカラスの会話を聞きながらリュースと顔を見合わせていた。
《ま、まぁそんなことはどうでも良い。それにしても、いきなり殺輝光ハミサイド・レイなんぞ放ちおって……当たりどころが悪くて彼奴きゃつが死んだらどうするつもりだったのだ》
「オレの狙いが狂うなんてあり得ないだろ。そういうのを杞憂っていうんだ」
《その根拠のない自信はどこから出て来るんだ。全く、誰に似たんだか……》
 ぶつぶつ呟きながらカラスが羽ばたき、気絶している黒狼の男の前へ降り立つ。
 そしてしばらくゴソゴソしていたが、やがて振り返ったカラスのくちばしには象牙の鍵がくわえられていた。途端フレイがハッと我に返り、カラスに指を突きつける。
「ち、ちょっと何なのあんたたち! いきなり現れて人のお宝横取りする気!? それはあたしのなんだからね!」
「違うだろ」
《お前さんのではなかろう》
 カラスもしっかり心得ているらしい。突っ込みを入れたリュースとほぼ同時にあっさり言い放ってから、視線をそのリュースに移し、そしてシャディールを見上げた。
《シャディール、この少年がどうやら護り人のようだ。先程から見ていたが、かなりの魔力を持っている。先が楽しみな子だ》
 その言葉でムッとしたシャディールがリュースの方を振り向いたが、すぐにフン、と鼻を鳴らして視線をカラスに戻した。
「そのにーちゃんの魔力なんかどうだって良いだろ。どうせオレの方が強いんだからな」
 自信満々にそう言い切り――途端、リュースの口の端が小さく引きつったが――シャディールは前方に視線を向けた。
「そんなことより。護り人がいるんなら丁度良い、案内してもらって、さっさと博物館に行くぞ」 
《何を偉そうに。道に迷ったお前を、心優しい私がここで待ってやっていたというのに》
「……」
 またもや機嫌を損ねたらしい。シャディールが半眼になり、掌を上に向けて押し殺した声を出す。
「………………カラスの丸焼きってどんな味なんだろうな。試してみようか?」
 そして何事か口の中で呟くなり、その掌に光球が現れる。カラス一羽を焼くつもりならば手頃な大きさだ。
《……お前が言うと冗談にならんぞ……》
 じりじり、とカラスが後退る。冷や汗が流れたと思ったのはフレイの気のせいだろうか。
「冗談を言った覚えはないけど?」
《……》
 やはり漫才なのだろう、とフレイが勝手に解釈しながら、何やら複雑な表情のままのリュースに耳打ちする。
「ねぇリュース、あの子たちも黒狼の仲間なのかな? 黒ずくめだし」
「違うと思うよ。でも、あの子は博物館に行くって言ってた。……だとしたら」
「黒狼同様、博物館の宝を狙ってる輩の一人ってこと?」
「その可能性はある。違うかも知れないけどね」
 リュースが頷くと、フレイは「そっか」と小さく呟いてからシャディールの横顔に指を突き付けた。
「一体博物館に行って何する気!? 博物館の宝はとっても大切なものなんだから、あんたらみたいに正体不明な奴が手にして良いものじゃないんだよ! ほら、さっさと返しなさい!」
「……フレイ……」
 脱力したような、疲れた表情で額に手を当てるリュース。自分はどうなの、と言いたいのを堪えているらしい。
「君って何でそういつもいつもいつも……」
 後は、口の中で押し殺す。疲れ果ててしまい、続ける気にすらならなかったのだろう。
 しかし、リュースのその言葉を耳にしたシャディールは「へぇ、やっぱり」と小さく呟いてフレイの方に視線を向けた。
「赤毛で鎧の女――もしかしたらとは思ってたけど、やっぱりねーちゃんだったのか、フレイア=サティスロードって」
 途端、フレイが渋面になる。
「何でみんなあたしのこと知ってんのよ。有名人になった覚えはないんだけど」
 フレイが嫌そうに顔を顰めてシャディールを見、盗賊たちの山を見、そしてリュースを見る。
 どうせ良からぬ噂ばっかり流れてるんだろうなぁ、と渋面で呟いたフレイの耳にシャディールの、今までとは打って変わって冷たい響きを伴った声が届いた。
「お前がフレイア=サティスロードなら、こんなところで油を売ってて良いのかよ? 魔術師協会から指名手配されてんだろ」
『!?』
 フレイとリュース、二人が息を呑んだのは同時。
 そしてフレイはキッとシャディールを睨みつけ、リュースは訳が分からず瞬きをした。
