リレー小説  第8話・草薙あきら


大野家の別荘跡地はかろうじて残っていた。
立入禁止の札の奥に家屋は見えない・・・焼け落ちたあとは草木が多い茂るがままになっているらしく、一種森のような状態になっていた。高い塀には有刺鉄線が張り巡らされており、時間が時間なだけに不気味な印象を与える。
「どうするんだ?」
親友は振り返って俺を見た。決まっている。
「・・・何処か入れる場所がある筈だ」
出入り口は程なくして見つかった。俺たちは足早に別荘跡地の奥へと歩を進めていく。
腰の高さほどの草のせいで思うように進めない。息が上がってくる。
くそ、何だこの体・・・ひ弱なのもいい所だ。
苛々しながら親友の後を追う。
と。
「おい、何かあるぞ」
親友の声に俺は顔を上げた。
そこには茂みに隠れるようにしてプレハブを思わせる小屋が建っていた。

中に期待したようなものはなかった。
ただの物置だったのだろう、とるに足りない日用品・・・大工道具や錆び付いた自転車など・・・があるのみだった。
俺は途方に暮れてその場にしゃがみこんだ。
とてつもなく不毛なことをしている気がした。
本当にここに何か手がかりがあるというのか?あったとして俺は元に戻れるのだろうか?
「もう嫌・・・」
私は口に出していた。
・・・!?
今俺は何て言った?
怪訝そうな親友の顔。
・・・親友?
誰なの、この人は。
「うわぁああぁ!!」
俺は叫んだ。俺、を一生懸命意識した。
俺は頭がおかしくなったのか。違う。俺の中に明日香の意識が確実に侵食している!
このままでは体だけでなく思考も明日香に変わってしまう。
俺が消えてしまう・・・!
「どうしたんだ?しっかりしろよ」
親友が俺の肩を掴んで揺さぶる。俺は半狂乱になって頭を抱えた。
どうなる?俺はどうなるんだ。このまま明日香になったら、俺という存在はこの世から消えてしまうというのか?
「落ち着けよ、おい!」
親友の体が覆い被さって来る。いつもの俺なら簡単に突き放せる筈なのに、まるで力が入らない。
頭の芯が真っ白になる。
「やめて・・・」
やめて、だって?何を言ってる、俺は。
狂ったように高い音を立てている心臓。
やめてくれ。
俺がこいつにそんな感情抱くなんて、ありえない。
助けてくれ。

工具の入ったダンボールの下に地下室への扉があることを私は知っている。
「そこから下にいけるの」
「・・・?」
戸惑う男。ややあって彼はダンボールをどかし、扉を見つけた。
「降りましょう」

最初に目に飛び込んだものは、箱。
無数の箱。
プレハブ小屋からは想像もつかない広大な空間には、色とりどりの箱がびっしりと並べられていた。
「何だ、ここ・・・」
俺は愕然として、親友を見上げた。親友も目を見開いて、言葉を失っている。
声が聞こえる。呻き声だ。ひとつひとつの箱の中から聞こえてくるようだった。
ひとつの箱から聞こえる声は微かでも、これだけ箱が集まると、それは何か、不気味なBGMと化していた。
「明日香」
不意に聞き慣れない声がしたので俺は体を強張らせた。
誰かいるのか?
視線を転じると箱に埋もれるようにして、大野博士が倒れていた。その顔は土気色で今にも事切れそうだ。
「良かった・・・間に合ったんだな」
「何がだ・・・?あんたが仕組んだことなのか、これは。説明しろよ、おい!」
親友が止めに入ろうとしたが、その手を振り払う。
死に瀕していようが今の俺にそれをいたわる余裕はない。
胸倉を掴んで顔を引き寄せる。
「そうか・・・まだ明日香として完全に覚醒していないのか・・・」
「元に戻る方法を教えろ。今すぐにだ」
大野博士は静かに目を閉じた。死んだのかと思ったが違っていた。
「君には悪いことをしたと思っている・・・が、戻ることは不可能だ」
「何だと?」
ふざけてるのか、このジジイは。
「君には大野明日香として生きてもらわなければいけないのだよ、箱守の一族の長として」

