リレー小説  第1話・霜月楓


「しばらく預かっていて下さい」
 そう言われ、俺はその『箱』を見下ろした。包装が一切されていない、薄水色の箱。
「二、三日、家を留守にしますから、その間だけでいいんです」
「中には何が入ってるんです?」
 聞いたが、彼女――大野夫人は、ゆっくりと首を横に振った。
「私も存じません。主人が置いていったものなんですけど、私にも『絶対に中を見るな』と言っていたもので」
 ですからあなたも見ないで下さいね。そう念を押され、俺は正直、嫌な予感がした。
「ですがね、大野さん。何なのかも分からないものを預かるわけにはいきませんよ。危険物だったりした場合、どうしたらいいか分かりませんし……」
 第一、俺が困る。
 大野夫人の旦那はこの辺りでは有名な科学者。どう有名なのかというと、真夜中に屋敷から奇怪な叫び声を聞いた、とか怪しげな光を見た、などという、物騒な噂で、だ。
 そりゃ、俺は大野夫妻の屋敷の隣に住んでいる。でも、ほとんど2人とは付きあいがないんだ。
 そんな相手に、預けものをするか、普通?
 俺とは反対側に住んでいる隣人は、明るくて付きあいがいいことで有名な夫婦。町内会の副会長も務めているくらいだから、責任感だってあるだろう。そっちに預けりゃいいのに。
「留守にするんなら、持っていくか、家に置いとくかしたらいいんじゃないですか? わざわざ人に預けなくても……」
「そういうわけにはいかないんですよ」
 困ったように、彼女は眉を寄せた。
「あの、大野さん。でも何で俺にこれを?」
「あなたが、この箱を預かって頂くにふさわしい方だと思ったからです」
「……は?」
 どういうことだ?
「あの、でもご主人は何て――」
 そう言えば、大野さんを最近見てないな。また怪しい実験でもやるために実験室にこもってんのか?
「主人でしたら」
 手を口元に当てて、何故かおかしそうに微笑む。でも、微笑んでいるってのに、目が笑っていない。
 夫人はちらり、と箱を見下ろしてから俺に向き直り……そして、言った。
「1週間前からいないんですよ」






リレー小説  第2話・美猫


 ぱか。
 箱を預かってから五分と経たない内に俺は自宅で箱を開けていた。
 捨ててやろうかと思ったが、好奇心には勝てなかった。
 中を覗いてみたが、何も入っていない。
 箱は簡単に開いたし、俺は単にからかわれただけなのだろうか。
 ・・・下らない話だ。俺は箱を蹴って部屋の隅にやると、勢いよくベットに倒れこんだ。
 一時間後に友達が来る。それまで仮眠をとろうと、俺は毛布に手を伸ばしたが―――
「?!」
 その手に驚いて動きが止まってしまった。
 ―――俺の手じゃない! いや、俺の手なんだけど、俺の手はこんなに細くないはず!
 すぐにベットから飛び起きて、俺はパイプラックの横に置いてある姿見の前に立った。
「なに・・・」
 次の言葉が出ない。
 俺の声も違う! ただ視線だけが全身を走る。
 膨らんだ胸、曲線を描く身体のライン、どう見ても―――俺が女性化している!
 くらっ。
 軽いめまいがしてきた。
 俺はその場に力なく座り込むと、それから確かめるように身体に触れてみた。
 やわらかい・・・。
 腕、脚、そして・・・胸。自分の身体なのにどきどきする。
「―――はぁっ」
 思わず声が出て、その甘さに俺は更にどきどきしてきた。
 ふと前を見ると姿見。
 俺は上目遣いでそれを見ながら、服の中に手をさし入れた。
「あぁ・・・」
 今まで経験したことのない感覚を下半身に感じながら、俺は少しずつ服を脱いでいった。
「あっ、あ・・・」
 脚を開き奥へと指を滑らせながら激しく喘いで、一体どのくらいの時が経ったのだろう。
 ピンポーン。
 玄関のチャイムが鳴った。