「え? 指名手配ってフレイ、君……!?」
 鋭い眼差しになったフレイに戸惑った視線を向けてリュースが尋ねる――問い掛けというよりも、それは呟きに近かったが。
「今度はどの魔術師を殺す気なんだ? そのにーちゃんを殺して博物館の宝を独り占めでもするつもり?」
「! な、何言って……そんなことするはずないでしょ!」
 リュースの視線を感じつつ、フレイは慌ててシャディールの言葉を否定した。
 しかし、シャディールはそんな彼女を嘲るように笑う。
「へぇ、協会の魔術師は大量殺戮したくせに、護り人は殺さないんだ。どういう基準?」
 子供らしくない笑みを浮かべて、小首を傾げるシャディール。
《シャディール!》
 カラスが羽をばたつかせてシャディールの名を叫んだが、彼はそれを聞こうともしなかった。そして、フレイが言葉を発することが出来ずにいると、その小さな手を力強く握り締める。
「否定しないんだ? じゃあ自分がやったって認めるんだな。塔の事故も、お前の屋敷の事件も!」
「! 違う! あたしは――」
 慌ててフレイが声をあげたが、シャディールは怒りの表情を変えなかった。
「何が違うんだ? 事実だろ、お前がたくさん魔術師を殺したのは! お前のせいで……お前のせいで、オレの大切な……っ!」
 悔し気に俯き、唇を固く結ぶシャディール。そして次の瞬間、彼は顔を上げるとフレイに掌を向けて叫んでいた。

炎光槍フレイム・ランスっ!」

「!」
 頭の真横をすり抜けた炎に首を竦めてからシャディールを見返すと、彼は鋭い視線をフレイに向けていた。
「お前のせいで、何人の魔術師が死んだと思ってるんだ!? 大切な人を亡くした人間がどれだけいると思ってるんだ!? なのに、何でお前はそうやってのうのうと生きてんだよっ!」
「……っ!」
 辛辣なその言葉に、目を見開いたフレイが肩を震わせる。


 何度も夢に見る光景。
 父は、自分をかばった。そして、死んだ。
 死神、悪魔、化け物――呪いの言葉を顔馴染みの、或いは顔すら見たことのない魔術師たちから吐かれたのはそれから間もなくのこと。以来、ずっと夢に見る。満月に照らされた一面の紅を、そこに立っている自分を――現実に起こったことが、夢にまで現れるのだ。
 そして、フレイは――――。


「……そういえば」
 フレイの様子を見ながら、とどめを刺すようにシャディールが言葉を続けた。冷ややかな笑みをその幼い顔に貼り付けて。
「ヴァレス=ギルディランド門下のレオンって奴を知ってるか?」
「!」
 その名を聞くなり、フレイが青ざめてシャディールの顔を凝視した。
 それまでの張りつめた鋭さがたちまち消え、年相応の『少女』の表情で大きく目を見開いている。
「レオン……レオンは……どうなったの? あたし――」
「重傷だけど、死んじゃいない。……それとも、死んでた方が良かったか? また命を狙われずに済むからな」
《シャディールっ!》
 それまで沈黙を保っていたカラスがシャディールの肩に留まり、ぺち、と音を立ててその頬を叩く。
《少しは彼女の気持ちも察しろ。今の様子を見たら分かるだろう、彼女が故意にあれ程の殺戮をしたはずがないと》
「でも事実だろ」
《何度も言っただろう、あれには何か裏があるに違いない、と。そして、それを調べるために私たちはここへ来たのだから。気持ちは分かるが、少し頭を冷やせ》
「でも師匠――」
 シャディールは物言いたげにカラスからフレイに再び視線を移した。その瞳には何やら複雑な光が浮かんでいる。そしてしばらくフレイを睨みつけた後、シャディールがプイ、と顔を背ける。
「……ちぇっ」
 それから彼はその怒りをぶつけるべく、場を離れて茂みの方へ歩き出した。そしてフレイの方は――――
「そ……っか。良かった、生きて……たんだレオン……」
「? ……フレイ?」
 それまで話に参加出来ず手持ちぶさたにしていたリュースが俯いているフレイの、震えるその声に気付いて声を掛ける。
 しかしその声を聞くなり、フレイは慌てて顔を上げた。今まで通りの笑顔でリュースに向き直り、今まで通りヒラヒラと手を振る仕草をして――
「やだなー、何て顔してんのよリュースってば。あ、もしかしてあたしの正体知って驚いちゃったとか? まー普通驚くよねー。でもリュースをどうこうしようとかそんなこと考えちゃいないから安心してねー……っていってもこの状況じゃ説得力ないなぁ」