「ここの箱には代々箱守の長を務めた者の魂が納められている」
大野博士はそう言って苦痛そうに口を開いた。
「明日香もそうなる筈だった・・・あの日継承の儀式の最中、火事は起こった。明日香が継承を拒んで火をつけたのだ。私が留守にしていた間の出来事だった。明日香は死んでしまった・・・。娘を失った悲しみを癒すため、そして一族をここで終わらせる訳には行かない私たちは残った明日香の細胞を箱に封じ、禁呪を試すことにした」
「禁呪?」
そんな話は後回しだ、というより聞きたくない。
「箱の力で死者の生前の姿をそのまま他者に転写するという術さ。但し術者の命を削っていく。最初に転写を試みたのは妻だった。結果は・・・失敗だった。火事の時の火傷以上の傷を彼女は負うことになった」
「・・・・・・」
「まぁ、彼女は親心からというよりは自分が一刻も早く長から退きたいという理由からだったみたいだがね・・・私は本当に明日香に一目会いたかった」
確かに大野夫人の明日香に対する執着は異常だったが・・・。
「箱が明日香の器たる人物を選別することはなかった。箱を開けようとしただけで死に至る・・・妻はまだ良い方だった。君が箱を開くことが出来たということは箱に認められたということなのだ」
「冗談じゃない・・・!!」
勝手だ、勝手すぎるじゃないか。
何で俺がこんな目にあう?
「君は賭けだった。君で駄目なら私はもう力つきて一族は終わる所だったよ」
知らない、そんなこと。
「・・・明日香、聞こえているか?何も出来ない父さんを許してく・・・」
空気が弾けた。
乾いた音をたてて、灰色の箱が床に転がった。

涙が止まらない。
私のために多くの人間が死んだ。
箱に認められず死んだ人々。父。母に至っては私自身が手を下した。
そして、この体の本来の持ち主。
手に握った薄水色の箱。母のうめき声が聞こえる・・・。
私は・・・もう後戻り出来ない。
振り向くと親友・・・だった、今では見知らぬ男が凍りついたように立ち尽くしている。
鮮明になって行く意識。
ようやく私は思い出し始めていた。
箱守、という役目が一体どんなことをするのかということを。
突き上げてくる恐怖。
逃げられない。これが私の運命。呪われた私の宿命。





リレー小説  第9話・霜月楓


 私の一族は『箱守はこもり』として、昔から1つの箱を守ってきた。
 でも、それはただの箱じゃない。そして、私たちは単に箱を守っているから箱守と呼ばれている訳でもない。その箱自体には何の力もないのだから。
 力があるのはその箱に封じられている『魂』。禍々しいそれは、今まで何百、何千という人の命を奪ってきた。
 そして箱守の本当の意味は、『刃隠はこもり』――暗殺者。箱に封じられた『魂』のしもべとして、与えられた力でもって多くの人たちを殺める存在。
 罪のない人たちの命を奪い、『魂』に捧げ、そして――。



「おい……」
 男の声がして、私は我に返った。この身体の持ち主の、親友の声だ。
「何がどうなってるんだ、戻ることは不可能って――大体お前たちは何者なんだ!?」
 詰問するような――ううん、詰問しているんだろう――その声で、私は彼に向き直った。
「……私たちは、『箱』に呪われて来た一族です」
 私の言葉で、男は意味が分からない、という表情を浮かべる。
「箱に……って、ただの箱に?」
 言いながら彼は、父が封じられた灰色の箱と、私が手にしている水色の箱に視線を転じる。
 私はゆっくり首を振ると、前髪を掻きあげて額を男に見せた。
「これが『箱』の呪い。……両親が死んだ今、私が箱守の長なのです」
 そこには、箱守の長の証であるあかい紋様が浮かび上がっている。
 儀式をして長と認められるか、或いは先代の長が死亡したとき、この証は継承者の額に現れる。そして長の役目を終えたとき、自動的に消滅する。
 父が死んだ瞬間、私の額に紋様が浮かび上がった。それと同時に、それまで朧げだった意識が鮮明になった――五年前、長になることを拒んだ私の運命を、まるで嘲笑うかのように。
「……」
 男は何と言っていいのか分からなくなったらしく、私の額を見つめて口を閉ざしている。
「私たち箱守は、大きな力を必要とします。それは、この身体に流れている箱守の血の力を抑えないと『喰われてしまう』から。そして」
 私は視線を落とすとゆっくり屈み込み、灰色の箱の隣に水色の箱を置いた。
「そして、喰われてしまった者たちの成れの果てが、ここに並べられた箱。……だから代々の長は、自らの力が失われる前に代替わりをし、更に強い力で『箱』を抑えつけなければならなかったのです」
 母は五年前、自らの力の衰えを感じていた。だから、私に長を継がせたがった――このままでは自分が喰われてしまうから。死にたくなかったから。
 その異様なまでの執拗さに私は恐怖を感じ、別荘に火をつけた。逃げてしまいたかったのだ。母からも、そして自分の運命からも。それなのに私は死ぬことなく、ここにこうして立っている。何の罪もない人を犠牲にして。

