「監督!」
 俺・安藤近衛と、和尚、湖等はグラウンドで一、二年にノックをしていた監督を捕まえた。
「どういうことなんですか!」
「…どうしたもこうしたもないよ、こっちが聞きたいくらいだ」
 監督はそう言いながらため息をついた。
「おい、近衛。北涼はお前を出すことを条件にしてきたぞ」
「え?」
 和尚と湖等は同時に俺を見た。和尚もそこまでは知らなかったらしい。
「まあ、いいんじゃないのか。遅めの引退試合だと思えば…。お前、ここの所ずっと通院でこの間の引退試合にも出られなかったもんな。もう大丈夫なのか?」
 え? 通院? 俺が…か?
「日時は来週の日曜日、うちのグラウンドで九時プレーボールだ、体調整えとけよお前ら」
「監督! 俺達も出ていいんですか?」
 和尚が監督の言葉に目を輝かせた。
「お前以外の誰が近衛の球をとるんだよ。それと一・二年は貸さないからな。新人戦を前にけがさせたくないからな」
 そう言って背を向けた監督に、湖等が一瞬不安げな表情をした。
「か、監督」
 湖等の声に監督は振り返り、ニヤリと笑った。
「他の三年にも声かけとけ…リターンマッチだ」
「!」
 北涼に負けて一番悔しかったのは、誰よりも監督だったのかもしれない。小さくなっていく監督の背中を見ながらそう思ったのは、きっと俺だけではないはずだ。
「おっしゃ、そうと決まったら善は急げだ!他の奴らに声かけてくるぜ」
 そう言って湖等は、校門に向かって走りだした。そして、後には俺と和尚の二人がとり残された。


「何でも、里井が言い出したことらしいぞ」
「何考えてるんだあの馬鹿は?」
「おいおい、近衛。馬鹿はないだろう」
 俺達は、川の土手に腰掛けて対策を練っていた。
「なあ、和尚? 誰が通院してるって?」
 俺は、さっき監督が言っていた言葉を思い出し、皮肉っぽく和尚に聞いてみた。
 俺が帰ってきやすいようにということを考えての、和尚なりの判断だったのであろうことは分かっていたが、そのことを和尚の口から聞いてみたいと思った。
「いや、その…あれはだな…」
 和尚はまずいといった顔で焦っている。そんな和尚を見ていたら、何だか今まで自分のこだわっていたものがどうでもいいような気分になってきた。
「ありがとな、俺が戻りやすいように考えての事だったんだろ」
 図星をさされた、というような表情の和尚がおかしかった。そんな和尚を尻目に、俺は立ち上がって伸びをした。
「考えてみれば最近おかしかったんだよなぁ。部の奴ら俺の顔見れば大丈夫か大丈夫かって…。なぁーんで気付かなかったのかねぇ」
 和尚はまだ決まりが悪そうな顔をしている。
「まぁ…あの馬鹿が何考えてるのか知らないけど、今度こそ俺が…いや、俺達が勝ってみせる」
 また俺が野球を始めようとしている。
 今まで何を悩んでいたんだか…。そうさ、この俺が里井なんかに負けるはずはないのだ。
 え? あの時? あれは俺がたまたま打たれちまっただけのことなのだっ。全然OK!
「え? 何? 和尚?」
 和尚がいきなり立ち上がり、両手で俺の顔を挟んでニヤリと笑った。
「それでこそ近衛だよな。本っ当にお前ピッチャー向きの性格してるよな。お前、今自分がどんな顔していたか知っているか?」
「らぶりー?」
 そう答えると、和尚は挟んでいた両手で左右の頬を軽く叩いた。
「ばーかっ」
「馬鹿だとう?」
「馬鹿馬鹿馬鹿」
「きーっっ!」
 ぽかぽかと和尚の胸を叩いたが、和尚はにやにやと笑っているだけで痛がってもくれない。畜生。
「勝とうな、近衛」
 和尚をいかにして痛がらせるか…、ということに夢中になっていた俺は突然頭の上から降ってきた言葉にどきっとしたが、腰に手を当てて和尚を見返した。
「馬鹿者! 俺を誰だと思ってる。桝矢一高の安藤近衛だぜ」
 安藤近衛完全復活! きっと和尚もそう思っているんだろうなぁ。
 でも、今までの安藤近衛じゃない。
 和尚も、湖等も、そしてチームの皆がいる。だから俺達は絶対に負けないんだ。
「明日から練習だな」
「おうよっ」
 そう言う和尚の顔もやる気に満ち溢れていた。
 ―――そういう訳で、俺は和尚に真相を聞くのを忘れてしまっていた。
 あーあ…。又今夜も眠れないんだな、俺。