リレー小説  第3話・渡田貴紀


「!」
 独り遊びに興じていた俺はチャイムの音で我に返った。あれからもう一時間も経っているのか?
 ――まずい。
 俺は今、何一つ身に付けていない状態なのだ。しかも体は女のまま。こんな所をあいつが見たら何て言うか。まさか俺が女になっているとは思いもしないだろう。せいぜい、俺が真っ昼間から女を連れ込んでいると考えるのが関の山だ。
 ピンポーン。
 再びチャイムの音が鳴り響いた。もはや服を着ている暇はない。
 よし、居留守を使おう。そう思った瞬間、
 ガチャッ
 唐突に部屋のドアが開かれた。
 しまった。今日に限って玄関に鍵をかけるのを忘れていたのか。
 その時ふと、今まで嗅いだこともないような甘い香りが俺の鼻をくすぐった。
「?」
 不思議に思い、顔を上げた俺は息を呑んだ。
「あなたは!」
 言い訳を考えようとしていた俺の目の前に立っていたのは友達ではなく、大野夫人だったのだ。
 ――そうだ、箱!
 俺は彼女から預かった箱を何処へやった?
 薄水色の箱は、蓋が開いた状態のまま、部屋の隅に転がっていた。
 一瞬血の気が引いていくのを感じたが、姿見の中の自分の姿を見てほっとした。
 こんな格好で何をしていたのかを咎められる事はあっても、箱を開けた事を咎められる事はないだろう。
 しかし彼女は部屋の隅に転がる箱を、まるで興味がないといった様子でちらりと一瞥した後、俺を見て薄く唇に笑みを浮かべた。
 その微笑の意図がつかめない俺は、怪訝な顔で彼女を見上げ、ぞっとした。
 大野夫人はおかしそうに微笑んでいるのだが、俺に箱を預けた時と同じように、やはり目が笑っていない。
 俺達はしばらくの間見つめ合っていた。否、正確に言うと、俺は彼女の視線から動くことができなかったのだ。
 やっとの思いで視線をそらした俺は、ふと自分の格好を思い出した。
 濡れた太腿。うっすらと赤く染まった身体。これでは何をしていたのか一目瞭然だ。俺は肌が羞恥でますます赤く染まっていくのを感じた。
「!」
 近くに気配を感じたかと思うと、彼女は突然、俺の唇に自分の唇を押しつけてきた。
「あなたに箱を預けて正解だったわ」
 大野夫人は、唇が離れる瞬間そう呟くと、再び顔を近付けてきた。
 俺は彼女を拒むことも忘れ、その甘い香りと柔らかな感触にただただ身を委ねていた。






リレー小説  第4話・草薙あきら


 俺はしばらく彼女にされるがままになっていた。
 ぞくぞくする甘美な感覚に、思考は完全に停止していた。
 が、やがて彼女が服を脱ぎ、全裸になった時、俺は戦慄した。
 彼女の全身に無数にある傷跡。ケロイド状のものもあればかなりぞんざいな縫い目の傷跡もある───そして。
 俺に顔をよせる夫人の瞳…何だか左目に比べて右目の方の動きが遅い気がする。義眼?
 その時になってようやく俺の頭は緩やかに回転し始めた。
 突然動きを止め、表情を凍りつかせた俺を見て、夫人はまたあの笑いを浮かべる。
「どうしたのかしら…? この体、気持ち悪い?」
 正直にうなずいていいものか、躊躇する。代わりに俺は質問した。
「一体どうなってるんですこれは! 箱を預けて正解だったって? 俺の体は…」
 俺は頭をかきむしった。
「あなたは箱に認められたのよ。私の思った通りね」
「俺の体はその箱の所為でこうなったっていうのか!? どういうことだ…あんた何を企んでんだ!」
 思わず声を荒げたが、彼女の表情を変わらない。
 つっと右手を上げたかと思うと、彼女は自分の顎の下に手をかける。
 べりべりべり。
 気味の悪い音が響いて皮膚が剥がれて行く…まるでテレビドラマの明智小五郎が変装を解く時のように。
 その下から出てきたのは顔から火に飛びこんだかのように赤く引き攣れた皮膚。
「ひ、ひいっ!」
 俺は情けない声を出してベッドの下に転げ落ちていた。
 何だ!? どうなってるんだこの人は!
「私は失敗作なのよ。ほほほ、一応女なのよ? その表情は失礼ね」
 失敗作? 頭が混乱する。座りこんだままそろそろと後退さる。
「私のためだもの、何でもしてくれるわよね。明日香」
 息を吹きかけるかのように夫人は俺の耳元で囁いた。