《……明日香、聞こえているか? 何も出来ない父さんを許してく……》

 父の最期の声が蘇る。
 ――お父さん。
 いつも私を愛してくれた、私の心配をしてくれたお父さん。
 最期の時にまでも。
 だから私は、もう逃げ出すことが出来ない。お父さんのためにも、自分のためにも……終わらせないといけないから。
「…………」
 私は唇を噛んで、部屋中にある箱に視線を転じた。
 ここにある箱、全てがかつての箱守じゃない。そのほとんどは大野とは無関係の、罪もない人たち――私たち大野家が命を奪ってきた人たち。私たちの秘密を知った人や、大野家にとって都合の悪い人たちを、私たちは気が遠くなる程長い年月を掛けて殺してきた。もうすぐ、その数も五桁になる。
「そうやって箱を封印し続けるために、たくさんの人を犠牲にしてきたということなのか? 俺の親友のように……」
 男の言葉で、私は視線を戻すと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
 謝って許してもらえるとは思わない。
 私が身体を乗っ取ってしまった人には、彼をこんなにも心配する友達がいた。家族や……恋人はいたのだろうか。その全ての人たちから、私は彼という存在を奪ってしまったのだから。
 そして、これから私は――。
「……泣くなよ」
 男の声で、私は我に返った。頬に冷たい感覚。そして、不意にその感覚が拭われる。
 顔を上げると、涙を拭ってくれた彼が仏頂面でそっぽを向いていた。

 とくん。

 再び心臓が鳴る。
 やめて。
 そんなの……そんなのあり得ない。
 私は箱守の長。こんな、最後のときになって――。
「……ごめんなさい」
 私はもう一度、呟くようにそう言うと、一歩後退った。私の背後には地上へと続く階段。

《ここの箱には代々箱守の長を務めた者の魂が納められている》

 先ほどお父さんはそう言った。
 そう、『ここの箱には』、と。
 私たち大野の人間が憎みつつも守り続けてきた『箱』の正体。それは――。
「……ごめんなさい」
 何度目だろう。私は目の前の彼にそう言うと、更に一歩下がった。

 とくん。とくん。

 心臓は高鳴ったまま。でも、もう私は後戻り出来ない。唇を噛んでから、私は震える声で目の前の男に告げた。
「貴方にこの部屋『箱』の、最後の生贄になってもらいます」
 私は目の前の男を見据えたまま、ゆっくり――身体が震えて言うことを聞かなかったから――額の紋様に指を当てようとした。
 大野家が待ち望んだ、1万人目の『生贄』。これで、長らく呪われ続けた大野がようやく苦しみから解放される。
 私が与えられた力で彼をこの『箱』の中に閉じ込め、魂を捧げれば、全てが終わる。彼を殺せば――。

「そんなの俺が許さないからな!!」

 ……突然、私の口から声が飛び出してきた。私が身体を乗っ取ってしまった人の声だ。
 もう私が意識を奪ってから随分が経つ。彼の人格が表面化することはないはずなのに――。
「! な、何で……」
 私が思わず手を止めて、声をあげる。でも、彼の声はもうそれ以上聞こえなかった。
「…………」
 目の前に立っている男に視線を向ける――突然のことで驚いたように私を凝視したままの。
 この親友ひとのために、彼は必死になって叫んだということなんだろうか。
 そんなのを、見せられては。
「どうすれば……いいのよ、私……」
 涙が溢れてきた。泣くまいと思っても、次々に溢れる涙は止められない。
「お父さん……お母さん……っ」
 目の前の男はそんな私をしばらく黙って見つめていたけれど、何か声を掛けるでもなく、ゆっくりと部屋の中を見回した。
「お前、さっきこの部屋が『箱』だと言ったな。ここに封じられているっていう『魂』は何なんだ? 化け物か? それとも……やっぱり人間か?」
 微妙な表情を浮かべている男は、苦し気な表情を浮かべていた。「やっぱり」の意味は分からなかったけれど、私は涙を拭ってゆっくり首を振った。
 私も詳しくは知らないけれど、お父さんから昔語りに聞いたことがある。
 ここに封じられているのは女巫めかんなぎ。その名を、白鳳――。
「! …………」
 私の言葉を聞いた途端、男の表情が固まる。どうしたのかと私が訝っていると、表情を鋭くした彼は私から目を逸らし、「それで」と言葉を続けた。
「その白鳳ってのから呪いを掛けられて、お前たちは箱守をしてるんだな?」
 こくん、と頷くと、横目でそれを一瞥した彼はまた何か考え込み始めた。何なんだろう。
「白鳳は大昔、1つの村を壊滅状態にまで追い込んだそうです。そして破壊の限りを尽くした彼女を、大野の先祖が封じたとかで。でも、その代償として呪いを――」
 その意味では、男が先ほど言った『化け物』というのは当たっているのかもしれない。
 男は私の言葉を反芻するように何やら口の中で呟いていたけれど、やがて私の方に向き直った。
「俺の先祖も、お前の先祖ほどの力はなかったが、結構力を持っていたらしい。だから、その力を受け継いでいる俺も」
 言いながら男はゆっくり歩み寄ると、一瞬何故か躊躇ったものの、すっと私の額に人指し指と中指を押し当てた。続いて、何やら呟く。その途端、彼の指先が光った気がして、私の身体は、
「きゃっ!!」

