−2−
見張りの男は暇だった。
見張っていろ、とは言われたものの、誰も来はしないだろうと思っていたのでなおのこと。
先程からあくびばかりが出て仕方ない。石段に腰を降ろし、十三回目のあくびが出るのを堪えず大口を開けている。
「ったく、何で俺がこんなことやってないといけねーんだよ」
初秋の今は夕方を過ぎると肌寒くなってくる。引っ掛けた上着の袖をまくって腕時計を見ると、八時を過ぎていた。
「ったく、ついてねーな。眠いし、かったるいし……」
昨日は一睡もしていないのだ。それに持ってきて、つまらなく単調な見張りの役目。
「ああ、一眠りしてーよ」
「じゃあ、眠らせてあげようか?」
やけに幼い声が聞こえた気がした。そんなはずはないのだが。
「ん?」
首を巡らせ、そこに小さな少女――とは言え、小学四、五年だろうが――を見付けてぎょっとする。
両手を後ろで組み、少し首を傾げて彼を見上げている。可愛らしい少女だが、彼にその手の趣味はない。ないのだが――。
ここは廃校である。そのような場所に、女の子がいる訳がないのだ。
「な、な……お前、何だ!?」
昨日『本当にあった恐ろしい話』というドラマを見た。確か、その中に古い学校に出る少女の霊、という話があったのを思い出した男が腰を浮かしかけると、少女が虫も殺さぬ笑みを満面に浮かべて言った。
「ゆっくり休んでね、おじさん」
途端、背後から口と鼻に何かが押し当てられた。何が何だか分からず混乱しているうち、急速に襲い来る眠気。
俺はまだ二十五だ、おじさんなんかじゃない! ……と頭の片隅で思ったけれど、男はそのまま石段に倒れ込むようにして眠りについた。
「このままだと厄介だから、縛っちゃおう」
その弾んだ声と共に、少女が後ろ手に隠し持っていたロープを取り出すのを、男は最後の瞬間に見ていた……。
「お目覚めはいかがかな?」
エリは男の声で目が覚めた。どうやらタクミとの交信後、今まで気を失っていたようだ。
エリはショートヘアで手足が長い。十歳という年齢の割にはすらりと背が高く、子鹿のような印象を与える。
「……最悪ね」
縛られて床に転がされている身体の痛みに顔をしかめ、吐き捨てるように言う。今までずっとこの状態だったのだ、後ろ手にきつく縛られている手首は真っ赤な跡がついてしまっていることだろう。
「今日は友達と約束があったのに、気が付いたら拉致監禁。おまけにその誘拐犯はおじさんだし」
男は二十六、七といったところ。斜に構えたような顔つきの彼だが、今はエリの言葉に口の端を引きつらせている。
「口が達者なガキだな。さすがは超能力少女、ってトコか」
それは関係ないだろう。
見回すと、教室の中には三本のロウソクが立てられていて、それを照明代わりにしていた。
廃校なのだから電気が通ってないせいもあるが、たとえ照明がつけられたとしても場所が場所なだけに、余程のバカでない限り誘拐犯が煌々と明かりを灯すような真似はしないだろう。
「あんたたち、私をさらってどうしようっての? やっぱりお金目的?」
何を当たり前のことを、というように男が再び肩をすくめる。
「お前のじじいに一千万円要求した。取り引きは今日の九時。さっき取引先を連絡してきたところだ」
途端、エリが憤慨したように声を荒げる。
「ちょっと! 私は一千万円しか価値がないっての!? 何で一億とかにしなかった訳!?」
エリから飛んだ鋭い非難の声に、さすがの男も驚いたようで、一瞬怯む。
「え? いや、だってそんなすぐに一億なんて金、入らねーだろーと思ったから……」
「私のおじいちゃんを舐めてもらっちゃ困るわね!」縛られた状態で胸を張ってみせるエリ。
「おじいちゃんは頭が切れるようで抜けてるんだから! 体力だってないし、最近は飲み過ぎと食べ過ぎで胃を悪くしちゃってるんだよ! でも学校のために頑張ってんだから!」
