フレイのお気楽道中冒険記2  霜月楓

 序章

「おおっ! あなたこそ、我らの待ち望みし勇者さまっ!」
「は……?」
 生まれて初めて、ぶらりと訪れた村でこのような大歓迎をされた場合、一体どういう反応をすれば良いだろう?
 フレイは自分でもそうと思える程間抜けな声を出し、口をぽかんと開けてしまった。
 今日はこの辺で宿を取ろうかな、と眼前に見えた村へ近付くと、入口で見張りをしていた男が奇声を発し、村の中へ転がるように駆け込んで行った。その時点で、嫌な予感はしていたのだ。
 王都ティーヴェにある魔術師協会から指名手配を受けている彼女である。ここにも協会の息の掛かった者がいたか、と身構えたのだが……どうやら違うらしい。



 彼女は名をフレイア=サティスロードといい、通称がフレイ。二か月前から賞金稼ぎをしている十六歳の少女である。
 炎のように紅く燃える髪に大きな青藍せいらん色の瞳。軽装鎧ライト・メイルに、瞳と同じ色のマント。
 左手首には、何製かも分からない闇色の腕輪。何やら文字が彫られているのだが、大昔に書かれた呪術文字なので、何と刻まれているかは分からない。
 腰に佩いている長剣は、二か月前に亡くなった父親の形見である。父は魔術師協会のマイスターをしていた一級魔術師なので、彼が普段使用しなかったその剣は、あまり攻撃力の高いものではないのだけれど。
 フレイは剣士の格好をしているが、少女の剣士、というのは非常に珍しかった。非力な女性が屈強な男たちと肩を並べて渡り合うことは、体格的にも体力的にも無理があるのだから。
 しかし、フレイは男たちと渡り合えるだけの力を十二分に持っている。それが、協会から追われている理由のひとつでもあるのだが――。



(こういう笑顔を向けられて、碌なことがなかったんだよなぁ……)
 自分を村の中へ引っ張り込んだ村人たちの笑顔を眺めつつ、フレイが数歩後退る。
 今までの村でも、満面の笑みで何を言われるかと思いきや『熊を百頭生け捕りにして来てくれ』だの『踊り子のバイトをしてくれ』だのと訳の分からないことばかりだったのだ。
 逆に、快く歓迎してくれた村長が実は協会の手の者だったため、真夜中に襲われて村を飛び出したことも一度や二度ではない。
 そんなこんなですっかり行程が狂ってしまい、季節はもう夏。旅人には少々つらい季節の到来である。
(ほんとなら、今頃はトゥアの街に着いててもおかしくないんだけどなぁ……)
 渋面になったフレイは薄暗くなった空を見上げた。
 今朝方降った雨も今はもう止んでおり、随分と夏の暑さも和らいでいる。寝苦しい夜を今日は過ごさず済みそうだ。しかし、寝苦しい夜からは逃れられても面倒事からは逃れられなかったようである。
「根拠もなくあたしを『勇者さま』なんて呼ばないでもらいたいんだけど。大体あたし、そんなのじゃないし」
 そう言いながらフレイが腰に手を当てて村人たちを眺め回すと、彼らの中から目の下にひどい隈のある老人がヨロヨロと進み出て来た。どうやら彼がこの村の長らしい。
「わしらの村には、遙か昔よりひとつの言い伝えがある。それはじゃな……」
 村長はゴホンと咳払いをするとフレイを見上げてから、何やらおどろおどろしい口調で言葉を続けた。