 ――――後ろに弾け飛んで、壁に激突した。

「痛ってぇ……っ!!」
 俺は壁にぶつけた頭をさすると、ゆっくり歩み寄ってきた親友に指を突き付けた。
「お前なぁ、俺を殺す気かっ!?」
 喚いたが、奴は軽く肩を竦めてみせるだけで反省の欠片も見せない。ムカつく。
「ちゃんと生きてるだろ。しかもちゃんとお前の人格が外に出てきてる。感謝されても文句を言われる筋合いはないはずだがな」
「……あ」
 親友の言葉で、俺はようやく我に返った。
 そういえば、こいつはこんな不思議な力を持ってたっけ。あまり使いたがらなかったから、今まですっかり忘れていたけど。
 立っているのに疲れたのか、奴は壁に凭れ掛かって、ふぅ、と深い息をついている。運動不足か?
 でも、こいつがいなかったら俺は大野明日香に意識を乗っ取られたままだった。家に帰ったらコーヒーの1杯くらいはおごってやろう――そんなことを考えながら俺はぶつけた頭をさすっていたが、指にまとわりつく感触にピタリと動きを止めた。
 よくよく見ると、指にまとわりついていたのは絹のような長い髪。まだ明日香の容姿のままと言うことか。
「明日香はどうしたんだ? 死んだのか?」
「いや、眠っただけだと思う。まぁ、しばらくしたら目を覚ますだろうが」
 疲れた声で奴が言い、額に浮かんでいた汗を拭う。暑いのだろうか? 俺には適温……むしろ肌寒いくらいだが。
「ってことは、また俺は意識を乗っ取られて――」
 そのときこそ、『俺』という人格がなくなってしまうのではないだろうか。
 それに、大野夫人。部屋で殴殺したまま、放置して出てきてしまった。もし死体が見付かれば、俺は殺人犯人に……!
「何で俺がこんな目に遭うんだよ! あの箱なんか受け取らなかったら……っ!」
 叫んだ俺を全く気にしていないのか、目の前の親友は何やら考え込んでいた。元からあまり感情を表に出さない奴だったけど、それにしても、どうもさっきから様子がおかしい。
「どうかしたのかよ?」
 聞くと、奴は我に返って俺に向き直った。
「俺の――」
 何かを言いかけた奴の、そのただならぬ様子に俺も表情を引き締める。
 ――でもそのとき、どこからか聞こえてきた声で、俺は戦慄した。

其方は男覡おかんなぎか?

 静かに響くその声は、俺の前でゆっくり目を細めた親友に向けられていた。






リレー小説  第10話・霜月楓


 大昔、ある村に白鳳と弥生という名の2人の姉妹がいた。
 親が亡くなり、たった2人で生きてきた彼女たちだったが、姉の白鳳が村の女巫めかんなぎに選ばれた頃から、少しずつ何かが狂い始めた。
 白鳳は類い稀に見る高い霊力の持ち主で、女巫となった彼女は村人たちから崇められるようになった。美しい容姿と高い霊力、そして皆を統率する力の全てを備えた、完璧な女巫は村の誇りだった。
 一方、妹の弥生は、霊力は姉と等しく持っていたものの、器量は十人並みで、人を統率する力はなく、いつも姉の後ろに隠れているような引っ込み思案の少女。
 しかし、妹の自分のことを一番に考えてくれる白鳳を弥生は愛していたし、尊敬もしていた。姉と比較されて劣等感を感じてはいても、姉にとっての『一番』は自分だという思いがある故、ひたすら我慢していた。周りの者に何を言われても、姉が自分を愛してくれればそれで良いのだと。
 だから、姉が女巫に選ばれたことは嬉しかったし誇らしかったが、離ればなれになることが彼女は淋しかった。姉がもう自分の手の届かないところに行ってしまうのではないか、と。
 古来より、呪術を主に執り行ったのは女性だった。処女おとめである女性が、神代である女巫となって豊作を願い、民の健やかな日々を祈る。決して結婚せず、家族とも離れて神殿に押し込められ、願うことで一生を終える、言わば生贄の存在。
 そのようなものに、大好きな姉がなるのは弥生にとって苦痛だった。
 しかし、女巫になれば姉の『一番』に自分以外の者がなることはない。それが、ひとりぼっちになった彼女の心の支えだった。