 にぱっと笑いながら、まくしたてるように一気に喋るフレイ。
「あ、あの、フレイ?」
 リュースが言葉を挟もうとしたが、彼女は視線をシャディールのいる方に向け――彼は木の幹をげしげしと蹴っていた――後退りつつ、言葉を続ける。
「あの子もうあたしと戦う気なくなったみたいだから、あたしちょっと『お仕事』させてもらって来る。じゃーね!」
 早口にそう言い、くるりとリュースに背を向けて黒狼たちの山へ駆けていくフレイ。『お仕事』とは、彼らの金入れをとることなのだろうが……
「そんな見え透いた嘘つかなくても……」
 取り残されたリュースが小さく呟き、彼女の後ろ姿を眺めていると
《この馬鹿者っ!》
 窘めるような声が聞こえた。
 振り返ると、シャディールの頭にカラスが丁度飛び蹴りを仕掛けているところだった。
「……」
 再度フレイの様子を振り返り、リュースが彼らに歩み寄る。
「あの、ところであなたたちは一体何者なんですか?」
 リュースの問いに、カラスに蹴られた場所をさすりつつ、仏頂面のままのシャディールが細い銀の鎖のペンダント――天馬ペガサスの紋章が刻まれた――を取り出した。そして軽く振ってみせる。
「これを見たら、オレが何者か分かるだろ?」
「魔術師協会の、一級魔術師……?」
 天馬ペガサスは協会の紋章。そしてそのペンダントを持つのは年齢に関係なく、強力な魔力を持つ者のみ。
 シャディールはリュースの言葉にこくんと頷くと、プイと顔を背けた。まだ拗ねているらしい。
 リュースは彼に何と言って良いか分からず、カラスに視線を落とした。
「でも、フレイが協会の人を殺したっていうのは――」
 信じられない、というように声をあげるリュースにカラスが小さく頷く。そして、そっぽを向いているシャディールの肩からリュースの肩に飛び移った。
《それは事実だ。しかし、どうも真実がはっきりしなくてな。一月程前に起こった魔術師協会の事件のことは、知っておろう?》
「え? ええ、詳しくは知りませんけど、協会の『塔』で何らかの爆発が起こって死傷者が続出したとか」
《そうだ。そして、爆発は魔力によるものであり、発生源は塔の最上階であると判明した。ちなみに、そのとき最上階にいたのはフレイアと、フレイアの父の二人だけだった》
 カラスは羽で遠くのフレイを示すと、それにつられるように彼女を眺めたリュースに再び視線を向けて言葉を続けた。
《フレイアの父親は協会のマイスターをしていた。元々彼女は魔術が出来なかったので協会の徒弟でないのだが、その日は父親の忘れ物を届けに来たらしい》
「フレイもそう言ってましたね。自分とは相性が悪いから魔術は出来なかった、って」
《聞いたのか。……そう、彼女に魔力はなかった。そして、塔の爆発で多くの死傷者が出たにも関わらず、彼女は生き残った》
 カラスは一度そこで言葉を切り、リュースの瞳を覗き込んだ。
《……分かるか? 修練を積んだ魔術師たちですら耐えられなかったのだ、魔力のない者が生きていられるはずはない。なのに、発生源にいたはずのフレイアは生き残った》
「それは……普通に考えると、あり得ないことですね。魔力を持つ者にのみ作用する爆発だった、とか――」
 リュースの言葉にカラスがいいや、というように首を横に数度振る。
《そのような痕跡はなかった。だから、生き残った彼女に事情を聴こうとマイスターの一人、ギルディランドが屋敷へ十数名の徒弟を連れて向かったのだ》
「事情を聞くためだけに、十数名も……ですか?」
 それはあまりにも……と言いかけたリュースを遮って、カラスは片方の羽を広げてみせた。
《確かに、魔力を持たない少女のところに魔術師が事情を聴きに行くには大げさな数だな。だが、塔の一件が彼女の仕業でないという確証がギルディランドには持てなかったのだろう。そして……》
 そこでカラスは言い渋っていたが、しばらくの後、ようやく言葉を続けた。
《彼の予想は的中した。徒弟全てがフレイアに殺されたか重傷を負わされたのだ。命からがら逃げ出したギルディランドは、すぐ協会に申請して彼女の指名手配書を出した――これが、『我々の知っている魔術師協会爆破事件』の全容だ》
「そうなんですか。でも――」
 言い、リュースは再度フレイに視線を向けた。