「村に災い降り掛かり 空が涙流すとき 勇者来たりて其を払う 村に平和訪れて永遠とわの安らぎ与えられん――」

「んー、どこにでもある在り来たりの、他人に頼り切った言い伝えだよね、それ」
「………………………ゴホン」
 村長の言葉を遮ってフレイが突っ込みを入れると、彼は再度咳払いをした。
「今日は雨が降った。そして空が涙を流した、まさにその日にお主がやって来た! これこそ、お主が勇者だという立派な証ではないか!! これを証と言わずして、何を証という!!」
「いや、そんなことで勇者って決めつけられても」
 フレイが半眼でパタパタ手を振ったが、彼はどうやら聞く耳を持っていないようである。
「とにかくじゃ」
 言い、かなり年季の入った杖でフレイを指すと、そのまま杖を村から見える森に向けた。
「あの森に行って下され」
「は?」
 杖につられて森へ視線を向けたフレイが思わず耳を疑い、目を丸くして村長を振り返る。
「何で?」
 しかし、フレイのその言葉に村長は当然、というようにまたゴホンと咳払いをした。
「あの森には魔物がおるのじゃ。勇者さま、退治して来て下され」
「やだ」
 フレイがきっぱりそう告げ、くるりと村長に背を向ける。
「大体もう日も暮れるし、あたしお腹空いたし足は疲れたし夜露が凌げるところで休みたいし。いいよ、泊めてくれないんだったら他の村に行くから」
「……むむ」
 断られると思っていなかったらしい。言葉に詰まった村長が、隣に立っていた中年男と何やらごにょごにょ話を始める。やがてその話がまとまったらしく、彼は大きく頷いて振り返った。……が。
「! ぬおっ!?」
 本人的には勿体振るつもりだったのだろう。しかし、フレイが本当に村を出ようと歩き出しているのを見た彼は大慌てて追い掛け、彼女のマントをむんずと掴んだ。
「よ、よし! では明朝から行ってもらうことにして、今日はこの村でごゆるりとお寛ぎ下され! ご覧の通り小さな村じゃが、勇者さまを精一杯もてなすでな!!」
「だからその『勇者さま』っての、やめてくれないかなぁ。あたしにはちゃんと名前が……」
 マントをしっかり掴まれてしまったため先に進めず、しかも見張りの男がドンと目の前に立ち塞がってしまったため、さすがのフレイも足を止めて呻いたが、村長をはじめ村人一同はその呼び方を変える気がないらしい。
「おいリティア、勇者さまをお泊めするから粗相のないようにな」
「はい、お爺ちゃん! ……どうぞ、勇者さま。こっちです」
 村人集団から出て来た十歳程の小柄な少女が、目をキラキラさせてフレイの案内役を買って出る。
 緩やかなウェーブの掛かった黄金の髪に蒼の瞳。成長すれば、かなりの美人になると容易に想像出来た。
「はぁ……」
 自分がどれだけ嫌だと主張しても、誰も聞き入れてはくれそうにない。
 深々と溜息をつき、フレイは嬉々とした表情のリティアに付いて村長の家へ渋々歩いて行ったのだった。