 歯車が狂ったのは、いつからだっただろう。
 時が流れ、白鳳は付き人の男性である倭をいつしか恋い慕うようになった。そして彼もまた、彼女を想うようになった――結ばれることは決してないと、分かっていたけれど。
 しかし、2人は互いが傍にいれば、例え触れ合うことが出来なくても良かったのだ。
 倭は、白鳳にとっての『一番』が自分でなく、離れて暮らす妹であることに少しばかり嫉妬もしたが、それでも、彼女が傍にいてくれるだけで幸せだった。
 白鳳も、彼が傍で見守っているだけで安心して祈りを捧げ、村を潤すことが出来た。

 ……そう、彼が生きて、自分の傍にいてくれたならば。

 歯車が狂ったのは、倭が村の者たちに殺されてから。
 白鳳は、よく弥生に手紙を書いて倭に届けてもらっていた。そして弥生も倭に白鳳宛の手紙を託していた。
 はじめは、弥生も分からなかった。しかしやがて、彼が姉の想い人だと知るようになると激しい嫉妬に駆られるようになった。
 この男は自分から姉を奪ってしまう。そのようなこと、絶対に許せない――。
 そして、弥生は村の者たちに2人のことを話した。倭を付き人役から降ろしてほしい、と。
 倭さえ姉の傍から離れれば、姉はまた自分を一番に考えてくれるだろうと思ったのだ――姉の一番が、今もそれまでと変わらず自分だったということにも気付かずに。
 しかし、事態は弥生が考えているよりも深刻なことになった。村人たちは、倭を殺してしまったのだ。
 村の守護者である女巫と通じた彼は極刑に値する。例え付き人の役から降ろしても、白鳳の心を惑わす者を生かしていては、いずれ災いが起こるだろう。殺して然るべきだ、と言って。
 白鳳はとても強い力を持つ女巫、決して失ってはならない。女巫を失えば、他の村からこの村は襲われ、奪われてしまうから。
 だから村人たちは村のため、自分たちのために、倭を殺した。彼らにとっては、付き人の男の命よりも、女巫が心迷わすことなく祈りを捧げられることの方が大切だったのだ。
 しかし、愛する者の死を知ってそれでも尚、それまでと変わらず祈りを捧げられる者など、どこにいるだろうか?
 女巫である以前に、白鳳は1人の女性だった。
 村のために生きてきた自分。愛する者と触れ合うことも耐え、ひたすら村の平穏を願っていた自分から幸せを奪い取ったのは、自分が守ってきたはずの、他ならぬ村の者たちだった。
 彼らのために祈ってきたのに。彼らのために捨ててきたのに。彼らのために生きてきたのに。
 そして、愛する者を失う原因を作った密告者が弥生という事実を知ったとき、白鳳は壊れた。
 自分が一番愛した妹が、自分から全てを奪ったのだから。
 何故、という思いは、やがて彼女が純粋であったが故に、別の黒い思いへと変わっていった。

 許せない。

 彼女は祈った。自分の願いを叶えてくれと。
 例え祈りを捧げた相手が『神』と呼べる存在ではなかったとしても、構わなかった。愛する者を生き返らせ、そして村人たちを殺してくれるのであれば。


 ――弥生の子孫である大野明日香が伝え聞いたのは、そこまで。
 結局白鳳はその力を暴走させ、村を滅ぼしたらしい。
 そして弥生は悲しみの中で、愛する姉の白鳳を封印した。寄代となったのは、『箱』。
 しかし封じられる直前、白鳳は弥生に呪いを掛けたらしい。
 自分はこの中で生き続けてやる、と。封印の力が弱まれば弥生とその子孫の魂を喰らう、と――それほど、白鳳の憎しみは強かったのだろう。
 弥生とその子孫はそれから以後、『箱守』として苦しみと共に生きていくことになる。
 白鳳に『喰われ』ない方法は、2つ。
 力が弱まる前に自らの血を引く者に箱守の長の座を譲り、更に白鳳を封じ込めるか、もしくは、1万の魂を『箱』に自分の身替わりとして捧げ、呪いから解放されるか。
 そして、弥生の子孫が選んだのは、その両方だった。






リレー小説  第11話・霜月楓


其方は男覡おかんなぎか?

