GAME  霜月楓

「ねぇ、やっぱりやめようよー!」
 少女が少年の前に廻り込み、すがるような瞳で見上げる。「絶対危ないって!」
 癖のある肩までの長さの髪が、首を振る度に夜風でふわふわ揺れる。十歳という年齢相応の幼い顔が、今は不安で曇っていた。
「何だよ、さっきは手伝うって言ってたじゃねーか」
 茶色掛かった髪を持ち、目つきが悪く頬には絆創膏。少女と同い年でいたずらっ子、という言葉が似合いの少年。
「でもでも……っ!」
 まだなお渋る少女に少年はふん、と鼻を鳴らしてからあごを突き出した。彼の視線の先には古ぼけた学校が見える。
「あいつが助けてくれって言ってきたんだから、オレたちがどうにかしなきゃだろ?」
「そうだけど……でも悪い人たちがいるんでしょ? だったら……って、ちょっとタクミ、ちゃんと聞いてる!?」
 聞いていない。少年・タクミは今、背中のリュックを地面に降ろそうとしていた。
「あー重かった! 死ぬかと思ったー」
 リュックが重いくらいで人間、そう簡単に死にはしない。
「えーっと、まずはこいつで奴らを片付けてー……あ、これを使うのも面白いかな」
 何やら瓶を手にしている。ラベルを見て少女・ユウは数回瞬きをした。その瓶の中身は――クロロホルム。
「……どうやってそれを?」
 半眼になってタクミを見るユウ。しかしタクミはやはり聞いていない。
「ねえ、あたしだけでこの中に入るからさ、タクミはここにいて? タクミ絶対無茶して捕まっちゃうんだから。その点、あたしだったら――」
「それとも、これを使った方がいいかなー。でもやっぱ極めつけはこれだよな」
 リュックの中からナイフやらロープやら物騒なものを取り出し、あれこれ吟味している。
「ねえってばっ!」
 次第にユウの言葉の語尾が荒くなっていく。
「エリを助けたら、やっぱ持ってるゲームをもらわなきゃな。オレ、前から目つけてたヤツあるんだよなー」
「人の話を聞け――――――――っっ!!」

 スパーン!

 ――真っ暗な校庭に、小気味良い音が響き渡った。


−1−

 
事の起こりは、タクミとユウが人気のない校庭でじゃれ合っている一時間前に遡る。
「なっ! 何だと!? エリをさらった!?」
 老人が上ずった声を上げ、携帯電話をしっかりと握り締める。
 電話の向こうからは、妙に甲高い――明らかに変声機で変えたと思われる声が響いてくる。
《そうだ。お前の孫は預かった。返してほしくば三時間以内に一千万円を用意しろ》
「一千万!? そんな急に……」
《嫌なら、孫の命はないものと思え。また電話する》
 そこで、無情にも電話は一方的に切られてしまった。
「校長、エリちゃんが……!?」
 教師たちが集まり、携帯電話を手に悲しみに打ちひしがれている老人を見やる。
 放課後、桐生学園校長、桐生宗一郎の孫娘・エリがいなくなった。
 クラスメイトたちと図書室で待ち合わせをしていたエリが、いつまで経っても現れない。約束を忘れたのかと下駄箱を見ると、靴は履き替えられずにそのまま残っている。
 それで彼女たちが心配し、あちこち捜してから彼女の担任に話した。それが、午後五時。
 はじめは担任と生徒たち。そしてそれから四学年の教師たち。最終的には学内の教師たちが校内を探し始めた。
 しかし時間だけが無情に過ぎていき、何か進展はあったかと彼らが一時校長室に戻った。それが午後六時。
 丁度その時、桐生の携帯電話が鳴り出し、それ以降は前出の通りである。
「何てひどいことを……」
「あのエリちゃんがこんなことになるなんて……」
 教師たちが口々に言い合う中、心痛の余りに桐生は額を押さえてソファーに倒れ込んだ。
「ああエリ……」
 彼の妻は十五年前に逝去し、そして五年前には息子夫婦、つまりエリの両親までもが事故で亡くなっている。彼にとって、エリがただ一人の近しい肉親なのだ。
「校長先生。それで、誘拐犯人は何と……?」
 エリの担任が恐る恐る、という様子で桐生に尋ねる。
 彼は答える気力すら失せたらしくぐったりとしていたが、やがてぽつぽつと話し始めた。
 ――誰も一言も言葉を発しようとしなかった。今ではもう切られている携帯電話を揃って見下ろし、沈黙を保っている。
 しかししばらくして、ようやく学年主任が口を開いた。
「でも、エリちゃんを狙ったということは、やはりエリちゃんの力を手に入れたくて……という理由でしょうか?」
 言ってから少し俯き、眼鏡がずり落ちそうになって慌てて顔を上げる。
「多分……そうなんでしょうね。エリちゃんはテレビで顔が知られてますから……」
 教師の一人が眉根を寄せて低く呻いた。
「『超能力少女』。それだけでも、狙われる理由になりますから……」
 言ってから、自分の言葉が桐生を更に苦しめることになると知り、すぐに「すみません」と頭を下げる。
「それで……校長、これからどうされますか? 警察には、やはり連絡しないで……?」
 教師の言葉に、桐生は激しく首を振った。
「たとえ金を引き渡したとしても、それでエリが無事に戻ってくる保証はどこにもない! 奴らも、警察に連絡するなとは一言も言わなかった。余程捕まらない自信があるに違いない! こうなったら何としてでも警察にエリを助け出してもらう!」
 怒りのために顔を真っ赤にした桐生がソファーから起き上がり、先程とは打って変わり強い口調でそう告げる。
「それは、もちろんですけど……。でも、校長。一千万なんてお金、一体どうやって捻出なさるんですか? そうでなくても、今この学園は経営難だというのに……」
 桐生学園の前身は桐生医学研究所というところだった。そしてその研究所から派生して出来た桐生学園は小学部から大学部まであるかなりの有名校。
 しかし近年の生徒数の減少とそれに反比例して起こる建物の老朽化による多額の出費。それにより経営は困難を極めていた。研究所の方も研究員によるミスの多発のため閉鎖に追い込まれる事態が起きている。
 その状況下での、今回の事件。桐生が頭を抱えるのも無理のないことである。
「緊急事態だから仕方ない……とりあえず、あちこちから借りることにする。エリのためならば、わしは何万回でも土下座することを厭わん! 無論、身代金を渡さずに犯人が捕らえられるなら、それに越したことはないのだが……」
「ですが校長、今エリちゃんがどこにいるのか分からないと警察も動きようが……。何か、手掛かりになるようなことは?」
「いや……エリが今どうなっているのかすらわしには分からなかった。犯人もすぐに電話を切ったから……」
 一応確認してみたが、桐生の携帯に掛けられた番号はやはり非通知だった。
「犯人は、まさかエリちゃんを拷問して校長の番号を聞き出したんじゃ……」
 エリの担任が青ざめて震えた声を上げる。
「エリちゃんがひどい目に遭ってなければいいんですが……」
 教師たちが校長室で顔を見合わせていると、その部屋の扉がゆっくり閉じられた。