 その日の夕食では、久しく食べないご馳走にフレイは舌鼓を打った。
 魚の塩焼きは新鮮で美味、焼き立てパンは香ばしく。近くに清水が湧き出るところがあるらしく、水も格別。
 テーブルを囲むのは村長とリティア、そしてフレイの三人だけだったが、好奇心旺盛なリティアからの質問攻めもありフレイは久々に賑やかな食事を摂ることが出来た。
 普段は一人きりの食事のほとんどを堅パンと水だけで過ごしている――町や村に泊まればまた話は別だが、路銀のことを考えるとそうそう贅沢は出来ない――フレイにとって美味しい食事は勿論のこと、対面する者の笑顔は何よりのご馳走と言える。
(そういえば、最後に誰かと一緒に食事を摂ったのはいつだったかな)
 最後は……そう、一か月前だっただろうか。ヴァルランの王立博物館を巡るいざこざに巻き込まれたときだ。
(皆、今頃どうしてるかなぁ)
 もう会うこともないだろうな、と思う自分が少し淋しく。フレイが自嘲気味に口許に笑みを浮かべたとき、
「それでそれで? 勇者さまは魔法、勿論使えるんですよね!?」
 リティアが目を輝かせ、テーブルの反対側から身を乗り出して来る。先程からあれやこれやと聞いて来るリティアに「懐かれるのは嬉しいけど、あんまり詮索されるのはなぁ……」とフレイは苦笑した。
 リティアは『勇者さま』と会えたことが余程嬉しいのか、しきりに冒険譚をねだって来るが、そもそも勇者でもないフレイに冒険譚などありはしない。命の危機に直面したことは多々あるが、それは協会絡み故に話すことなど出来ない――話せば、彼らにどのような迷惑が掛かるか分からないのだ。だから、彼女に話せる話は決して多くない。
「残念ながら、魔法は使えないよ。リティアのご期待に添えなくて悪いけど」
「えー? でもぉ……」
 非常に残念そうな、腑に落ちないという表情のリティア。彼女の思考回路には、『勇者=剣も魔法も得意』という図式でもあるのだろう。
 やがて夜も更け、眠そうな顔になったリティアが村長に促されて「お休みなさぁい」と言いながら退室すると、フレイは村長に向き直った。
「――で? 森にいる魔物ってのは、どんな奴なの? 詳しいことを教えてよ」
 ここまで盛大にもてなされた以上、それなりにお返しをしないといけない。何だかんだ言っても律儀なフレイが、グラスに注がれた水を一口飲んでから尋ねる。
「うむ!!」
 何かの薬を苦そうな顔で飲んでいた村長は、待ってましたと言わんばかりに大きく頷くと、握り拳を作って力説し始めた。
彼奴きゃつは恐らく長年森に潜んではおったのじゃろうが、ついにここ数日、夜な夜な村の田畑を荒らし野菜を食い散らすという暴挙に出た! 神出鬼没故に誰も姿を見たことがないが、小山程の大きさで身体は赤銅色、爪は鋭く尖っていて、目からは人を石に変える不思議な光を放つに違いない!」
「はぁ」
 次第に興奮して行く村長の大仰な説明に、呆れたフレイは間の抜けた声を漏らした。そんなものいるはずない――と言いそうになった口をナプキンで拭って堪える。
(お話の中ならともかく、そもそも魔物ってのは存在しないんだよね)
 魔術師が動物に魔術の実験を行って失敗し、それが突然変異した、などなら稀に聞く話だが、生まれつき魔力を持った『魔物』はいないのだ。だから、恐らくはかなり大きな体躯の動物を魔物と間違えたのだろうとフレイは考えた。それで、「魔物退治してくれ」と言われても乗り気にならなかったのだ。
(森に大きな動物がいるってだけなら、下手に刺激しないで放っておいた方がいいんだけどね。余程のことがない限り、向こうは危害を加えて来ないんだから。……でも)
 話を聞く限り、実際に畑が荒らされるなどの被害が出ているようだ。ならば相手が魔物だろうがそうでなかろうが、村人にとっては死活問題である。まだ『魔物』が現れてから左程経っていないのであれば、早いうちに元凶を叩いておく必要があるだろう。
「……了解。じゃあ、今から様子見に村の巡回して来ようか? 今日はあくまでも『見回り』だけになるけど」
「おお、行ってくれるか。それはありがたい!」
 村長が嬉しそうに目を輝かせる。「ならば善は急げじゃ!」と言いながらランプなどを用意し出した彼を、フレイは苦笑と共に押し止めた。
「そんなの使ったら、監視してるのが向こうにバレバレじゃないの。灯りなんかいらないよ、このまま回って来るから」
 言うなり立ち上がり、窓辺に歩み寄って外の様子をひとまず眺めるフレイ。
 三日月が、薄曇りの空から弱々しい光を放っていた。月光が射しているとはいえ、さすがにこの暗さでは見張りも難しいだろうが、それは逆に言えば、相手からも見付かりにくいことになる。
「あたし夜目は他の人より利く方だから大丈夫だよ。村長さんも戸締まりを気を付けて…――ん?」
 ふと見ると、隣の棚の上に絵姿が立て掛けてあった。
 村長と若い男女。女性の方が、村長の娘なのだろう。雰囲気がどことなく似ている気がする。
「半年程前に絵師がこの村を通り掛かりましてな。一晩泊めた礼だと言って、描いてくれました」
 この頃の村長はまだ肌に張りもあり、生き生きとしていた。今も彼は元気のようだが、それはどこか空元気のようにも思える。先程薬を飲んでいたが、どこか身体が悪いのかもしれない。
(魔物云々はともかく、原因は究明してあげなきゃね)
「んじゃ、行って来ます」
 軽く手を挙げて玄関の方へ向かうフレイに村長が「頼みますぞ!」と深々と頭を下げた。挙げていた手をヒラヒラさせてそれに応え、外へ出るフレイ。
 そしてフレイは目を細めて周囲に意識を向けた。気配を読むことはあまり得意ではないが、あからさまな悪意や殺意ならば気付ける。今のところ、盛夏の夜風はどこか生温いが、怪しげな気配は漂って来ない。
(野犬の群れかなぁ? でも、さすがに集団で来たら誰かが姿を見るはずだよね。それに、犬なら野菜より家畜を襲うだろうし)
 フレイは村の共同畑へと歩いて行きながら、『魔物』について考えてみることにした。
(泥棒の集団がこの辺にいるって情報は聞かないけど、だから違うとは言い切れない……まぁ、毎晩野菜だけ盗んでく単独犯ってのならあり得るか)
 村長に聞いても、彼は頭から「魔物の仕業じゃ!」と決め付けて話にならない。誰かまともに会話出来る人物はいないものか。
 ――そのとき、フレイはかすかな話し声に気付いて足を止めた。
 前方に視線を向けると、パチパチと爆ぜる音も聞こえて来る。畑に村人たちが集まって話をしているのだ。
 恐らく毎晩彼らも見回りをして――否、焚き火を囲んでいるということは、監視ではなく魔物除けのつもりなのだろうか。あれでは相手に自分たちの姿が丸見えで、捕らえることなど出来ないだろう。盗みにも入りづらいから効果的ではあるが。
(まぁ、焚き火をしてなかったとしても、お喋りに夢中になる余りあたしに気付かないようじゃ、監視の意味がないんだけどね)
 それに、毎晩被害に遭うということは魔物除けすら出来ていない証拠だ。そんな彼らの無意味な長期戦に、いい加減幕を引いてあげなくては。
 フレイが「明日は頑張るかぁ」と大きく背伸びしつつ決意を固めていると、相変わらず彼女の存在に気付いていない村人たちの話題は二転三転して、フレイのものになった。
「それにしても、本当にあんな娘に頼んで大丈夫なのかなぁ?」
「村長がああ言ってるんだから、任せるしかないじゃろう」
「じゃが、ほんとにあんな女の子が魔物を退治出来るのか? 剣を持ってるから剣士なんじゃろうけど、あんな細い腕で剣を振り回せるとはとても――」
「そうじゃなぁ」
 村人たちの言葉を聞いて、フレイは思わず苦笑した。
 確かに女性の剣士は珍しいし、体格的に言っても、フレイは剣士向きではない。二か月前の事件さえ起きなければ、多少剣を扱えるという程度の、ごく普通の生活を送っていたはずである。
(あのまま過ごしてたら、あたし今頃、何やってたかなぁ……)
 王都にいた頃のことを思い返し、フレイは淋し気に小さく笑むと夜空を見上げた。失った過去はもう二度と戻ってこない。どんなに望んでも――。
「じゃが、村長の気持ちも分からなくはないな。二か月前にリティアが……」
「あぁ。今は随分元気になって来たが、やはり無理をしているようで、見ていてつらいな。何しろ――」