 その声で、俺は親友に目を向けた。
 奴は目を細め、部屋をゆっくりと見回していたが、やがてゆっくりと歩き出した。
 慌てて俺も追い掛けると、しばらく歩いてから奴は足を止めた。たくさん並べられた箱たちの中心に、古ぼけてボロボロになった白い箱がある。
「ここで力を使ったから、それに反応して目を覚ましたのか……」
「何がどうなってるんだよ!? 男覡って何だ!? お前のことをこの声の持ち主は知ってるのか!? ってか、もしかしてこいつが白鳳か!?」
 俺の内に眠っている明日香から、ここに封印されているのが白鳳だということも、彼女が何で封印されたのかも聞いた。
 弥生が呪いを受けてしまったのは自業自得だから同情出来ないが、でもいくら惚れた男を殺されたからといったって、子々孫々まで呪うなんて、白鳳も恨みが深すぎやしないか?
 自分を封じた妹の子孫である明日香がこの場にいるのは彼女にとって都合の良いこと。きっと殺そうとするに違いない――って、待て待て、それじゃ俺まで殺されるってことじゃないか!
「おい、さっさと逃げた方がいいんじゃないか!?」
 既に逃げ腰になっていた俺だったが、親友は短く「待て」と言った。
「お前の泣き言なんか聞きたくない。さっさと大野明日香に戻れ」
「無茶言うな! 大体、お前が眠らせたんだろ!? それに、そんなに戻ってほしけりゃ自分でやればいいだろ!」
「力を使うにも限度ってもんがある。自分の力量以上使うと……ヤバい」
 言いながら床に腰を下ろし、つらそうな表情で再度汗を拭う。よく見ると、奴の額に浮かんでいたのは脂汗だった。
「大丈夫なのか?」
「……お前に心配されるとは、俺も堕ちたものだな」
 減らず口が叩ける程度には、まだ大丈夫のようだ。ムカつくが。
「男覡ってのは……まぁ、女巫めかんなぎの男版ってとこだ」
 俺にそう答えてから、奴は白い箱に向かって口を開いた。
「お前がここに封じられた、本当の理由は知っている。俺の先祖も昔は男覡だったらしい。だが、俺はお前に何もしてやれない。……すまない」
 何を言ってんだ? すまないって、何で謝るんだよ!? しかも本当の理由って?
「おい、一体何がどうなってるんだ!? 白鳳は暴走したから封印されたんだろ!?」
「違う」
 きっぱりそう言った親友が、そこで言葉を切って俺の顔を真剣な表情でまじまじと眺める。思わず後退った俺は、慌てふためいた声をあげてしまった。
「な、何だよ、ジロジロ見るな!」
「お前に用はない、用があるのは明日香の方だ。勝手に照れるな」
「てっ、照れてなんかないっ!!」
 更に後退って慌てて怒鳴ったが、奴は気にせず話し掛けて来た。
「明日香、聞こえてるか? お前たちは弥生から知らされてなかったんだな、白鳳が封印された、本当の理由を」
「だから、本当の理由って何だよ!?」
「お前は黙ってろ」
「…………」
 ムッとした俺が黙り込む。大体、何で俺がこいつに叱られなきゃいけないんだ!?
「俺の先祖は男覡になる前にあちこちを放浪していたらしいんだが、あるとき1つの村を訪れた。そこで、見たそうだ」
「何をだ?」
「…………」
 また俺が尋ねると、奴は一瞬眉をひそめたが、今度は文句を言わずに言葉を続けた。
「死屍累々。女巫によって壊滅した、1つの村の残骸をな。そして、完全に我を忘れた女巫と相対したらしい」
「じゃあ、弥生が白鳳を封印する場に居合わせたんだな?」
 まだ眠っているのか、明日香が尋ねないので、俺が代わりに尋ねてやる。親友は不愉快そうに目を細めたが、文句を言うのを諦めたのか、ゆっくり首を振った。
「その、後だ」
「え?」
 俺がきょとんとした声をあげたとき、白い箱から声が聞こえた。