「お前……自分のじじいをけなしてるのか、ほめてるのか、どっちだ……?」
テレビで見る彼女とのギャップがあまりにも激しすぎる。テレビでの彼女は、まさに『無垢で愛らしい美少女』なのに。
視聴者はだまされている。これなら『超能力少女』としてではなく、女優の卵としてでも充分テレビを騒がせる事ができるのではなかろうか。男は真剣に、今の事態とは全く無関係なことを考えていた。
「ま……まあいい。取り引きが済めば、お前は返してやるから安心しな」
「ウソばっかり」
男の言葉にエリがフン、と鼻で笑う。
「おじさんの顔を見ちゃった私を簡単に解放してくれるはずないじゃない。お金を奪ったら、私は首を絞められて殺される。で、裏山かどこかに埋められる……典型的なパターンだね」
「ま、ま、ま、まさか。そんな訳ないだろ。だ、大体、俺たちだって殺人罪なんて犯したくないんだぞっっ」
図星だったようである。
「営利誘拐はしちゃってるくせに?」
呆れたようにエリが言い、わずかに目を細めた。そしてしばらくの後に言葉を続ける。
「自分の好きな仕事をさせてくれない会社がつまんなくて、自分を認めてくれない世の中がつまんなくて。ほしいお金はどんなに頑張っても全然手に入らない。だから今回の計画を立てたんだね、おじさん。……でも、いくらパチンコで頑張ったってそんなに稼げないと思うよ?」
「――!」ぎょっとして男が後退る。
「コネだけで入った会社。当然、成績は優秀じゃない。いつも上司に怒られてる。『同じ間違いばかりするんじゃない! そんなだからお前は出世できないんだ! こんなことくらい、猿でも分かるぞ!』……使い古された言葉だね。上司もそれなりの人ってことかな」
「……! な、何故それを!?」
「私が『透視』できるのは、おじさんたち、もちろん知ってるよね? だからこそ、私をさらったんだから。私はね、人にわざわざ手を触れなくっても、その人が持ってる一番強い感情とか記憶とかくらいは『視る』ことが出来る。そう考えたら、別に驚くようなことじゃないと思うよ?」
にんまり笑って言うエリ。
「おじさんは、得意先で大失敗しちゃって、上司に怒鳴り散らされた。で、ヤケになって会社を飛び出して街をぶらついた……一方的におじさんが悪いと思うんだけどなぁ、私は」
オトナの世界はよく分かんないけど、と最後に冗談っぽく付け足して男の表情を見遣る。
彼はすでに顔面蒼白。額からは、真夏でもないのに汗が吹き出していた。
「それで、電化製品のコーナーにあったテレビでかわいい超能力少女を見掛けた。おじさんはその時思った。この愛らしい女の子を誘拐して身代金を手に入れたら、これからずっと遊んで暮らせるんじゃないかって。くだらない仕事なんかしなくったっていいって。だから知り合いの二人を抱き込んだら意外にすぐ反応があったから実行に移した――おじさん、頭悪いね」
「な、な、な、何だと!?」
「日本の警察は優秀なんだよ。すぐにここを見つけて、おじさんたちは捕まえられるんだから」
「ふん、こんな廃校に俺たちがいるなんて誰にも分かりっこないさ。計画は完璧なんだ」
「完璧だって思うものほど案外ミスが多いんだよ」
私の算数のテストがそのいい見本なんだけど、とエリが小さく笑い、再び男を見上げる。
「普通の女の子を誘拐するのとは、訳が違うんだよ。私は愛すべき超能力少女。それを見誤ったのはおじさんの誤算だね。……ねえ、そう思わない?」
小首を傾げて言う。それが合図だった。最後の問い掛けは、男の背後に向かって。
そして次の瞬間、ガチャン、と音がして、仄明るい光が灯っていただけの教室に、明かり一つない闇が訪れる。
「!? なっ……何だ!? どうなってやがる!?」
ロウソクが倒されて、明かりが消えたのだ。それだけは男にも分かる。
しかし、一体何故?
