インターリュード「クリスマス」


六宮沙霧(ろくみやさぎり)はふと窓の外を見た。
余所行きの服を着た子供たちがぱたぱたと走って行く。
その後を両親だと思われる男女が笑いながら通り過ぎた。
雪が降り始めている。
ホワイトクリスマスだ。
そういえば、こんな光景を何年も前に見たっけ。
手際よくレジを打ちながら沙霧は思い出していた。
なるべく思い出したくなかった記憶。
だからこんな日にバイトしたくなかったのになぁ。


沙霧を見る高城夕也(たかしろゆうや)の表情は複雑だった。
父を事故で亡くし、ここに連れられてきた沙霧はといえば包帯でぐるぐる巻きになっていた。
そして表情を強張らせたまま、何も言わない。
「お父さん、残念だったね」
やさしく夕也は語りかけた。
けれど沙霧は無言のまま、上目遣いで夕也を睨んでいるだけ。
まるで世界中が敵だと言っているかの様な態度だ。
実際、沙霧は父が死んだことについて大した感慨もなかった。
あの出来事以来、父を父だと思うことはやめていた。
「今日から私が君の親代わりだ。初めは言いにくいこともあるだろうけど、何でも話してくれていいんだよ」
やはり沙霧は口を閉ざしたまま。
「じゃあ、部屋に案内してやってくれ」
途方に暮れた様に夕也は言った。


人目を忍ぶ様に沙霧は父と二人暮らしをしていた。
父が何かの研究をしているということは知っていた。けれど大して興味はなかった。
父が近所の人間から気味悪く思われていることも知っていた。けれど大して興味はなかった。
父は沙霧をかわいがった。やさしくしてくれた。それで満足だった。
沙霧が小学校に上がる頃になると、急激にまわりの状況は変化する。
自分の治癒能力が普通の人より多少優れている、という認識は集団の中ではあっという間に異端へと摩り替わっていた。
父だけでなく沙霧も白い目で見られるようになり、「六宮」という名前は一種忌まわしい響きを持ってその近辺に知れ渡ることになる。
そして時を置かずして、沙霧は父の書斎で「観察記録」なるものを発見してしまう。
父はひどくルーズで危険意識の低い人間だったので、重要な物が馬鹿みたいに適当に保管されていたりしていたのだが、その中でもそれは最たる物だった。
「実験体No.2六宮沙霧」
とご丁寧に名前まで記してある。
まだ小学校に上がったばかりの沙霧、難しい語句はわからなかったが、そこに書かれていることはニュアンスで理解できた。
「5月10日 沙霧誕生。心配していたような畸形になることもなく一安心。しばらくは養育に神経を傾けることにする」
「6月13日 今日は転倒して手を擦りむいた。幼児ながらその再生能力には目を見張る。一応処置するが、次回はそのまま観察してみることにする」
「10月22日 少し油断しすぎた。階段で転倒、意識不明に。やはり頭に異常が出ると、著しく再生能力が落ちる。覚えておかなければならない」
沙霧は目の前が真っ暗になった気がした。
ごはんを食べさせてくれる時も、怪我の手当てをしてくれる時も、父はただ自分を観察していただけなのだ。それは愛情からくる行為ではなかった。
あたしは一体何者なの。
あたしはただの実験動物に過ぎないの。
沙霧と父の日常が変わることはなかった。
けれど沙霧の内面は決定的に変化してしまい。
やがて自傷行為に走り出すことになる。


