第4章

(何、これ……)
 フレイが口を押さえ、隣のシャディールも低く呻いていると、二人に気付いた茶髪の青年が顔を上げて「あ」と声を洩らした。
 それでようやく銀髪の男がゆっくりと振り返る――そして、すっとその目を細めた。
「サティスロードの娘……何故ここに……」
 途端、血の気が引いてフレイは思わず数歩後退っていた。
「! ……ヴ……ヴァレス……」
 その初老の男はマイスターの一人、ヴァレス=ギルディランド。
 協会に於いて、総長のエヴィン=ガーランドとフレイの父・アルテス=サティスロードに次ぐ実力の持ち主として――そして、屋敷に乗り込み自分を捕らえようとした者として、フレイは彼を認識していた。
 しかし。
(何か……前と違う)
 フレイは口許を押さえたまま、思わず眉を顰めていた。
 青ざめ、痩けた頬。ギラギラと異様に光っている目――王都で見た彼とはまるで違う。
 フレイの記憶の中のヴァレスは、でっぷりとした体躯をマイスターのローブに包み、自己顕示欲の強さがその顔にも表れているような人物だった。
 マイスターのローブを着ておらず、その上、たった一か月の間に変貌した彼をそれでもヴァレスだと認識出来たのは、その殺意にも似た鋭い視線故。
 屋敷に現れたときの彼がフレイにぶつけて来た視線と今の彼のそれとが同じだったのだ。そして、しわがれたその声も聞き覚えのあるもの。
「そっちこそ、ここで何やってたの!? 何でそこで人が――」
 身構えつつフレイが声をあげていると、ようやく追いついたリュースが息を切らして駆け寄って来た。ハリスは彼の肩に留まっている。
「二人とも一体…――――!?」
 館内を見回したリュースが、死んでいる男に目をやって息を呑むのがフレイにも分かった。
「…………」
 どれだけそのまま男を凝視していただろう。やがて、彼の唇から小さく言葉が漏れた。
「……叔父さん……」
 リュースが尊敬していた叔父。その彼が、殺されている――。
(じゃあ、入口の扉の封錠が解除されてたのは……)
 術を掛けた本人が亡くなったからか。或いは、師事していたヴァレスの来訪で一時的に解除したのか。もしくは最初から――。
 青ざめているリュースからその叔父にフレイが目を向けていると、ヴァレスがゆっくりリュースへ向き直った。
「……お前、ここの護り人か」
 その薄い唇を笑みの形に歪める。
「丁度良い。お前に聞きたいことがある」
 そして彼はフレイたちのところにゆっくりと歩み寄って来た。黒い瞳を物騒に光らせ、その口許に、ぞっとする程冷たい笑みを浮かべて――。
(まともにリュースと会話をしようって様子じゃないわ)
 フレイは拳を握り締めるとヴァレスの前に立ち塞がった。
 ヴァレスに何の目的があるのかは分からないが、この状況は危険以外の何者でもない。
「リュースに何する気なの!?」
 自分を睨みつけるフレイに進路を阻まれたヴァレスがすっと目を細め、手をかざす。
「……邪魔だ小娘」
 彼が攻撃呪文を放とうとしているのだと悟ったリュースも慌てて呪文を唱えようとする――が、そのとき突然彼の肩に乗っていたハリスが鳴いた。「カァ」と。
 そして彼は勢い良くヴァレスに突っ込み、その頭を鋭いくちばしでつつき始めた。それはまさに『攻撃』と言うにふさわしい、容赦のないもの。
「! 何をする!」
 咄嗟のことに呪文を中断されたヴァレスが慌てて振り払おうとするが、それでもハリスは攻撃をやめない。
「くっ……!」
 耐えきれなくなったのか、ヴァレスが小さく舌打ちしてから顔を歪める。そしてハリスと、入口に立っている三人に向かって呪文を紡いだ。