 一週間後、桝矢第一高校のグラウンドで、俺達は里井達北涼高校とのプレーボールを待ち受けていた。
「安藤。今日の試合を楽しみにしていたぞ」
 そう言って里井が、俺達のベンチにやって来た。そんな里井に向かって俺はニヤリと微笑んだ。
「俺だってそうさ。今日はお前等に一点もやらねぇからな」
 今日は絶対打たれない。一週間練習を続けたおかげで、俺は絶好調だったのだ。
「何だ、立ち直っちゃったのか…残念だな」
「ほーんとぉに残念だったなっ! 安藤近衛完全復活だ!」
 里井のその言葉に、俺はますます気分を良くした。
「俺達と試合をするうちに、安藤を立ち直らせようというシナリオだったんだけどな」
 えぇ?
 ぽそりと呟いた里井の台詞は意外なものだった。
「お前、そういうつもりで、俺を出せって言っていたのか…」
「お前の性格から考えて、この方法が一番手っ取り早いと思ったんだよ。絶対投げているうちに、その勝ち気な性格が復活すると思ってね」
 ウィンクする里井を見て、俺は感心することを通り越して感動した。
 ―――全く、どいつもこいつも!
「この調子だと、俺と一緒に野球をやってくれる日も近いかな」
 里井が笑いながらそう言った時、
「近衛は俺と一緒に野球をやるんだよ」
 と、和尚が背後から俺の肩を掴んで言った。
「…やっぱり、この前の話はそういう意味だったんだな」
「やっと分かったか」
 そっぽを向きながらも、俺の両肩をしっかり掴んだまま和尚が無表情に答えた。
「何だって? 何時の間にそういうことになっていたんだ? 為撞、抜け駆けだぞっ酷い酷いっっ」
 里井は悔しそうに地団駄を踏んでいる。
「やーい、やーい」
 和尚は和尚で里井に舌を出している。
 …ガキか、お前等?
「おい、お前等…。俺はひとっっこともそんな事は言っていないぞ」
 俺を無視して尚も言い合いを続けている二人に、俺はストップをかけた。
「やったっ」
「そんなっ」
 二人の反応は正反対だ。
「ざまみろ、為撞。抜け駆けした罰だ。さあ、安藤。今度こそ俺と一緒に行くって言ってくれ!」
 と、里井が言えば
「何だよ、近衛ぇ。お前、六年も連れ添ってきた俺を捨てる気か?」
 さっきまでの態度はどこへやら…。和尚は俺にすがりついてくる。おいおいおい……。
 あれ、でもちょっと待てよ…。
 俺はふと思ったことを口にした。
「お前等、どこの学校に行く気なんだ?」
『そんなの決まっている! ××大だっ!』
 二人が同時に口にした大学は、全く同じ所であった。
『え?』
 二人は顔を見合わせている。
「なーんだ…それじゃあ問題ないんじゃないか…」
 俺は笑いながら二人と肩を組んだ。
「おーい、お前等何やってんだよ! 試合始めらんないだろう」
 遠くから湖等の呼ぶ声が聞こえる。もう両チーム共整列している所だった。
「おう!」
 俺達三人はグラウンドへ駆けていった。
「プレーボール!」
 審判の声が青空に響いた。


 三年後、神宮球場。
「近衛! お前いつまでスパイクの紐結んでんだよ!」
「そういう和尚だっていつまでもミット磨いてんじゃねぇよっっ」
「おいおいおい。何やってんだよ、お前等。試合が始まるぞ」
 里井が呆れた顔で傍らに立っている。
『だってこいつが!』
 俺達は同時に反論した。
「おーい、監督怒ってるぞ!早く来いよ!」
 痺れを切らした湖等が、迎えにやって来た。
 卒業後、俺達三人はそろって同じ大学に進学し、野球を続けていた。しかも、何故か湖等まで一緒に…。
 店はどうしたんだと聞くと、姉夫婦が継ぐんだそうだ。
 そうか…他に姉妹がいても“長男”と呼ぶんだったよなと俺達は笑ったものだ。
「早くしろよ」
 湖等はキレかけていた。
『うーっす』
 俺達は同時に返事し、グラウンドへと向かった。
 何だか三年前みたいだ…と、俺はおかしくなって笑った。
「何だか三年前みたいだな…」
 そんな俺を見て和尚も笑った。
「どうしたんだよ、お前等。何笑ってんの?」
 前を行く里井が怪訝そうな顔で、俺達を振り返った。
「べーつに!」
 そう言いながらも、俺の意識は三年前に戻っていた。
 ―――あの夏の終わりに。
「プレーボール!」



 END



《コメント》

「‐est」完結編、いかがだったでしょうか?何とか無事に終わらせることができてほっとしています。いやあ…それにしても高校生っていいですよね〜(←おいおい、待て待て)。“青春”って感じがしますよね。
渡田は高校はとっくの昔に卒業してしまったんですが、もっと“青春”しておけばよかったなあと思います。とはいえ今でもたまーに高校生に間違えられることがあります。喜んでいいのか悲しむべきなのか…(笑)。

 最近少年漫画ばかり読んでいるせいか、“男の友情”とか“スポ性”に妙〜に心ひかれます。その影響もあり、野郎同志の熱い語らいのシーンを各所に設けてはみたのですが、何故か女子高チックな雰囲気に(泣)。もう野球小説の影も形もありません。高野連から苦情が来ないことを祈ります。


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