男がうろたえていると、背後からバカにしたようなエリの声が聞こえてきた。
「それじゃバイバイ、おじさん」
「!? いつの間に!?」
慌ててライターをつける。仄暗い明かりの中、倒されたロウソクのまわりを照らすとそこにはいくつかの小石。そして自分の足下にはナイフで切られたロープ。エリはいない。
そして、戸惑っている男の背後からパタパタと足音が遠ざかっていった。それも三つ。
「な……どういうことだ!?」
しばし茫然としてから男は立ち上がり、慌てて廊下に飛び出した。
「!?」
そこには廊下から差し込む月明かりに照らされた子供が三人いた。
一人は生意気な口をきくわがまま超能力少女エリ。
残りの二人を男は知らない。
一人は頬に絆創膏を貼った、悪ガキ、という印象を持つ少年。何故だか後ろで手を組んでいる。そしてもう一人は無邪気な笑顔を見せている少女。
しかし、『無邪気』というのはただ単に『邪気がない』というだけなのだ。その少女が満面の笑みを浮かべたまま、男に向かって言う。
「無駄に人を殺したくないの。死にたくなかったら、おとなしくしててくれる? おじさん」
「! お前たち、まさか……」
ぎょっとして一歩後退る。すると三人が同時に肯定の笑みを見せた。
だが、いくら相手が超能力者だとは言っても体格の差は歴然。しかもこの時男は平静を保っていなかった。
「このクソガキ共……!」
単純に真正面から飛び掛かる男。
と同時に、それを待ちかねたように少年――タクミが後ろ手に隠していたパチンコを出してその照準を男の顔に合わせた。
「必殺・目潰しぃっっっ!」
嬉しそうに言った途端、男の顔面で何かが炸裂する。コショウと唐辛子の爆弾だった。
「うっ……うわああああああああっっ!?」
驚きと痛みに悲鳴を上げるが、それだけでは済まなかった。鼻の粘膜が刺激されてくしゃみが止まらなくなる。
「くそっ!」
くしゃみをしながら必死になって目をこすり、見えない目でタクミたちを捕まえようと腕を伸ばしつつ前に一歩足を踏み出す。
「……!」
と同時に、タクミたちが廊下に塗りたくっていたハチミツに足を取られて派手に転ぶ。
「よっしゃっ!」ガッツポーズを取ったのは――言わずと知れた、タクミ。
「お前ら! こんなことをしてどうなるか分かってんのか!?」
「それはこっちのセリフ。おじさん、この麗しの美少女を誘拐するなんてことしたらどうなるか、分かってんの?」
胸を反らしてエリが言うと、ためらいがちにタクミが口を挟んできた。
「なーエリぃ。さっきから思ってたんだけど、その『愛すべき』とか『麗しの美少女』とかゆーの、本気で思ってんのか?」
「そーよ。当たり前じゃない」
「……」
タクミが絶句し、その隣のユウが苦笑する。
「おっ……おとなしくしやがれ!」
コショウと唐辛子のため涙目になった男が懐から拳銃を取り出す。そしてそれで威嚇しようと三人に銃口を向けた。
「あー銃刀法違反ー! いけないんだぁ!」
「おっさんみたいな奴がホントに使えるのかぁ? まさかおもちゃじゃないだろーな?」
ユウとタクミがそれぞれ好きなことを言った後、エリが肩をすくめてみせる。
「銃を見せればおとなしくなる、って思ってるでしょ。で、自分が時間稼ぎしてるうちに仲間が戻ってきてくれる、って。『今度の計画で細かい指示を出したのはあいつだから、あいつがこんなガキ共を片付けてくれる』――」
呆れたように、というよりも哀れむようにエリが言っていると、男がそれを遮るように廊下の天井目掛けて発砲した。そしてわめき散らす。
「バケモノのくせに俺たちより金稼ぎやがって! 大体、ガキはおとなしく大人の言う通りにしてりゃいいんだよ! 人の心の中ばかり読みやがって!」
しかし――その時、男は何故だか自分の周りの空気がすっと冷えていく感覚に陥った。
「バケモノ……ですって?」
冷めた口調でユウが言う。今まで笑みを浮かべていた彼女から一変し、その瞳には、感情のかけらも見当たらなかった。タクミとエリが青ざめた表情で彼女との距離をとる。
「……大人って最低」
言い、ユウが手を強く握った。目を細め、歯を食い縛る。そして、それほどの時間が経過しないうちに、窓ガラスの外から赤い光が射し込んできた。