氷槍嵐ヴ・ランヅァード!」

 途端、激しい氷嵐が巻き起こった。
 氷の粒が彼ら目掛け襲い掛かる。まるで一粒一粒が獰猛な獣であるかのように牙を剥き、咆哮し、噛みつこうとする――僅かでも隙を見せれば即、命を奪われる氷系高等呪文。
 しかし、やはり協会のマイスターと一級魔術師の反応は早かった。ハリスが飛び上がり、そしてシャディールがすかさず防御呪文を唱える。
護瀏光ガイア・リーン!」
 途端、淡い金の光が溢れてその場を包み込んだ。
 氷の蒼と、光の金。相対する力がぶつかり合い、激しく力を競い合う――しばらくすると、双方が相殺されて周りが静かになった。しかし、そのときには既にヴァレスの姿は消えていた。そのことに気付いてシャディールが唇を噛む。
「逃げられたか」
 悔しげに言ってから彼は冷ややかにリュースを振り返った。
「どれだけ力持ってるのか知らないけど、防御くらい出来るようになってくれよな」
「……ごめん」
 リュースの叔父であるギルファ=ヴォルロイド――目の前で死んでいる男――は飛翔系と防御・回復系が苦手だったため、それらは教えてくれなかった。
 なのでリュースは独学で飛翔呪文を習得した。そして防御・治癒呪文も覚えようとした矢先にあの事件が起きたのだ。
 未熟だから、という理由で逃げる訳にはいかない。もっと早く使えるようになっていれば良かったのだから。
(もっと強くなりたい……力が欲しい)
 人を傷つける力ではなく、助ける力が欲しい。もう、誰の傷つく姿も見たくないから――。
 そんなリュースを見ながらシャディールは何やら考えているようだったが、やがて視線を逸らすとつっけんどんに言った。
「でも、今にーちゃん呪文使える状態じゃないだろ。平気なふりしてるけど、今日はずっと呪文唱えっぱなしだったんだから体力も魔力も残ってないはずだ。無理すんなよ」
「え?」
 シャディールの言葉できょとんとするフレイ。それでようやく、先程から小さく肩で息をしていたリュースの顔に浮かぶ疲れに気付き「あ、そっか」と呟いた。
 魔術を使うことは――それも高等魔術であればある程――術者にとって、かなりの体力を消耗する。
 彼はフレイと会ってから幾度か飛翔系高等呪文である飛翔鳳ヴィオを使った。それだけでなく、黒狼たちにも攻撃呪文を唱えていたのだ。疲労しないはずがない。
「大丈夫なの?」
「あ……うん」
 フレイに応えてから、リュースはシャディールなりに自分を気遣ってくれていたのだと悟り、彼に小さく微笑んだ――それはどこか消え入りそうな程、儚い微笑みだったけれど。
「ありがとう」
「! ……にーちゃんにそんなこと言われる理由なんかないぞ」
 赤くなって顔を背けたシャディールに目を細めてから、リュースはゆっくりとギルファに目を向けた。しばし躊躇い、そしてゆっくりと歩み寄る。
「……叔父さん……」
 まだ温もりの残る身体を抱き起こすと、ギルファは両の目をかっと見開き、苦悶の表情を浮かべていた。
 胸に大きな焦げ痕があるところを見ると、火炎系呪文で殺されたようだ。余程苦しかったのだろう、右手がきつく握り締められている。
「ローラちゃんはどうするんですか……」
 小さなその呟きを耳にしたフレイがリュースの背に目を向ける。
 ハリスは、役所で話を聞いてからリュースが沈んでいる、と言った。そして今の声には、叔父を失った悲しみからだけではない憂いが感じられる。
「ローラちゃんって?」
「叔父さんの一人娘――僕の従妹。叔父さんがとても可愛がってたんだ」
 叔父が娘とよく遊びに来ていた、と聞いたことを思い出し、フレイは自分の父・アルテスの死に顔を思い出した。
 父を殺され、ローラもつらい思いをするのだろうか――唇を噛み、フレイがリュースから視線を逸らす。