私を……殺して

 ――悲し気な、そして苦し気な声が。
「殺してって……どういうことだ?」
 俺は親友の顔を見上げたが、奴は聞こえて来た声が意味することを理解したのか、ゆっくりと目を細めている。
「どういうことだよ、俺にも分かるように説明してくれ」
 俺が言葉を発するなり親友がちらりと俺を一瞥し、また視線を戻した。
「つまり、だ。白鳳を封印したのは、さっき明日香が話した通り、弥生。そして姉を封印した後、彼女も壊れた……いや、その前から壊れていたのかもな」
 そう言いながら、奴はまた額に浮かぶ脂汗を拭った。本当に大丈夫なんだろうか。聞いてもまた減らず口を叩くだけだろうが。
「姉が神に願うのを聞いたんだ――村を滅ぼして男を生き返らせてくれ、ってな。男がいなくなれば自分のところへ戻ってくると思った姉の気持ちは、男が死んでしまっても戻らなかった。他の奴のものになるならば、いっそ殺して自分だけのものにしたかったんだ」
「それって……」
 明日香から聞いた話と全然結末が違っているんじゃないか?
「姉を封印した弥生は、それから村人たちを片っ端から殺戮した。愛した姉の女巫衣装を着てな。白鳳と同じ程度に霊力のあった彼女に勝てる者なんか、村には誰1人いなかったんだ。……で、その滅びた村に俺の先祖がやって来て、弥生と鉢合わせした」
「殺したのか?」
「殺していれば、弥生の子孫の明日香はここにいないだろ。よく考えろ、馬鹿」
 ……明日香への対応とまるで違うのは何でだ?
「弥生は、やはり生身の姉が恋しかった。だから封印を解こうとしたが、解くことが出来なかった。俺の先祖が彼女に呪いを掛けたからな。代わりに、殺されかけたらしいが」
「呪いを?」
「弥生の霊力を抑えたんだ――それが精一杯だったらしい。村一番の霊力を持つ白鳳の封印には膨大な霊力を必要としただろう。そうすると、封印を解くにも同等の霊力が必要になる。だが、並みの霊力程度に抑えられた弥生では白鳳の封印は解けない。だから弥生は『箱』を手に、行方をくらました」
「じゃあ、弥生は白鳳の封印を解くために、1万の魂をここに? でも弥生はともかく、その子孫がおとなしく人殺しを続けていたのは何でだ?」
 俺の問いに、親友はまた不満げな表情を見せた。
「お前、俺が何でも知ってると思ってんじゃないだろうな? 俺も弥生が箱を持って行方をくらましたってことまでしか知らないんだぞ。だから、明日香から『箱』に呪いを掛けられてるって聞いたときにもしやと思ったが、確信したのは『白鳳』という名前を聞いたときだ」
「……」
 俺が口を尖らせて黙ると、奴は「だが」と、言葉を続けた。
「想像は出来る。多分、弥生が自分とその子孫に呪いを掛けたんだ。そして、言い伝えとして『白鳳の呪い』を残した――そんなとこじゃないか? もうここまで来ると、狂気としか言えないな」
「でも」
 分からない。それなら、弥生の子孫たちは誰も人殺しをせずに代々箱を守るだけで済むんじゃないか? 呪いからは解放されなくても、死なずに済むんだから。
 俺のその考えを察したのか、親友は薄く笑った。
「排除したい奴らがたくさんいるような状況で、人を殺してもその証拠が残らない。そして、それだけの力を持っている――そう聞かされたら、お前、どうする?」
「……え?」
 言葉に詰まった。そして親友は俺のその表情を見ると、ゆっくり目を閉じた。
「そういうことだよ。そして、いつの間にか『箱守はこもり』が『刃隠はこもり』にすり変わっちまった」
 そんなこと、と俺は言おうとした。だが、それより早く口が勝手に開いていた。
「そんな……私たち、ずっと白鳳のことを憎んでいたのに……本当に悪かったのが、私の先祖だったなんて――」
 明日香が呟き、そして床に座り込む。
「じゃあ、今まで死んだ人たちは……何のために――」
 涙が、溢れた。止めようと思っても、止めることが出来ずに床にこぼれ落ちる。

私を殺して。そして、弥生や倭のところに還して……

 ……白鳳の声がして、俺は顔をあげた。
「お前は弥生を恨んでたんじゃないのか? お前にこんなひどいことをしたんだぞ!?」
 俺なら絶対許せない。自分を封印した奴の子孫まで殺そうとは思わないが、少なくとも、同じところに還りたいだなんて絶対思えない。

許すことは出来ない。だが、それでもあの子は私の大切な妹。だから……

 疲れたような声。それで俺が隣の親友に視線を向けると、奴はゆっくり立ち上がった。
「言っておくが、先祖みたいな力は持ってない。失敗したからって怒るなよ」
「お前、力を使い過ぎたらいけないんじゃないのか!?」
 俺が慌てて声をあげたが、奴は振り返るとニッ、と笑って首を振った。
「困ってる女の力になれない程、甲斐性ない男じゃないぞ、俺は」
 ……言ってろ。