「な、何だ!?」
ぎょっとしたように男が視線を向けると、校庭の銀杏の木が煙を上げて燃え上がっているのが見えた。
かなりの老木で、何年も前から枯れてしまっていたそれは、今やすっかり炎の中にある。
焼けた枝が炎に包まれて地面に落下するのが見えた。そうやって少しずつ銀杏は身体を削られていく――。
助けて、というかすかな声がタクミには聞こえた気がした。もうすでに銀杏に宿っていた命は尽きてしまっているはずなのに。
「おいユウ!」
それでも、止めなければ、という意志が働いた。タクミが慌ててユウの肩に手を置き、強く揺さぶる。
「やめるんだ! ユウ!」
……それで、はっとしたようにユウが我に返る。
そして、一方のタクミは彼女に触れた途端、火傷でもしたかのような感覚に襲われた。
「……!?」
すぐさまその手を引っ込める。そして驚愕に満ちた表情をユウに向けた。
しかし、ユウがぎょっとしたように彼に顔を向けると慌てて彼女から顔を逸らし、その視線を男に向ける。そして何もなかったかのようににやりと笑った。
「見ただろ、おっさん。こいつはパイロ……何とかっていう力を持ってるんだ。さっきこいつが言ったろ? 『無駄に人を殺したくない』って。ユウだったら、おっさんなんか十秒もあれば炭にできるぜ」
それははったりだった。しかし、その効果は充分にあったようだ。
ぺたん、とハチミツまみれの廊下に男が座り込む。反撃する意志はもうすっかり失われているようだ。
(何なんだよこいつら……)
そんな、気勢の削がれた声が思念として伝わってくるだけ。
「ありがと、おじさん」
ようやくユウが笑みを見せる。
と同時に、男の背後からエリが廊下の端に転がっていたバケツを持って飛び掛かり、力一杯殴りつけた。
ごん、という鈍い音を立てて男が床に倒れる。あっさり気絶したようだ。
「おい、ユウ。こいつは縛っとくことにするとしても……あれはどーすんだよ?」
あれ、とは校庭で燃え盛っている銀杏の木のことである。
「大丈夫。ああしてたらご近所からの通報で消防車が来るでしょ。で、そのうち警察も来る。校庭の真ん中にあるし今日は風も吹いてないからご近所が火事になる心配もないし」
「ひでえ奴……」
ボソッとタクミが言ったけれど、ユウは無視を決め込んで前方にある階段に目をやった。
「さ、早く行こ!」
あとは帰還だけだ。
三人がそれを信じて疑っていなかった。
−3−
全てが真っ赤に染められた景色の中、一人の子供が歩いていた。
泣きながら。
(パパ、ママ、どこ? どこにいるの? 熱いよぉ……)
(ここにいるよ)
人の気配と優しい響きの声に、涙で汚れた顔を上げると炎の中、疲れた表情の父親の顔がそこにあった。
(ママは……?)
視線を降ろすと、床の上に母が倒れていた。目を見開いている。息をしていないことは、すぐに分かった。
(ごめんな。でも、パパもすぐ行くからね。だからママと先に行って待っててくれ)
どこに、と聞く前に父親の大きな手が子供の首に掛かる。そして間髪置かず力が加わった。
(何で? 何でこんなことするの? あたしが変な力持ってるから?)
苦しい息の中、涙に濡れた父の顔を見ると、子供を殺そうとしている彼の方こそ、死にそうな表情をしている。
ごめんな、ごめんな――呪文のようにそれだけを繰り返し、震える手で我が子の首を絞める父親。
『北川さんの所のユウちゃん、何か変な力を持ってるみたいよ。聞いた?』
『ええもちろん。でね、この前幼稚園でボヤがあったでしょ? あれも、どうやらユウちゃんのせいらしいわよ』
『そう言えば、今までもそんなことなかった? この辺、何年か前からやたらとボヤが起こってたのよねぇ』
『怖いわよねぇ。大きくなったらどんな子になるのか心配だわぁ』
『早くどこか他所に行ってもらいたいわよね。この街で厄介事を起こされちゃ困るし』
『旦那さんも奥さんも普通の人なのにねぇ。何であんな子が生まれたのかしら』
『ホント。あれじゃまるでバケモノだわ』
もうわがまま言わない! 泣いたりしない! 絶対いい子になるから! だからパパ、あたしを――。
自分の首を絞める父親の手を掴み、精一杯の声で訴える。
――――あたしを殺さないで!