 そしてリュースがギルファの瞼を閉じさせ、彼の着衣を正していると、青年にシャディールが歩み寄った。
「いつまでそうやってんだよ。そんなに痛かったのか?」
 頬を押さえたまま呆然としていた青年はその声でハッとしたように瞬きし、それから「あ、いや……」と言うと一同をきょろきょろ見回し、慌ててぺこりと一礼した。
「あ、あの。私はディムといいます。ここの見学に来たんですけど……休館してるって知らなかったので。そしたらマイスターが現れてギルファさんを。私は恥ずかしながら逃げようとしたんです。でもマイスターに……」
 と、ヴァレスに叩かれたか殴られたかしたらしい頬を示してみせる。真っ赤に腫れ上がっており、当分その腫れは引かないだろう。唇も切れているらしく、血の跡が見えた。
 治癒してあげたら――とシャディールに言おうとしたフレイだったが、回復呪文にも体力を使う。それに、彼は相変わらず仏頂面をしていて、どうやら治癒する気はないらしい。
(逃げようとしたのを怒ってるのかな。でも、普通の人がマイスターとまともにやり合える訳ないんだから……)
 フレイが小さく溜息をつくと、シャディールはちらりとそんな彼女を一瞥してからディムに視線を戻した。彼は頬をさすりながら、反対の手で頭を掻いている。
「でも、来てくれたおかげで命拾いしました。ギルファさんは殺されてしまいましたが――」
 そこまで言ってから「あ」と呟き、慌ててリュースに視線を向ける。
「すいません、あなたの気持ちも考えずに無神経なことを」
 そしてもう一度「すいません」と首を竦めると再度頭を掻いた。
「いえ……」
 ゆっくり首を振るリュースの背中に掛ける言葉が見付からず、フレイがその視線を転じる。そこには、何かを探すように広い室内を飛び回っているハリスがいた。
(ハリスとシャディールは、一体ここに何を調べに来たんだろう?)
 シャディールはともかく、ハリスは何かを知っているはずなのだ。
 フレイはハリスの様子をしばらく観察してから館内をゆっくりと眺め回した――ふと気付くと、壁際に大きな翡翠の女神像が立っている。かなり大きなものなので、黒狼もこれは持ち出せなかったのだろう。
 女神が天に片手を伸ばしている、という構図らしい。その表情は眺める角度によって微笑んでいるようにも憂いているようにも見え、名のある彫刻師が造り上げたものだと思われた。
 こういう状況でなければじっくりと鑑賞したいところだったが、今はそのときではない。
(これからどうするんだろ)
 フレイが再度ハリスに目を向けると、彼は何かを見付けたらしくゆっくりと女神像の掌へ降り立った。
(あれ……?)
 そのときふと気付き、フレイが女神像を凝視してから瞬きする。
 像が天に向かって伸ばしている掌は、身体の割に大きい。まるで、そこに何かを載せるために造られたかのように――。
「!」
 不意にフレイは理解した――『二つ目の鍵』が何かを。
(じゃあ、あたしずっと……)
 フレイが思わずリュースを振り返っていると、ディムが居心地悪そうな表情のまま恐る恐る口を開いた。
「あ、あの。ところで、皆さんは『奥の部屋にある宝』って、ご存知ですか?」
 途端、四人が一斉に彼へ視線を向けた。『奥の宝』を一般の者が知っているはずがないからだ。
「……何であんたがそれを知ってるの?」
 眉を顰めてフレイがディムを見遣ると、彼はギルファの遺体に顔を向けて言葉を続けた。
「さっきのあのマイスターがギルファさんに言ってたんです。どこにあるんだ、って。でもギルファさんは答えなかった。だから――」
 殺された、という言葉を紡がずに飲み込んだディムがゆっくりと首を振る。
「すいません、こんなときに。でも……私、トゥアの街でカースと英雄の研究をしているんです。だから気になって。ここにカースがあるのではないかと、ずっと思ってましたから」