「まだ今日会ったばかりだから、はっきりと分かる訳じゃないんですが――」
 前置きしてから言葉を続ける。
「わがままで図々しいところはありますけど、とてもそんなことをするような人には見えませんよ。何か訳があるのではないでしょうか?」
《恐らくな。私にも少々気になる点があったので、それからあちこちで文献を調べ、二三、見当を付けたのだ。だから、ここへ来た。フレイア本人と会うことになるとは思いもしなかったがな》
「塔の事件に、博物館が関係あるんですか?」
《関係あるというかないというか……まぁ、行けば分かるだろうと思っている》
「……はぁ」
 腑に落ちないけれども取り敢えず頷き、リュースが視線を転じると、フレイは黒狼たちの山の前に膝を抱えて座り込んでいた。
《フレイアにも……あの子さえ良ければ博物館に同行してもらいたいのだがな。――大丈夫、彼女は博物館の宝を強奪するような真似はせんよ》
 リュースが不安な表情でもしていたのだろうか、カラスが最後にそう付け加えたので彼は慌てて首を振った。
「いえ、そんなことは心配してませんが、良いのですか? シャディールくんはまだ彼女のこと――」
 仏頂面のシャディールに目を向けると、彼ではなくカラスが頷いた。
《問題ない。この子はわがままだが聡い子だ。少し頭を冷やせば、自分が何をすべきかをちゃんと理解出来る》
 カラスの言葉で照れたのだろうか、シャディールが「フン」と鼻を鳴らして二人から顔を背け、意味もなく歩き回り始める。カラスはその様子を眺めてから少し苦笑した。
《わがままで聡い上に、素直でないだろう? 私も少々手を焼いているのだよ。将来どのような大人になるか、楽しみであり不安でもあり……目が離せんな》
 それは弟子の成長を気遣う師ではなく、子を案じ、優しく見守る親のようで――リュースは少しだけ口許に笑みを浮かべた。
《……さて》
 そう言い咳払いをしてからカラスは表情を改めると、フレイに視線を移した。
《フレイア、ちょっとこちらに来てもらえないか?》
 その声に反応したフレイが振り返る。
 躊躇っているのだろうか、しばらくの間その場から動かなかったが、やがて意を決したらしく立ち上がって駆けて来た。
《……性格に多少難はあれども、あの子はごくごく普通の少女だったのだよ。面と向かって話をしたことがないので断言は出来んがな。だが、事件が起きて彼女は変わってしまったようだ。まぁ、無理もないが》
 フレイを眺めながらカラスが淋し気に言う。その口調にリュースは首を傾げた。
「あなたは一体? よくフレイのことをご存知のようですが」
 リュースはそう言い、近付いて来たフレイを振り返る。
「フレイ、カラスに知り合いは?」
「いる訳ないでしょ。普通、カラスと人は会話出来ないもん。……何の話してたの?」
 途端、カラスがその羽を広げて得意げに自己主張し始めた。フレイの問い掛けにはさすがに答えられないので誤魔化すためだろうか、動作が少々大げさである。
《すっかり自己紹介が遅れたな。私は魔術師協会のマイスターの一人、ハリス=エンディミアだ。歳は取り敢えず三十四、美人でしとやかな花嫁を募集中。趣味は瞑想と、綺麗な花を愛でること――》
「師匠、くだらないことを言うな」
 不機嫌全開の顔つきでシャディールが突っ込みを入れると、カラス――ハリスは軽く咳払いをした。
 と、そこでフレイが素っ頓狂な声をあげる。
マイスターのハリス!? 変わり者って評判の!? ……何だ、年寄り臭い物言いだったから、てっきり正体は老いぼれじじいだと思ってたのに」
《親と違って口が悪いなフレイア》
 怒りのためか、ハリスの声が震えている。が、カラスの姿なので迫力など欠片もありはしない。
「それに、『取り敢えず』って何ですか、『取り敢えず』って」
 リュースも『ハリス三十四歳説』に疑問を抱いているらしい。小首を傾げている。
 そしてシャディールは、恐らくハリスが人間の姿のときから変わらないのであろう口調で「嘘をつくな師匠」と、リュースの肩に乗ったままの師を見遣った。
「趣味は瞑想じゃなくてただの昼寝だろ。それに花の観賞が趣味だってのは初耳だぞ。師匠のことだから、花ってのはどうせ綺麗なねーちゃんのことだろ」
《余計なことを言うなシャディールっっ》
 またも漫才を始めた二人に、フレイは「何なのこの二人」と思わず呟いていた。