「な、聞いたか? エリが誘拐されたんだって!」
「どうしよう! いくらエリでも誘拐犯相手じゃヤバいよ!」
 校長室の前の廊下で彼らの話を盗み聞きしていたタクミとユウが眉をひそめる。
「やっぱ助けに行かなきゃな! オレたちはエリみたく『力』のことを知られてないしさ。オレたちに掛かりゃ誘拐犯人の一人や二人、簡単に捕まえられるよ!」
 ――タクミとユウもエリと同様に超能力を持っていた。そして、そのことについて知っているのはごくわずかな人間だけ。だからこそ、タクミはやる気になっているのだ。
「そう……なのかもしれないね……」
 勢い込むタクミとは逆に、ユウは俯いて拳を握り締めた。その表情はわずかに曇っている。
「何だよユウ! お前、オレのすごさが分かってないだろ! だいじょーぶだって!」
 ユウの表情に気付かないタクミが笑いながら言い、彼女の肩にぽん、と手を置こうとする。
 途端、ユウがびくんと肩を震わせた。
「! わっ、分かった分かった! あたしも手伝う! 手伝えばいいんでしょ!」
 触れられる直前にユウが突然身体を逸らし、両手を振ってみせる。きょとんとするタクミ。
 その表情を見たユウが慌てたように笑顔を作り、冗談めいた口調で言葉を続けた。
「大体、あたしがいないとタクミは暴走しちゃうんだから、ちゃんと見張ってないとね!」
「んだとぉ?」
 ユウの言葉で、かなり不満そうにタクミが声を荒げたその時だった。