何処に行っても自分を歓迎してくれる所なんてない。
沙霧は9歳にしてそう悟りきっていた。
メデューサで生活を送るようになっても、その考えは変わらなかった。
「あんた?新入りって」
目の前に三人ほどの少女たちが立ち塞がったので、仕方無く沙霧は立ち止まった。
年は沙霧より何個か上か。小学校高学年に見受けられる。
沙霧は答えず、黙って三人を睨んだ。
「うわ…っ、何こいつ。生意気」
「ちょっと来なさいよ。あたしたちにそんな態度みせたらどうなるかわからせてやるから」
何処にでもこういう奴らはいる、沙霧は腕を引っ張られながらうんざりした。
人気のない場所まで来ると、沙霧は地面に突き飛ばされた。
起き上がるのも億劫だったので、そのまま地面に横たわったままでいることにする。
「あたし知ってる。こいつリーダー裏切った六宮博士の娘よ」
「よくもまぁ、のこのこ来れたもんよね」
「なんかさ、怪我してもすぐ治るんだってさ」
「くだらない能力。でも…面白いね。ちょっと試してみようか」
一人が言うと待ってましたとばかりに二人が沙霧の体を押さえつける。
何が起こるのかは想像がついた。体に傷を入れる気だ。
もうどうでもいい、いつものことだもの。
そうあきらめかけた沙霧だったが、少女の手の上に浮遊しているものを見て目を疑った。
炎。
なるほど、彼女の能力は発火、らしい。
一般社会では異端と呼ばれ排斥されるべき能力が、ここでは重要な個性となる訳だ。
そりゃ自己顕示欲も強くなるだろう。
沙霧はゆるゆると首を振った。
いくら傷がすぐ再生するとは言っても感じる痛みは常人と一緒なのだ。
そんな炎で焼かれたら痛いに決まっている。
「あ、この子怖がってるよ」
「やっと顔色変えたわね」
「ちょっと、服脱がせて」
沙霧は恐怖で顔面蒼白になった。子供は残酷だ。一体何をするつもりなのか。
けれど、それと同時に淡い期待を抱いている自分もいる。
この子たちならあたしの息の根を止めてくれるかも知れない。
どんなに傷ついても勝手に再生するこの体。
自分は死ねない体なのかと思う。
けれど決定的な致命傷は恐ろしくて負わせることが出来ない。
そんな自分を、殺してくれるかも知れない。
次の瞬間襲ってきた激痛に、沙霧は歯を食いしばって耐えた。


「服を脱ぎなさい」
夕也───社長(リーダーと皆呼んでいた)は言った。
沙霧は青ざめた。
いくら第二次性徴もまだ来ていない少女とは言え、親しくもない男の前で裸になるのは躊躇われる。
「どうした?服を脱ぎなさいと言ったんだよ」
机に肘をついて、リーダーは繰り返す。別にロリコンの傾向があるという訳でもないだろう。
仕方無く沙霧はのろのろとした動作でブラウスをはずした。
上半身をはだけると、リーダーは席を立って沙霧をじっと見下ろす。
「その傷はどうした?」
沙霧は顔を背けて唇を噛んだ。
胸から鳩尾にかけてケロイドになっている。
「この傷は…またやったのかい?」
リーダーは沙霧の腕を掴んだ。二の腕から手の平にかけて無数の切り傷が残っている。ほとんど治りかかっているが。
「もうこんなことはしないって、約束してくれるかい?」
リーダーはやさしい。でもできる約束とできない約束がある。
こんなことしたくないって、一番思ってるのはあたしなのに、そう沙霧は思った。
無反応な沙霧の扱いにも慣れたのか、返事をいちいち待たず、リーダーは続けた。
「で?この火傷は誰にされたんだ?」
沙霧は答えなかった。答えようがなかったのだ。何故って三人の名前なんて知らないままだったから。
「…答えたくないならまぁいいが。手当てはしないとね」
そう言ってリーダーは再び椅子に座って沙霧を見た。
「悔しくはないか?」
沙霧はブラウスを羽織りながら目を上げる。
「君が望むなら君を強くしてあげる。誰にも負けない強さを手に入れるんだ。そんな傷を刻まれることがもうないように」
強さ。
それを手に入れたらあたしは変われる?
もう自分を傷つけることもなくなる?
沙霧が、自分の思っていた強さとリーダーの言っていた強さが微妙に違うことに気付くのは、もう少し後のことである。