 カースとは、絶大な力を誇っていた王朝を、英雄がそれを鍛えた剣で滅ぼしたという魔力によって創られた鉱物――正確には、何らかの力が鉱物に加わり魔力を帯びたもの。
 力のある魔術師が創り出し、そしてトゥアの街の鍛冶師がその剣を鍛えたと口伝えに広まっているが、今現在どこにあるのかは謎に包まれている。
 ――現在普及している『魔力を帯びた鉱物』の中ではシルバーが最も有名である。魔法をある程度遮断することが出来るのだ。しかし、カースはそんなシルバーをも上回る遮断率を持っていたのではないか、というのが、研究者たちの見解である。
 無論、あくまでも推測の域を出ていないので、確かなことが分かっている訳ではない。
 英雄がこの地を去って以来、カースの存在も消えたと言われているのだから――。


「トゥアにも英雄を祀る祠があるんですけど、そこには何も書かれていないし。それにやっぱり研究者としては、イヴァンレイオス王が建てたこの博物館を一目見てみたかったですから」
 それからディムは悲しげに眉を寄せた。
「でも文化遺産が盗まれただなんて、研究者として悲しいことです。奥の部屋に入る鍵も、三つとも盗まれたままだそうですし」
「三つ?」ディムの言葉で怪訝そうにフレイが声をあげる。
「あたし、もう他に鍵らしいもの持ってないんだけど……」
 一体いくつ鍵が必要なんだろう、とフレイが呻いて振り返ると、立ち上がってこちらに向き直ったリュースも「三つ?」と不思議そうに呟いていた。いつの間にか、その手にはしわくちゃになった紙片が握られている。
(あれ? あんなの今まで持ってたっけ?)
 フレイが瞬きして眺めていると、ディムもリュースの反応に首を傾げ頭を掻いていた。
「違うんですか? じゃあ、あのマイスターが勘違いしてたのかなぁ」
 ディムはきょとんとした顔でそう言ってから、ばつが悪そうな表情になって肩を竦めた。
「あの、すいません。お手洗いをお借りしたいんですが……ここにはありますか?」
 緊張が緩んだら何だか、と照れ笑いを浮かべたディムにリュースが小さく頷く。
「ええ、ありますよ――こちらです」
 と、リュースは本館の外にディムを連れて行き、そこで道順を説明し始めた。もうすっかり外は薄暗くなっているので途中、館内にも灯りを入れ、そしてディムにもランプを手渡している。
 それを眺めてからフレイがハリスとシャディールを振り返ると、女神像のところで二人、何やら会話を交わしていた。
 今までの漫才親子、という印象は微塵もなかった。そこにいるのは協会のマイスターと一級魔術師。
 会話に加わることが躊躇われて、フレイは開け放たれている本館の扉の方に視線を転じた。
(リュース……)
 しばらく思案してからもう一度ハリスたちを一瞥し、フレイが本館の外に出る。見回すと案の定、扉近くの壁際に――。
「! …………」
 呼び掛けようとしたフレイ。しかし、声を出すことが出来ず口籠る。
 扉近くの壁際にリュースはいた。壁に背を凭れ、手に先程の紙片を握り締めて俯いた、リュースが。
 彼はこの数日のうちに両親に続いて叔父まで殺されたのだ。悔しく、そして悲しいに違いないのに、今までフレイたちの前でそれを見せようとしなかった。
 しかし一人になった今、彼は――。
(リュース……)
 声を掛けることが出来ないまま、フレイが足音を立てないようにしてゆっくりと後戻る。
 元いた場所まで戻ると、まだシャディールとハリスは話をしていた。しかし、先程の話はどうやら終わったらしい。二人を取り巻く空気が柔らかいものに戻っている。
「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、良い?」
 歩み寄ってからフレイが声を掛けると、ハリスは振り返ってばさりと羽を広げた。
《勿論。私は女性の頼みは断らない主義なのだ。可愛い乙女は特にな》
「あーそりゃどーも」
 どこまでが本気なのか分からないハリスの言葉を軽くあしらってフレイが言葉を続ける。
「二人がここに来たのは何のため? ハリスは何を知ってるの? それから、あたしにここで手伝ってほしいことがあるって言ってたけど、それは一体何?」
《珍しく質問が多いな》
 おどけたような口調で言いながらも、ハリスの目は笑っていない。そして、その視線をふっと上げた。
 視線を追ってフレイが振り向くと、リュースが本館に入って来るところだった。
《人に弱さを見せないのも強さだが、自分の弱さを見せるのもまた、強さだろうに……》
 小さなハリスのその呟きにフレイが振り返ると、彼はその視線を受けて彼女を見上げた。