「タクミ? どうしたの?」
声を掛けられてタクミははっと我に返った。見ると、エリがきょとんとした表情で自分の顔を覗き込んでいる。
「ん? あ、いや……別に」
曖昧に言葉を濁し、ふと横を見ると、ユウがきつく唇を噛み締めて俯いていた。
詳しくは知らないが、ユウは六年前に両親を失った。彼女と一緒に無理心中しようとしたらしい。
しかしやはり実の子供。殺すことは出来なかったようだ。結局ユウだけが生き残った。
それから彼女はあちこちの親戚をたらい回しにされ、昨年タクミ達の小学校に転入してきたのだ。
(こんなことがあったのか……)
先程見たのは、ユウの心に深く根を張っている記憶。
受信系の能力を持つタクミは触れただけで、ユウの心の中を覗いてしまったのである。触れた自分が火傷をしてしまうような、苦しくて悲しい記憶を。
学校の廊下でのように彼女がタクミに触れられないようにしていたのも、自分の過去をタクミに読まれないため。今までにも似たようなことが何度かあり、その度にタクミは不思議で仕方なかった。触れられるのを拒否されるほど嫌われているのか、と彼なりに悩んだりもした。
もちろん、人の心の中を覗くのはそれだけで体力を消耗するし、タクミ自身が詮索が嫌いな性格なので、普段は覗かないように気をつけているのだが。
(オレってそんなに信用ないのかなぁ……)
不満だった。自分はユウやエリには包み隠さず全て話しているつもりなのに、ユウはそうしてくれていなかったのだから。
『もうわがまま言わない! 泣いたりしない! 絶対いい子になるから!』
先程見た記憶。ユウが常に微笑んでいる理由がそれだとしたら――。
(そう考えると、オレって幸せだよなぁ)
タクミの力はどうやら遺伝だったらしく、祖母が同じような力を持っていた。息子に不思議な力があると知った両親はうろたえたが、祖母が彼らをたしなめた。
別に不思議な力があったって、タクミがあんたたちと同じ人間であることに代わりはないんだよ。あたしと同様、他の人がなくした力をたまたま持って生まれただけさ。だから守っておやり。どんなことがあっても、タクミがお前たちの息子であることに違いはないんだからね――。
祖母は他の人とは違う力を恐れたり恥じたりすることなく、昨年九十二歳の生涯を閉じた。
不思議な力を持つ者が生きるということは今でさえ大変だが、祖母が若い頃は更に大変だったようだ。
気味悪がられ、蔑まれ――しかし祖母はそれに屈しなかった。
あたしはあたしなんだ。どんな力を持ってたって、それは変わらないんだから――。
祖母の存在がなかったら、タクミもユウと同じようなことになっていただろう。
「――ユウ」
ぽん、とユウの背中を叩いてタクミが笑ってみせる。
再び流れ込んでくる、ユウの意識。
一人は嫌。もう誰も、どこにも行かないで。死なないで。お願いだから――。
(聞いちゃいない振りしてたけど……だからあの時、こいつは自分だけでここに来ようとしてたのか……)
『ねえ、あたしだけでこの中に入るからさ、タクミはここにいて? タクミ絶対無茶して捕まっちゃうんだから』
(自分の方が無茶してるじゃねーか)
タクミは小さく苦笑した。
「ユウ、もうお前は一人じゃないだろ? オレたちがいるんだから。……な?」
にかっと笑い、再びぽんぽんとユウの背中を叩く。
「どこにも行かない。ちゃんと傍にいてやるから」
「……! やっ、やだなー。何言ってんのよタクミっっ!」
我に返ったユウが真っ赤になって拳を振り上げ、タクミを殴る真似をする。しかしその表情はどことなく嬉しそうである。
「二人だけで何盛り上がってんのぉ? 何か、やなカンジぃー!」
ふくれっ面になったエリが茶々を入れると、ユウがいつものにこにこ笑顔を見せた。