やることもないので沙霧はリーダーに言われた「強さ」を追求することにした。
学校にも行かせてもらってはいたが、無愛想で無口な沙霧に友達はできず。
でもだからと言って悲しみを感じるほど沙霧の心は潤っていなかった。
あらゆるジャンルの格闘技を教えてもらいながら、沙霧は無味乾燥な日々を送った。
何かしていなければ、勝手に自傷行為に走ってしまいそうで嫌だった。


その日はクリスマスイブだった。
でもだから何だというのだろう。沙霧にとってそんなイベント何の意味もないものだった。
「六宮沙霧」
聞き覚えのある声で呼び止められて、沙霧は首だけで後ろを振り返る。
以前沙霧に火傷を負わせた、発火能力のある少女だった。
「あんた密告ったわね。リーダーにあたしが火傷させたって!」
凄まじい剣幕で沙霧に詰め寄ってくる。
沙霧は首を振った。もちろん横にだ。そんな覚えない。
「何であたしが怒られなきゃなんないのよ!あんたのせいで…」
この女、完全に善悪の観念が欠落している。
沙霧は黙って嵐が過ぎ去るのを待つことにした。下手に言い返していらぬ争いをするのはごめんだ。
「そう言えばあたし聞いたわよ。あんた体の半分がプラナリアなんだって?」
少女は口元を醜く歪めた。
プラナリア?沙霧はその単語をまだ知らない。
「気味悪―い。じゃあ、何?あんたってお母さんはプラナリアってこと?」
プラナリア───人間でないことは確かだ。
ひどく馬鹿にされている気がする。
沙霧は怒りを抑えて少女を睨んだ。
「あ、ごめん。あんた知らなかったんだ、もしかして」
少女は楽しそうに笑った。ちっともすまなそうには見えない。
「違う…」
「え?」
「お母さんは…ちゃんといるもの」
「え?何処に?」
知らなかった。沙霧は母の顔を知らない。物心がついた頃にはもういなかった。
よく考えれば生まれた時からいた気配がない。人間が母親のお腹の中から生まれるということは知っていたから、当然自分にも母親がいると思うではないか。父は「おまえは父さんが産んだんだよ」などとふざけていたがそれを信じるほどもう幼くはない。
「あんたは人工子宮から生まれたって、あたしは聞いたけど?」
勝ち誇った様に少女は言った。
「じんこうしきゅう?」
「だからさ、あんたは人間のお母さんから生まれてないってことよ。物分かり悪いわね!」
嘘だ。
沙霧は跪いて、床に手をついた。立っていることが出来なかったのだ。
あたしにお母さんはいない…?
姿は見たことがなくても、何処かにいると思っていた母親。
その存在すら危ぶまれているあたしは何者?
たとえ父は自分のことを実験対象としかみていなかったとしても、少なくとも愛のある行為によって自分は生まれたのだと思いたかった。
でも、初めからあたしは実験動物だったの?
沙霧は頭を抱えた。
あたしはおぞましい人間以下の生物なんじゃないだろうか。
そんなことって、そんなことって…。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
床に体を這わせて頭を抱える沙霧を見て、少女はようやく自分が言い過ぎたことを知った。
けれど自分は本当のことしか話していない、と自己弁護してそそくさとその場を離れて行く。
残された沙霧はゆらりと立ちあがると、窓に手をつきながら自分の部屋へと歩き始める。
ふと外を見ると雪が降っていた。
子供たちが嬉しそうに走りまわっている。
高級そうな格好をした彼らはいかにも何処かのお坊ちゃん、お嬢ちゃんといった感じだった。
その中に一人混じった女の子は沙霧と同い年くらいに見えた。白いふわふわのコートの下から黒いタイツを履いた足が伸びている。育ちの良さそうな可愛らしい女の子。
そこに車が止まった。中から現れたのはリーダー。子供たちはうれしそうに車に駆け寄って行く。
ああ、あれはリーダーの子供たちなのか。
あんな子供たちがここの幹部だなんて笑わせる。
沙霧は口元を歪めて、笑ってみた。
子供たちは父親と何事か話した後、車に乗りこんだ。
今からクリスマスプレゼントでも買いに行くのだろうか。
その時沙霧は自分が泣いていることに気がついた。
窓一枚隔てた中と外ではまるで別世界だった。
死ぬほど焦がれても絶対手に入らない世界がそこにはある。
今すぐその場に飛び出して行って、全てをぶち壊してやりたい衝動に駆られた。そしたらあの女の子はどんな顔をするだろう?
けれどそんなことしたって何の意味もないことはわかっている。
そんな分別を身につけている自分が恨めしかった。
遠ざかって行く車、窓ガラスに映る泣いている自分の顔。
食い入るように見ながら、沙霧は誓った。
あたしはもう泣かない。
涙を捨てて、強さを手に入れてやる。