《お前たちは、どこか似ているな》
「……リュースの方が、あたしよりずっと強いよ」
 しかしハリスは何も応えず、軽く首を振ってからフレイの腕輪に目を落とした。
《ここに私たちが来たのは、あの事故と博物館の『宝』の関連性を調べるためだ。無論、護り人の立ち会いの元でな。協会総長・ガーランドから護り人への依頼書もちゃんとあるぞ》
 と言ってハリスがシャディールを示す。彼が持っている、ということなのだろう。
《私はな、あの爆発の発生源は、塔の最上階に置かれていた柱ではないかと思っているのだ》
「柱って……でも、あの柱が何か力を発生するなんてこと、今までなかったんでしょ?」
 だからこそ、柱を『護る』ことを疑問視するマイスターが過去に幾人もいたのだ。
《ああ。だがそれは、柱がその中のものの力を封じていたからに過ぎない。両者の力が五分と五分だったならば、そこに、中のものの力を倍増させる力が加わったときにどうなると思う?》
「中の……もの? あの柱って、何かを封じてたの? それに、その『中のものの力を倍増させる力』って何?」
 フレイが首を傾げると、協会自体に入ったことがないリュースも話の流れに乗れずに小首を傾げていた。
《分からない。私がそのものの力を塔の地下から感じて塔に入ろうとしたときには、もう遅かった。続いて最上階から膨大な力が発生して、塔が崩壊したからな》
 だが、と言ってハリスが腕輪からフレイの顔に視線を転じる。
《この博物館は、イヴァンレイオス王が造った。そしてそれとほぼ同時期に彼は協会を設立し、塔の最上階にあの柱を置いたのだ。この本館を造ったものと同じ、魔力を帯びた柱をな。そう考えると、協会とこの博物館は深い繋がりがあると思わないか?》
「確かにそうだよね。でも……じゃあ、この博物館にも何かが封じられてるってこと?」
《恐らくな。この建物は風化には耐えられても、実際はそれ程頑丈でない。先程見て回ったが、かなり老朽化が進んでいるようだ。魔力で強化されているだけだから無理もないがな》
 そしてハリスがリュースの方に視線を移す。
《だから、今回のようにその『封じられたもの』を狙って何者かが大きな爆発を――かなり高度な攻撃呪文もそうだが――起こしたときには崩壊する危険性がある。多少のものなら大丈夫だろうがな。リュース、気を付けろよ》
「あ……はい」
 不安げに天井を見上げてからリュースが返事をすると、ハリスは小さく頷いた。
《ちなみに、先日文献を調べていて分かったことなのだが――》
 前置きしてからハリスが言葉を続ける。
カースを創り出した魔術師の名を知っているか? それによって、英雄は前王朝を倒すことが出来た。そして戦いが終わった後、その魔術師は博物館に『あるもの』を封じた、とその文献には書かれていた――具体的に『何を』封じたのかは書かれていなかったがな》
 しかし、フレイが分からない、というように肩を竦めるとハリスはこくりと頷いた。
《あの戦いで名が知られているのはイヴァンレイオス王……イヴァンレイオス=ヴィル=ローレンディアだけだからな。英雄ですら、その名が知られていない。魔術師を知らなくても無理はない》
 そこまで言ってから、ハリスが表情を曇らせたリュースを一瞥する。
《……ヴォルロイド、とその魔術師はいうのだそうだ。ゼファーロス=ヴォルロイド、とな》
「ふーん……って…――え? ヴォルロイド!?」
 ぎょっとしてフレイがリュースを――リュース=ヴォルロイドを振り返ると、彼は小さく頷いてからハリスに向き直った。
「あなたはどこまで知っているんですか? この博物館の秘密を」
 リュースが表情を引き締めてハリスに問う。それは『護り人』の表情だった。
《さてな。一介のマイスターが手に入れることが出来る情報など、たかが知れているだろう?》
 はぐらかすようなその答えにリュースだけでなくフレイも眉根を寄せると、彼は声の調子を落とした。
《そんなことより――ギルディランドだ。まさか奴とここで会うことになろうとは……》
「オレもびっくりした。まさかあのおっさんが出て来るなんてさ」
 今まで黙っていたシャディールが口を挟んで来る。「最初は誰か分かんなかったけど」
 その言葉でフレイはハリスに目を向けた。
「ねぇ、ヴァレスのあの変わり様、ちょっとおかしくない? 前と全然違うんだけど」
《奴は総長の依頼でトゥアの街へ調査に出掛けたことがあるのだが、思い返せばあれ以来少しずつ様子が変わっていたように思える。変化が顕著になったのは、この一か月の間だがな》
「依頼? その調査って何だったの?」
 フレイが首を傾げた、そのときだった。