「あー、もしかしてやきもちぃ? やだなー、エリったらぁ」
「まさかー! 私これでも趣味はいい方だって思ってるんだけどなぁ?」
「はっはっはっ。相変わらず口が悪いなエリ。これだから有名人はー」
口の端を引きつらせながらタクミが言ったその時だった。その男の声が聞こえたのは。
「話はもう終わったかな」
「……!」
はっとして振り返ると、今までどこにいたのか、そこには背の高い男がカバンを手にして立っていた。三人にその気配すら感じさせることなく、真後ろに。
「うわっ!? な、何だよお前っっ!?」
二十八、九だろうか。浅黒い肌に鋭い眼差し。見ているだけで背筋が凍るような印象を与える男。
「お前がボス、ってとこか? カッコつけてそれっぽい登場なんかするんじゃねーよ! 心臓に悪いだろっ!」
「それは悪かったな。用事を済ませて戻ってきてみれば、一人は玄関のところで転がされているし、もう一人はハチミツまみれで気絶している……こんなふざけたことをする奴の顔を見ようと思って来てみたんだが?」
にやりと笑い、男がタクミたち三人を交互に見遣る。
「三人とも能力者か。二人は受信系で一人が送信系……おもしろいな」
「何がおもしろい訳!?」
突っ掛かろうとするエリを押さえてタクミが男を見上げる。
「おっさん、もうこんなことやめた方がいいと思うぜ? あんたはさっきのおっさんたちと違って、別にお金に困ってなさそうだし……だったら、これ以上罪が重くなるようなことしないでオレたちを解放した方が得だと思うんだけど?」
「確かに、俺は金に困っちゃいない。ただ、世間を騒がせている『超能力少女』ってのがどんなだか見てみたかったんだよ」
「がっかりしただろ。こんなわがままな奴で」後ろでエリが声を荒げたが、無視する。
「いや。それなりに楽しませてもらったよ」
途端、渋面になってタクミとユウがほぼ同時にエリに向き直った。
「エリ、こいつに何か変なことされたのか!?」
「エリ、どんなことをされててもあたし気にしないからね!」
「あんたらねぇ……」
ふるふると拳を震わせて声を荒げるエリ。
「いや、そういう意味でなく」苦笑し、男がエリを見遣る。
「なかなか楽しいゲームができて嬉しいんだよ、俺は」
「ゲーム?」きょとんとするエリ。
「そう。これはゲームだ。有名な超能力少女を誘拐し、そのまわりの者たちの反応を楽しむ。そして事が済むと、警察の捜査網から逃げ延びる――どうだ、なかなかおもしろいゲームだとは思わないか?」
「思わない」
タクミがきっぱり言うと、男は薄く笑った。
「それに、オレたち超能力を持ってるんだぞ。だからおっさんがオレたちを捕まえようとしたって、逆におっさんを捕まえて、警察に突き出してやる!」
「それはどうかな?」男は余裕の笑みを崩そうとはしない。
「タクミ、絶対あの人おかしいよ。こんなのをゲームって言うなんて。結構ヤバい人なのかもしれない……」
ユウが表情を曇らせてタクミに耳打ちする。タクミも同意して小さく頷いた。
「見た目はそう思えないけど、でもそういう奴に限ってとんでもないことしでかすんだよな」
「じゃタクミは安心だ」
「どーゆー意味だ!?」
男はタクミとユウ、そしてエリを交互に眺めてから納得したように頷いた。
「透視にテレパシーに予知に念力放火……その程度だな、お前たちが使いこなせる力は」
「それだけありゃ大したもんだと思うんだけど?」
「それは、俺が『普通の人間』であることを定義しての話だろう?」
男は一歩タクミたちに近付いた。
「悪いが、俺も」
酷薄な笑みを浮かべる。
「能力者なんだよ」
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