その後沙霧は部屋に戻って「プラナリア」を事典で引く。
「再生力が強いので、動物実験材料として有名」と書かれた横になめくじのような写真を見つけた時、沙霧は少し戻してしまった。


「ただいまぁ」
家の中は程よく暖まっていた。
帰る途中から吹雪いてきたので、沙霧の体は顔色をなくすほど冷え切っている。
「おかえり」
読んでいた新聞から顔を上げて高城遠子(たかしろとおこ)は言った。
沙霧はバッグを放り投げるとそのまま体当たりするかのように遠子に抱きつく。
「寒いよ〜遠子。あっためて」
「冷たっ!ちょっと離れてよ」
腕を振り払おうとする遠子をますます強く抱きしめる沙霧。
「あったかーい」
「…もう、仕方無いなぁ」
遠子もだんだん沙霧の抱擁に慣れつつあるのか、以前ほど抵抗することはなくなった。
それはそれで嬉しいのだが、たまには新鮮なリアクションが見てみたくなる時もある訳で。
「……」
「……!!」
遠子は無言のまま素早く身を退いた。
耳を押さえて真っ赤になっている。
「み、耳…今…」
「ごめん。遠子の抱き心地があんまりいいから欲情しちゃった」
「よっ、欲情!?」
今度は真っ青になる。
「あっ、そうだ。あたし沙霧にクリスマスプレゼントがあるの」
遠子はぽん、と手を叩いて逃げるようにキッチンに向かってしまった。
しまったなー、あたしは何も買ってないぞ?沙霧は考えこむ。
そうこうしている内に遠子がキッチンから戻ってきた。
ケーキを持っている。ブッシュドノエルという奴だ。
「副部長さんに教えてもらったの。食べてみて」
「え?これ全部自分で作った訳?すごいじゃん」
「いや、多少は手伝ってもらったけどね」
「どれ。うん、おいしい。上手くなったねー遠子」
遠子は嬉しそうに微笑んだ。
それを見て沙霧はこほん、と咳払いをし、
「じゃあ、あたしからのプレゼント」
と、していたマフラーをリボン結びに締め直す。
「…何?」
少し、遠子の顔が引きつる。先が読めているようだ。
「あ・た・し♪」
「いらない」
「が───ん。あのねぇ、も少し考えてくれたってさ」
沙霧は大袈裟に悲しそうな表情を作ってマフラーをはずした。
「いいよ。…沙霧は一緒にいてくれるだけで。後は何もいらない」
「え…」
沙霧は遠子の顔を見つめた。
さらりと言ってのけたように聞こえたけど、横を向いた顔は真っ赤だ。
なんてかわいいんだろう、遠子って。
沙霧は思う。
今も昔も変わらず、遠子は擦れた所のない純粋培養のお嬢様だ。
その無垢な魂で、汚れたこのあたしを浄化して欲しい…。



 (クリスマス・了)



《コメント》
戦う女の子が書きたかったんですが、沙霧は動かしにくいことこの上ありません。
何故って彼女の能力を活用しようと思ったら、盾になってもらうしかないからです。
もちろん彼女は強いんです。
でもこんな平和な地方都市が舞台ということも拍車をかけて、ちっともアクションシーンが出てきません。おかしいなー、こんなはずじゃなかったのに。


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