「うわぁぁぁぁ!」

 ディムの悲鳴が遠くから聞こえて来た。
 それとほぼ同時に強い殺意を後方から感じ、慌てて振り返るフレイ。そこには呪文詠唱を始めている黒服の男たちがいた――魔術師だ。
(ヴァレスの刺客!?)
 慌てて身構えたフレイだったが、先程のディムの悲鳴を思い出し、ハッとしてリュースに視線を転じる。攻撃呪文を唱えようとしているが、やはりその表情はつらそうだ。
 ヴァレスがいなくなったために、もう安全だと――少なくとも、自分たちと無関係の者が襲われることはないだろうと思っていたのだ。だから、ディムが用を足しに行こうとしても差程気にしなかった。
 しかし、今の悲鳴は切羽詰まった者の出す声。助けに行かなければ――。
「あたし、ディムのところに行って来る! シャディール、リュースのことよろしくね!」
 言うなり、向かって来る魔力弾と男たちをかいくぐってフレイが本館を飛び出す。背後からリュースとシャディールがそれぞれ何か叫んでいたが、爆音でよく聞き取れなかった。
 見回すと、暗闇に一箇所だけ灯りが灯っている。ディムが持っていたランプの灯りだ。
(あたしが行くまで殺されないでよね!)
 唇を噛んでフレイがランプの灯りを頼りに全力疾走する。
 そして、風化している遺跡とは異なり造られたばかりの建物――手洗い場――に飛び込むと、そこには五人の刺客に囲まれたディムがいた。護身用と思われる短剣を握り締めている。しかし、その構えはどこか頼りない。実際戦闘用として剣を持つのは初めてなのではないかと思う程に。
「大丈夫!?」
 手近にいた男四人を殴り倒して――勿論、殺さないよう力を抜いて――ディムに駆け寄る。
「ああ、フレイアさん」
 ホッとしたように息を吐き、ディムがフレイに笑顔を向けた。
「助けて下さい、もう私だけじゃ……」
 フレイが来てすっかり安心してしまったらしく、ディムの戦意は喪失したようだ。ガタガタと震え始める。
 フレイは彼と背中合わせになって、残った男を睨みつけた。男はフレイに恐れをなしたのか、ジリジリと後退りしている。
「こいつら、さっきのおやじの刺客だと思う?」
「さあ、私にはさっぱり……用を足して戻ろうとしたら問答無用で襲われたので」
「……そっか」
 フレイは先程のヴァレスの憎しみの込められた目を思い出しながら小さく頷いた。
 ――しかし、この違和感は何だろう? 何かが、おかしい。
(何が引っ掛かってるんだろう……)
 護り人のリュース、一級魔術師のシャディール、マイスターであるハリス、トゥアの研究家だというディム、そしてマイスターである――。
(! あ……)
 フレイがハッとして顔を強張らせたそのとき、シャディールが視界の端に飛び込んで来た。続いて、鋭い声で叫ぶ。
「ねーちゃん危ない! 後ろ!」

 シュッ……!

 声に反応して横に飛び退くと、フレイの鮮やかな紅の髪が数本切られて宙を舞った。
 しかしシャディールの声がなければ、或いは横に逃げず振り返っていたならば、背後からのその攻撃で頭に剣を突き立てられていたところだ。
 殺意も悪意も感じられなかった。だから今の今まで、分からなかった。しかし、それはただ単に彼が上手く押し隠していただけだったのだ。
(そんなことに気付かなかっただなんて!)
 フレイが舞い落ちる自分の髪を見遣ってから表情を険しくして振り返ると、そこには短剣を握り締めているディムが立っていた。シャディールの方を見て顔を歪めている。