「勇者さま?」

 突然背後から声が聞こえて、フレイは慌てて振り返った。リティアがきょとんとした顔で自分を見上げている。
「リティア!? もう寝たんじゃなかったの!?」
 驚いたフレイのその言葉に、「お爺ちゃんの熱弁で目が覚めちゃいました」と悪戯っぽく笑うリティア。そして、フレイが家から出るのを見て自分も追い掛けて来たのだと告げた。
「どうしたんですか? 魔物、お空にいました?」
 その発想はなかった。フレイは苦笑すると、リティアを安心させるようにヒラヒラ手を振った。
「月が綺麗だから見とれてただけ。魔物、今日はお休みしてるんじゃないかな。ほら、皆頑張ってくれてるし」
 その途端、リティアが小さく首を傾げる。
「月? でも、今日はお月さま、真ん丸じゃないですよ?」
「それで良いの。あたし、満月が嫌いだから」
 そっと腕輪に触れてフレイが言うと、リティアは理解不能、というように肩を竦めてみせた。
「あんなに綺麗な真ん丸お月さまが嫌いだなんて………………変な勇者さま」
 ぽつりと呟いた言葉に再度苦笑してからフレイが背を屈め、リティアと目線を合わせる。
「魔物のことはあたしたちに任せて、リティアは早くお家に帰りなさい。村長さんに気付かれたら大騒ぎだよ。ね?」
「……」
 フレイの言葉にリティアは俯いた。自分だけで家に帰るつもりはないようだ。それを見てやれやれ、と溜息をつくフレイ。
 いつ何が出るかも分からない薄暗闇に、いつまでも小さな女の子を留まらせておく訳にはいかない。かといって、連れて歩いては見回りも出来ない。
 仕方ない。今日のところは、見張りの彼らだけで頑張ってもらって、自分はリティアを送りがてら帰ることにしよう。ここまでの彼女たちの会話に全く気付かない彼らに任せて果たして大丈夫かは――考えないことにする。
「帰ろう、リティア」
 リティアはその言葉と共に村長の家の方へ歩き出したフレイを物言いたげに眺めてから、やがておずおずと口を開いた。
「あの……………………勇者さま」
 戸惑いがちなその声にフレイが立ち止まって振り返ると、何故か俯き、言い淀むリティア。
「どうかしたの?」
 フレイが瞬きをして言葉の続きを待っていると、リティアは一度俯いてから上目遣いにフレイへ視線を向けた。どこか苦しげな、不安に揺れる表情で――。


 To be continued.



《コメント》

すっかりご無沙汰してしまいました。フレイのお気楽道中冒険記、第2部です。
この舞台は、第1部の1か月後の話になります。
季節は真夏。冒険にはあまり向いてないような最適のような。そしてまたも厄介事に巻き込まれるフレイ。……いや、自分が招き寄せているのかも?


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