《タクミ、聞こえる?》

 何の前触れもなく突然に、そういう声がタクミに聞こえてきた。
「ぬおっ!? エリか!?」
 エリが誘拐された、と騒いでいる時にエリの声。かなり驚いたらしく、大袈裟なリアクションをするタクミ。
 しかしすぐにきょろきょろとし、ぎゅっと口をつぐんで目を閉じる。目を開けたまま神経を集中出来るほど、彼はまだこの力に慣れていないのだ。
《聞こえる。お前、大丈夫なのか? 誘拐されたって聞いたぞ?》
《うん。変なおじさんたちに連れてこられて、縛られてる。今まで、薬で眠らされてたの》
「エリなの?」
 タクミの隣からユウが尋ねてくる。そして彼が頷くのを認めると慌てて言葉を続けた。
「今どこにいるのか分かる!?」
 それをおうむ返しにエリに告げたが、どうも要領を得ない言葉が返ってきた。
《すごく広い部屋。とっても暗いの。それに埃っぽいし。ずっと掃除してないみたい》
《どっかの屋敷なのか?》
《ううん、違うみたい……多分、廃校か何かだと思う。机とか椅子とかが端っこに積み上げられてるもん。前の方には……多分あれ、黒板ね。かなり汚いようだけど》
「廃校?」
 思わず声に出すと、隣のユウがきょとんとした顔を向けてきた。
《今は、男たちどこかに行ってるの。すぐに戻ってくると思うけど》
《で、そこがどこかは分からないのか?》
《さっき窓まで這っていったら、大きな銀杏の木が見えた。ここの校庭に植わってるみたい。他には……あ、そう言えば『ローズタワー』が見えたよ》
「は?」
 タクミは思わずそう口に出した。情けない声だった、と自分でも思うほどの声。隣のユウが変な顔をしていたことからも、それが分かる。
『ローズタワー』というのは、タクミたちの学校からバスで四十分ほど揺られたところにあり、バラの花をイメージしたデザインが施されているので遠くからでも目立つ建物である。デートの待ち合わせによく使われるらしいが、タクミは趣味が悪い建物、と常々言っていた。
 しかし近くにゲームセンターがあるのでタクミたちも、それを目印に集まることが多い。
「って――ローズタワー!? むっちゃくちゃ近いじゃないかよそれって!」
 そして、そこまでの話をユウに教えると、彼女は首を捻った。
「ローズタワーが見える辺りに廃校って少なくないから……どれなんだろ。坂上小、志木小、大谷田小――」
 生徒数の減少により数年前から少しずつ統合が進み、今ではもうかなりの数の小学校が廃校と化している。
 タクミとユウが通っている桐生学園も、そろそろ危ないのでは、と囁かれているほど。
《他に何か目印になるようなもの、ないのか?》
《んっと……ゴメン。分かんない。……あ、でもローズタワーは太陽と同じ方向に見えたよ。割と近くに》
《太陽と同じ? じゃあ北か!》
 声として発していたならば、それは『弾んだ声』となっていただろう。
《バカっ! 西でしょ、西! タクミ、あんたちゃんと理科の勉強してんの!?》
《バカバカ言うなよ、毎回毎回……》
 エリから見える訳はないのだが、反射的に首をすくめてしまう。タクミは彼女がどうも苦手なのだ。
 その時、一瞬タクミの頭の中に映像が広がった。きつく拳を握り締め、涙を流しているエリの姿が。
 予知だった。
 途端、渋面になるタクミ。
(何だよこれ。こんなんじゃ、オレたちがエリを助け出せたのか助け出せなかったのか分からねぇだろ)
 受信系の能力――透視や予知、テレパシーなどがタクミとエリにはできた。一方のユウは送信系の力を持つので透視などはできない。だからタクミを介してでないとエリと会話ができないのだ。
 痛くなった頭を軽く振り、痛みを和らげようと試みてからタクミが廃校とローズタワーと太陽との位置をユウに伝えると、彼女は目を輝かせた。
「分かった! きっとそれ、志木小だよ! あれって、ローズタワーの東にあった学校! 大谷田小もだけど、あそこからじゃローズタワーは結構遠いから……うん、間違いない!」
 言われてようやくタクミも思い当たったらしい。
「ああ、あれか。……でも、オレはてっきりもう取り壊されたとばかり思ってたんだけど」
「取り壊すにもお金がいるんだよ」
 悟ったようにユウが言い、タクミは納得したような納得していないような表情で頷いてから立ち上がった。
「よーし、そうとなったら志木小に行ってエリの奴を助けてやるか!」
《……お願いね》
 疲れたような声になり、そこでエリとの交信が途絶える。
「……!」
 途端、タクミはうずくまった。目の前が真っ暗になり、しばらくは立ち上がれそうにない。
 いつもこうだ。真夏でもないのに冷や汗が出る。耳鳴りがしてきて必死に歯を食いしばる。
 予知もそうであるのだが、それよりも更に交信には負荷が掛かるのだ。おそらく、エリの方にも彼と同じだけの負荷が掛かっているだろう。
「大丈夫、タクミ!?」
 心配げにユウがタクミを見下ろし、それからハンカチを取り出す。「すごい汗だよ」
「いつものことだからな。……ん。サンキュ」
 ユウに汗を拭ってもらいつつそう言い、しばらくの後、もう大丈夫だと判断してからゆっくり立ち上がる。
 予知のことは、とりあえずユウに伏せておくことにした。
 涙を流しているからにはエリにとって喜ばしくないことが起こったに違いないのだから。
「そんじゃ、行くとしますか」
 ――こうしてエリ救出作戦は決行された。


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