「ディム、あんたが――」
 フレイが声をあげると、シャディールが駆けて来ながら呆れたように息を吐いた。いつの間にか、最後の男は彼の攻撃を受けて床に伸びている。
「呆れるくらいのお人好しだな。こいつの下手な猿芝居にやっと気付いたのか?」
 それから、冷ややかな視線をディムに向ける。
「お前もさっきのおっさん――ヴァレス=ギルディランド門下の一人だろ。で、こいつらはお前の仲間か?」
 気絶している男の頭を軽く蹴ってシャディールが問うと、ディムはそれまでの表情を愛想笑いに転じた。
「私は、ただの観光客ですよ? 今のは気が動転してフレイアさんに――」
「ただの観光客にしちゃ、隙がないけどな?」
「……」
「誤魔化したって無駄だぞ」
「………………………ちっ」
 その舌打ちと共に愛想笑いが消え、途端に鋭い表情になったディムがにやりと笑う。
「我ながら上手い芝居だと思ったんだがな。やはりこの俺に上品ぶった物言いは無理のようだ。……いつから気付いていた?」
 先程までのおどおどした様子はすっかり彼から消え失せていた。そこに立っているのは、皮肉げに笑っている眼光鋭い男。
「最初から。あのおっさんをマイスターだとか言ってたよな、お前。どうして分かったんだ? マイスターのローブも着てなかったのに」
 そしてシャディールは、その言葉でこくりと頷いたフレイを一瞥して言葉を続けた。
「あのおっさんはねーちゃんを『サティスロードの娘』としか言わなかった。オレたちはここに来てから誰もねーちゃんの名前を呼んでない。なのにお前は『フレイア』って呼んだ――他にも挙げたらキリがないくらいあるけど、一々挙げてみようか?」
「ちっ。余計なことを言っちまってたって訳か」
 へっへっ、と笑ったディムが、持っていた短剣を床に投げ捨ててフレイに目をやる。
「短剣なんか使わないで、いつも通り呪文唱えてりゃ簡単に殺せてたのにな。失敗したぜ」
 それでフレイが表情を更に険しくすると、シャディールがディムを睨み上げた。
「にーちゃんの叔父とかいう奴と同じようにか?」
 シャディールのその言葉にフレイが驚いて視線を落とす。
「え? あれってヴァレスの仕業じゃなかったの!?」
「あのおっさんは氷系が得意なんだ。炎は滅多に使わない。こいつの仕業だよ」
「ガキのくせに頭の回転が速いな」
 ディムは薄く笑うと軽く肩を竦めてみせた。
「ああ、そうだ。俺が殺ったんだよ。部屋の在処をなかなか言わないから腹が立って、脅すつもりでついうっかりとな。おかげで先生に殴られちまったけど」
 と、腫れたままの頬を示す。
「まぁ、あいつは死んだ方が良かったんだろうよ。罪の意識って奴か? もうガタガタ震えて何の役にも立たなくなってたし――何しろ娘可愛さに、てめぇの兄夫婦の命を売ったんだからな。今頃あの世で土下座でもして謝ってるだろうよ」
「! じゃあ、リュースのお父さんとお母さんを黒狼が殺したのって――」
(こいつらが娘を人質に脅迫してたってこと? だから叔父さんは黒狼に……)
 フレイが目を見開いて拳を握り締める。
「ああ。自分が家族を家から遠ざけておくから、その間に盗みに入るよう黒狼に指示してたようだな。まぁ、最低限の被害で済むはずだったのに余計な来客のせいで居残って殺されたなんて、護り人もつくづく運がない奴だよなぁ」