リレー小説  第5話・霜月楓

「あ……明日香?」
 俺は夫人の言葉に思わず耳を疑っていた。
「な……に言ってんだ。俺の名前は――」
 言いかけた俺を遮るように、夫人が両方の口の端をにっと上げて笑う。
「あなたの前の名前なんてどうでもいいの。あなたは今から大野明日香なんだから」
 微笑んだまま、俺の髪をそっと撫でた。
 明日香だって? 大野明日香……あれ? その名前、確か以前どこかで――。
 俺は思い出そうとして頭を押さえた。混乱している思考を一点に集中させる。
 確かあれは――そう、5年前だ。
「確か明日香ってあんたの娘だったよな!? 5年前に火事で――」
 5年前の夏、大野博士の別荘が原因不明の火事に遭った。その時、15歳だった一人娘・明日香が死んだ。
 大野博士が留守にしていた間の出来事だった。別荘は全焼、娘は焼死、夫人も重体で入院したと聞く。
 俺は生前の明日香に何度か会ったことがある。明るくてかわいい子だったっけ。
 長い艶やかな黒髪に、整った目鼻立ちで――。
 そこまで考えた時、背筋をぞくっとする感覚が走り抜けた。慌てて姿見に視線を向ける。
 長い艶やかな黒髪に、整った目鼻立ち。見覚えのある面影を宿したこの姿は――大野明日香じゃないか!
「会いたかったわ、明日香」
 夫人が俺を抱き寄せる。でも、あまりのことに俺の思考回路はまた混乱していた。
 死んだ我が子を蘇らせる。話の中ではよくある奴だ。だが、何でそこで俺が関わらなきゃいけないんだ?
 俺のその疑問は顔に出ていたんだろう。夫人がまた笑みを浮かべた。
「明日香の身体はもう灰になってしまったの。何もない状態から人間を蘇らせるなんて、大野にもできないわ。だから私、考えたのよ。明日香の細胞と、別の人間の身体を使えばいいんだってね」
 そんな無茶な。大体、そんなことができるのか?
「今まで何人かに試したけど、みんな拒否反応を起こしてしまったの。どうしてかしらね、明日香はこんなにかわいいのに」
 言いながら、夫人が俺の肌に指を滑らせる。
 その時、俺の脳裏をここ最近の新聞記事が掠めた。
【20歳女子大生 奇妙な死!】【23歳男性 謎の死を遂げる】【またもや被害が!? 16歳女子高生死亡!】
 拒否反応――そういうことなのか!?
「もう離さないわ、私の明日香」
 微笑み、夫人がまた俺に唇を寄せた。
 狂ってる。
 さっきまではその指に甘美な感覚を覚えていたというのに、今の俺に感じられるのは嫌悪だけ。吐きそうになるのを堪えるのに必死だった。
 夫人を突き飛ばし、脱ぎ捨てた服を慌ててかき寄せ、胸の前で抱え込む。
「そんな……まさかあんた、娘を生き返らせるためだけに今まで何件もの人殺しを!?」
「人殺し?」
 言うと、夫人はにやりと笑った。
「じゃああなたは、私のこの手が血で汚れてるとでも言いたいのかしら?」
「……」
 その問いに対する答えは、『No』だ。
 だって、彼女は直接彼らを殺したわけじゃないんだから。あの箱が――。
 ――そこで俺はふと気付いた。
 そうだ、あの箱は一体何なんだ!? 何かが入っていたわけでもないのに、どうして俺が明日香になる?
 混乱したまま、部屋の隅に転がっている箱に俺が目をやっていると。