 フレイが実際にハリスと話をしたことはない。父から「マイスターには面白い男がいる」と聞いたことはあるのだが。
(確かに、面白い……というか、変な奴)
 実際にマイスターと会ったことは初めてだろうリュースが妙な認識をしなきゃ良いんだけど、と心の中で呟き、フレイはリュースの肩のハリスをまじまじと眺めた。
(でも、このあたしにマイスターが一体何の用なの? あたしを捕らえに来た、って感じでもないし、それに……)
 フレイは耳がいい。故に、先程の会話も断片的ではあるが聞こえていた。
 自分を博物館に連れて行きたいとハリスが言っていたことも、それ以前に話していた『協会側から見た事件の全容』も。
 このまま彼らについて行くと、何が起こるか分からない。しかし――。
(行くしか……選択肢、ないのかもね)
 顔を背けているシャディールを視界の端に収め、フレイはハリスに問い掛けた。
「でもあんたがハリス=エンディミアなら、何でカラスの姿になってるの?」
《本体は、塔の爆破事件のときに重傷を負ってな。協会内の病室で絶対安静だ。だが、のんびり療養しているというのは性に合わないので、カラスに私の精神を移したという次第だ》
 ハリスのその言葉に、今度はリュースが驚いたように口を開く。
「精神転移――話には聞いていましたが、その術が使えるなんて。さすがはマイスターですね」
《ふふん》
 カラスの姿であるにも関わらず、ハリスはふんぞり返った。そしてシャディールを羽で示す。
《ところで、リュース、と言ったかな。先程の件だが――すまんが、私とこいつを一緒に連れて行ってはくれまいか? カラスの身体では思うように呪文が使えんし、こいつはいまだに飛翔呪文を唱えることが出来ないのだ。このままだと、この森の中で夜を明かさねばならなくなる》
「ああ、だから徒歩でここに。僕は構いませんが……フレイ?」
 リュースが話をフレイに向けると、フレイは軽く肩を竦めてみせた。
「あたしは……スリのガキに盗られた鍵を取り返したかっただけだから、その鍵がハリスの手にある以上、もう用なしでしょ。だからあたしはここで――」
 行かなくてはならないだろうことは分かっていたが、一応ヒラヒラと手を振って抵抗してみる。
 リュースはそんな彼女を見て軽く溜息をついた。
「あのね、フレイ。僕、まだ博物館の宝を全部返してもらってないんだけど」
「あ」
 何だかんだでそのことをすっかり忘れていたフレイが小さく声をあげると、そのまま宝を返して去られては堪らない、とでもいうかのように慌ててハリスが声をあげる。
《フレイア、博物館でお前に手伝ってもらいたいことがある。リュースには許可を得ているから、付き合ってもらえまいか?》
「……」
 フレイはその青藍せいらん色の瞳を宙に彷徨わせ――やがて、小さく頷いた。
「分かった分かった。協会のマイスターが博物館であたしに何をさせたいのか知らないけど、護り人のリュースさえ良いんなら、あたしは構わないよ」
 シャディールがまたもやムッとした表情になって全員から顔を背けた。フレイと行動を共にするのが抵抗あるのか、自分が飛翔呪文を使えないのが歯痒いのか。
 リュースがそんなシャディールを見、フレイを見、小さく溜息をつく。
(何も起こらなきゃ良いんだけど)
 ただ、自分の『嫌な予感』は大抵当たることも分かっているリュースは、こめかみを押さえて再度溜息をついた。
 ポンポン、とハリスが慰めるようにリュースの後頭部を羽で軽く叩いているのもまた、気分を沈ませるのに一役買っている。
(何でこんなことになったんだろ)
 リュースの気分と比例するかのように、太陽はゆっくり山の背に隠れようとしていた。


 To be continued.



《コメント》

何てゆーか、……ひたすら暗いですな。ところどころお気楽モードになってはいますが。最後はバタバタしてますし。
最初はティナと同じような性格付けをしていたはずなんですけどねぇ、フレイって。もう全然違ってますね(^_^;)
さてさて、フレイご一行はこれからヴァルランの博物館に向かいます。
彼らの運命や如何に
!?
次回を乞うご期待♪


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