《これは運が良い、こいつだけでも約束通り届ければ、これから奴は俺たちの言いなりだ》

 黒狼の残党が言ったという言葉が蘇る。
 象牙の鍵を届ければ、王立博物館の新しい護り人が尊敬して頼っている男が、これからは自分たちの言いなりになる。望めば資金援助もしてくれるに違いない――あれはそういう意味だったのか。
(でも、それってリュースの気持ちを踏みにじってるじゃない!)
 どれだけリュースが叔父を尊敬していたか、好きだったか、今日初めて出会った自分でもよく分かる。それを、叔父本人が分からないはずがない。
 家から遠ざければ最低限の被害で済む? そんなはずはない。もしあのとき来客がなく、リュース親子が無事だったとしても、王立博物館の遺産を盗まれれば当然護り人は責任をとらされる。
 今の国王は愚王と称されている。戦争が長引いており国王の機嫌が悪い今、不当な処罰をされないとは言えないのだ。下手をすれば処刑ということも考えられる。そうなれば――。

『………………………………………色々と』

 リュースは知っていたのだろうか。叔父が黒狼を手引きしたということを。
(今まで全然気付かなかったなんて、あたし……)
 フレイが震える身体を思わず抱き締めていると、ディムは軽く肩を竦めた。
「俺もこのままだと先生に殺される。だが、鍵を手に入れたらきっと先生は褒美の金を下さる。それがあれば、俺の子供は腹を空かさずに済むんだ。女房だって、医者に診せてやれる」
「だから、『鍵は三つだ』って言ってオレたちの反応を見たんだな。本当は二つだけなのに。で、バカなねーちゃんがそんな幼稚な罠に引っ掛かったからここに誘い出したんだろ。殺してから鍵を奪うつもりで」
「ご名答」
 にやりと笑い、ディムがその鋭い目を、蒼白になっているフレイの顔に向ける。
「護り人は魔力と体力を消耗してるんだったよな? そんな奴が一人で俺を助けに来るはずがない。となれば、あとは小娘とガキだけだ。しばらく様子を見ていたが、悲鳴が聞こえたら真っ先にすっ飛んできそうな単細胞は小娘の方だと思ったんだよ。まさにその通りだったな」
「……単細胞の小娘で悪かったわね」
 フレイが低く唸ると、ディムはフン、と鼻で笑った。
「アルテス先生がいつも自慢してたからどれ程のものかと思ってたが、威勢が良いだけの普通の小娘じゃないか。ま、綺麗な顔してるから俺好みではあるけどな」
「あんたなんかに好かれたくないわよ」
 心底嫌そうに顔を顰めるフレイを一笑し、ディムが今度はシャディールに視線を転じる。
「お前のことも知ってるぞ。お前、ハリス先生のところに居着いてる孤児だって?」
「……それがどうした」
 シャディールが鋭い目で睨みつけると、ディムは唇の端で軽く笑った。
「ハリス先生に可愛がられてるからって良い気になるなよ。徒弟なんて、どうせマイスターの駒に過ぎないんだ。マイスターに気に入られなくなりゃ切り捨てられる運命なんだよ。お前だって、いつかそうなるだろうさ」
「! そんなこと――」
 声を荒げたシャディールにディムが指を突き付ける。
「言い切れるのか? リィンだって、最初はヴァレス先生に可愛がられてたけど疎まれたからあのザマさ。徒弟に実力がつきすぎると、師ってのは疎むもんなんだよ。自分より上になられたら困るからな」
「だからって――あいつにあんなひどいこと! あいつは実験道具じゃないんだぞ!」
「先生より力を持ったあいつが悪いんだ。……まぁ、今はあいつもどこにいるんだか。あの爆発のときから姿が見えねぇが」
「お前たちが殺したんじゃないだろうな!?」
 詰め寄るシャディールをディムは「ケッ」と一笑した。
「んなことするかよ。あのときにそんな余裕があるもんか。俺たちは地下から逃げ出すことで精一杯だったんだから」
「地下、から……?」
 シャディールが眉根を寄せると、ディムはチッ、と小さく舌打ちしてから笑みを浮かべた。
「切り捨てられた奴のことなんてどうでもいいだろう。案外、ハリス先生だってお前のこと疎んでるかも知れないぞ、ただ黙ってるだけで」
「……師匠はそんな人じゃない。だって師匠はオレの――」
 シャディールが拳を震わせると、ディムはそのにやりとした笑みをフレイに転じた。
「無駄話は終わりだ。さぁ、二つの鍵を渡してもらおうか。そしたら、ギルファの娘の居場所を教えてやるぜ。ギルファが大罪を犯してまで護りたかったガキだ、助けてやらなきゃあいつも浮かばれないだろうよ」
「あたしが鍵を渡したって、あんたが素直に話すとも思えないんだけど」
 言って睨みつけると、ディムは鼻で笑った。
「じゃあ見殺しにするのか? まぁ、家族なんてものがないお前らにとっちゃ、顔も知らないガキなんてどうでも良いんだろうよ。でも今頃あのガキ、泣いてるだろうなぁ……いや、最近飯食わせてないからもう死んじまってるかな?」
「あんたねぇ……っ!」
 フレイが拳を握り締めて一歩踏み出すと、ディムはちっちっちっ、と指を振ってみせた。
「おっと。俺を殺しちまったら永遠に居場所が分からなくなるぜ。あの護り人の従妹なんだろ? 助けたくねぇのか?」
「……!」
 怒りで顔を真っ赤にしたフレイ。しかし、シャディールは違っていた。
 しばらく無言で窓の方に視線を向けていたが、やがて軽く息をついて肩を竦めてみせる。
「お前、ほんとに馬鹿だよ。大して力がない奴だと思ってたけど、頭も良くなかったんだな」
「な、何言いやがる! 俺にそんな口きいていいと思ってんのか!?」
 顔を真っ赤にしてディムが声を荒げると、シャディールは不敵な笑みを浮かべた。
「もう良いよ、教えてくれなくても」
「! な……何でだ!? お前、あいつがどうなっても良いってのか!?」
 訳が分からず顔を歪めるディム。シャディールは先程の彼の真似をしてちっちっちっ、と指を振ってみせた。
「オレには敵わないけど、護り人のにーちゃんは結構強い力を持ってんだ。オレがここに来る前に回復魔法掛けてやったから魔力も体力も元通りになってるし。そんなにーちゃんが、あれくらいのザコを片付けるのにいつまで時間掛けると思ってんだ?」
 そして、シャディールは得意げに胸を反らした。
「それから、ここに来たのはオレとねーちゃんとにーちゃんだけじゃない」
「……………え!?」
 ディムが訝しげに声をあげたと同時に、開いたままの扉から黒いものが勢い良く飛び込んで来た。


 To be continued.



《コメント》

主人公は誰?という感じですが、フレイです。リュースやシャディールぢゃありません。
……まぁ、不幸さ加減は3人とも同じくらいですけどね(^_^;)
さて。次で第一部はついにラストです。
飛び込んで来た「黒いもの」とは何か? リュースとハリスの出番はあるのか?
それより何より、最後は大円団となるのか否か
!? お楽しみにvv


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