 ピンポーン

 突然、玄関のチャイムが鳴った。そして、扉越しに俺の名を呼ぶ声。
 友達が来たんだ。
 でも、この状況であいつと会うわけにはいかない。まだ、俺が独り遊びに興じていた時の方が良かった。
「あら……お友達?」
 夫人が玄関の方に目をやり――そして、青ざめている俺の方に視線を向ける。
「あなたのお友達なら、歓迎しなくちゃいけないわね」
 その瞳に浮かぶ物騒な光を見た俺は、凍り付いたように動けなくなった。
 こいつ……一体何をする気なんだ?
 危険信号が頭の中で激しく点灯する。
 やめろ、あいつに手を出すな――そう言おうとしているのに、俺の口はぱくぱくと動くだけで声を紡ぐことができない。
 そして夫人は床に落としていた疑似皮膚を拾い上げると、またあの笑みを浮かべて言った。
「ちょうど良かったわ。……ね、明日香?」






リレー小説  第6話・美猫

がっ。
思ったより鈍い音がした。
振り下ろした腕がまるでスローモーションに感じる程、俺は明らかに焦っていた。
あの時…ドアに向かって歩き出す大野夫人を見た時に…“とにかくあいつにだけは手を出させない!”それだけが俺の頭を支配して…俺はいつの間にか箱を拾い上げそして箱の角で大野夫人の後頭部を殴りつけてしまったのだ。
そして…「うっ!」
大野夫人は小さく呻き声を上げた後、ふらふらと左右に上体を揺らしながら床に倒れ込みそのまま動かなくなってしまった。
“もしかして殺してしまったのだろうか…”
放心状態の俺の足元にはあの箱が転がっている…
“全てはこの箱のせいじゃないか!”
こみ上げてくるものを必死で抑えなから俺は箱を睨みつけた。
箱の角の部分が潰れていて薄水色に生々しい赤が飛び散っている…
「ん?」
…一瞬見間違いかと思った。いや、思いたかった。そのくらい俺は戦慄していた。
何故なら飛び散った赤…つまりは大野夫人の血液が吸い込まれるように箱の中へと移動していったからだ。
まるで箱が生きて意思を持っているかのように…
「うわ…」
その時、ピンポーン…またチャイムが鳴った。






リレー小説  第7話・渡田貴紀

 夜の街を一台の車が走っている。
 俺はぼんやりと、窓の外の移り変わる景色を眺めてた。
 目的地へはまだ時間がかかるはず。
 俺達は今、大野博士の別荘、否、正確には別荘があった場所へと向かっていた。
 …そう、俺達。

「俺をここから連れて逃げてくれ!」
 突然、半裸の女からそんなことを言われても、普通の人間なら躊躇するところだろう。
「俺はお前の親友なんだよ!」
 俺のしどろもどろな説明で、あいつがこの状況を飲み込めたのかどうかは分からない。
 だが、倒れている大野夫人を見て、ただならぬ何かを感じたのだろう。
「お前、嘘つけるような奴じゃないもんな…」
 そう言ってあいつは苦笑した。

「なあ、俺の言ったこと…信じたのか?」
 隣で運転する親友から言葉は返ってこない。
 それもそうだろう。俺だって訳が分からないんだから。
「巻き込んじまってごめんな」
 あいつは何も言わずにただ俺の頭を撫でた。
 聞こえないように言ったつもりだった。だから少し驚いた。
 とにかくあの部屋から逃げ出すことが先決だった。逃げてどうにかなる訳じゃない事も分かっていた。ただ怖くてたまらなかったのだ。
 …疲れた。
  とにかく今は、何もかもを忘れて眠ってしまいたかった。
 全焼してしまった博士の別荘には、もう何も手がかりが残っていないかもしれない。しかし、五年前にあの場所で何かが起こったのは事実なのだ。そしてそれは現在進行形で繋がっている。
「…そろそろだな」
 悪夢の始まりの場所が、俺達の目の前にその姿を現そうとしていた。


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