 有刺鉄線が張り巡らされた塀から外に出る頃には、もうすっかり日が落ちていた。
 外に出るまでに何度も足を何かで引っ掛けて怪我したが、灯りが何一つなかったんだし、仕方ない。
 肩を貸している親友に視線を向けると、かなりつらいらしく、歯を食いしばっていた。立っていられるのが不思議なくらいなのに、必死になって一歩一歩、ゆっくりと足を前に出している。意地っ張りなこいつは、肩を貸すのだって最初は断っていたが、やはりそういう訳にもいかなかったようだ。
「大丈夫か?」
 声を掛けると、奴は短く「ああ」と応え、
「心配すんな」
 珍しく、にっこりと微笑んだ。

 とくん。

 突然心臓が鳴った。俺の内の明日香が反応したらしい。
 ……………………。
 …………………。
 ………………。
 ……………。
 ……って。
「ちょっと待て」
 恐ろしい事態にそのときようやく俺は気付いた。
「白鳳の魂とやらが浄化出来たのはいい。あの部屋にあった箱たちも全部消えたってことは、封印から解けたってことなんだろう。それもいいことだ。だけど、何で俺は元の姿に戻らないんだ!?」
「何でって、もうお前の元の身体はないからだろ?」
 平然と言ってくれる。
「いや、だって弥生の呪いが解けたってことは、明日香の魂だって――」
「大野の力で殺された奴らがあそこには閉じ込められていたんだろ? 大野の力で生き返った明日香が死ななきゃいけないんなら、大野の力で死んだ奴らも生き返らなきゃいけない。千年以上前に殺された奴が今生き返ったら大変だよな。連日ニュースに取り上げられるぞ」
「そういうのは屁理屈って言うんじゃあ……」
「そういえば」
 奴は意地悪い笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んだ。
「お前、今頃重要参考人として指名手配されているんじゃないか? 部屋に女の殴殺死体があれば、その家の持ち主を探すのが当たり前だしな。大体、お前が殺したんだろ?」
「……」
 確かに、大野夫人を殴ったのは俺の意志だ。彼女が、こいつに何かしようとしたのを止めようとして――。
「ったく、どうすりゃいいんだよ!」
 俺が呻いた途端、俺の口から別の声が飛び出して来た。
「ごめんなさい、こんなことになって……私、あなたたちに迷惑ばかり掛けて……」
「……謝られたってどうしようもないだろ」
 言ってから、ようやく気付く。
 明日香は両親が死んだばかりだった。白鳳の魂を浄化した後、彼女は散々泣いたけど、きっとまだ泣きたいに違いない。それなのに――。
 ただ、問題はこれからどうするかということだ。
 指名手配されているかもしれないし、明日香の姿じゃ家に帰れない。それに、明日香のままじゃ今までのような生活が送れない。
 しかも、『大野明日香』は5年前に死亡したことになっている。存在自体がこの世から抹消されているんじゃ、俺はこれからどうやって生きていけば――。
「まぁ、当面は俺のところで面倒見てやるよ。様子見ながら対策考えりゃいいだろ」
 俺が考えていることに気付いたらしい親友がポン、と俺の頭に手を置きながら言う。
 人事だと思って気楽に言いやがる。大体、そんなこと明日香だってOKするはず――。
「いいんですか? ありがとうございます!」
 ……だからちょっと待てって。
「私、料理得意なんです。お邪魔にならないようにしますから――」
 ……だから!
 ってか、さっきからやたらとドキドキしている心臓、どうにかならないのか?
 俺は明日香に文句を言おうと口を開きかけたが、そのとき発せられた親友の一言で、思わず青ざめた。
「全然邪魔じゃないよ。それに、明日香って俺のタイプだしな」
 ……えーと。
 だらだらと冷や汗が流れていくのを感じ、俺は肩を貸していた親友の手を振り払った。そのまま、ズンズンと歩き出す。
「ちょっと、どうして先に行っちゃうんですか!?」
「こら、置いてくな!」
「うるさいっ!!」
 取り敢えず、明日香の意識が主導権を握るという、とても恐ろしいことがないようにしないといけない。
 俺は固く誓うと、車が停められているところまで歩いていった。


 END



《コメント》

長々と続いて参りましたリレー小説。完結しました……というか無理矢理終わらせました(笑)
最初は普通の話になるかなぁと予想していたのに、主人公が女になるわ、大野夫人を殺しちゃうわ、「明日香って誰よ!?」とか色々おもしろい展開のオンパレードで。
結果、まとまったようなまとまってないような結末になりましたが(^_^;)
とにもかくにも。美猫、あきらちゃん、渡田さん、お疲れさまでしたー♪


Back   Novel

inserted by FC2 system